第四章 蠢動
第14話 捕り物と怒りのその先は
清七は温泉宿の表で騒ぎを聞きつけていた。
丁度捕り方達と踏み込む際の算段を煉っていた処である。
踏み込む直前であったので、流石に鼻白んだ。こちらの手の内を読まれていたかの様な印象すら受ける。
しかし、若いながらも湯守り様から差配を命じられるだけの事はある。
騒ぎがあれば即踏み込む。手筈通り、直ぐに陣頭に立った。
「皆ッ、踏み込みますっ。手抜かりの無きようっ。いざっ」
「応」
頼もしい面々が、怖気など何処吹く風と刺又に鉤熊手、刀に手槍と銘々得意の得物を片手に傾れ込む。
皆、代官所から印可をもらった手付きと言われる土豪の私兵である。
元沼田真田藩の武士でもあり、また半農として力仕事に従事もし、身体頑健な上、永らく要衝の地として戦い抜いてきた尚武の気風強い土地の者共である。
今回手柄を立てれば幕臣への取り立ても望めるとあって、鼻息も荒い。
「代官所御用っ。邪魔立てする者はひっ捕らえる」
清七の声が響く。
清七は小春の事を心配しながらも、騒ぎの有った隣の宿へと足を踏み入れた。
旅籠での大一番の最中、辰吉は一人街道の入り口の小山の上で薬煙草をふかしながら、のんびりと待っていた。
いけ好かない奴等の為に網を張っていたのだが、ドンピシャ狙い通りにやって来た。
三日ほど前に代官所の酒井田宛てに大仰に、お礼の文と土産を持たせ、遣いを送っていたのだ。
代官所への文は囮で在り餌であった。
酒井田宛には、私邸へと別の言伝の文を出しておいた。
順番は酒井田邸の次に代官所へ頼むと、早飛脚に頼んである。おあしもたっぷり弾んでおいたので違える事は無いだろう。
この餌に喰いついて、獲物である奴らが着くのはこのあたりだろうと見当をつけ、仕込みをしながら張り込んでいたのである。
果たして、現れたのは三人で、出立の時に現れた侍が二人いる。
束になって馬まで駆って、息せき切ってやって来た三人は紛れもなく盗人共に取り込まれている裏切り者である。
一重瞼の酷薄そうな目つきの侍を筆頭に、みな一様に烈しく鞭を打ちながら馬を走らせている。馬の口端からは泡が溢れている。かなり無理をさせ走らせている証拠だ。
傍にいる木曽馬のアオが不機嫌そうに嘶いた。
「ああ、馬は可哀そうだな。精々怪我させないようにやってみるさ。アオ頼んだぞ」
辰吉は、らしからぬ怖い目付きになると手元に用意していた鉈で、丸太を結わえ付けていた縄を切り離し、転がし落して道を塞いだ。
「おのれっ、何事だっ」
瞬時に手綱を引いて馬を引き留めた。
どうやらこの侍達は威張るしか能の無い連中では無いようだ。
武辺者として練度は高いとみえ、直ぐ様馬から飛び降りて抜刀するなり、馬影から辺りを探っている。
襲撃であると瞬時に判断し、弓矢や鉄砲に備えての動きであった。
金で転ぶような奴等である。此処までの相手だとは思わなかった。
辰吉は己の甘い見立てに頭を掻いて苦笑すると、ポンポンとアオの背を叩く。
此処へ来る前に、お市に頼んで仕込んでおいて貰ったのだ。
アオは馬群の群れ頭であり、馬の群れに指示を出す事に長けている。
アオは嘶いた。
敵がいる。食われるぞっ、今すぐ逃げろと。
怒っているかような眼ではあるが、迫真の嘶きで指示を出した。
丸太で驚いている処に突然の逃散の指示である。
馬たちは棒立ちになって恐慌をきたし、乗り手の一人を蹄に掛けて蹴り倒し、もう一人を体で突き飛ばすと凄まじい勢いで駆けだした。
「おのれっ」
馬に体当たりされた侍が起き上がろうとしたその時である。
ひゅんっと音がすると、石にこめかみを打たれ、そのまま悲鳴も上げずに昏倒した。辰吉が放った飛礫の技である。
辰吉の飛礫は走る鹿を仕留める程、その腕前は精緻を極めた凄まじいものであった。
「おいっ、どうしたっ」
そう言いながら駆け寄ろうとした一重瞼の侍へも、刀柄を握った指を狙い撃ちし、ものの見事に潰して刀を取り落とさせ、次の飛礫で膝を打ち抜き悶絶させた。
アオは走り出した馬たちをまとめて宥め、すでに頭と認めさせたらしい。他の馬を従えて先頭に立ち誇らしげに戻って来ている。
「流石はアオだ。仕事は早えぇし、巧いもんだ。負けてはいられねえな」
辰吉はよいしょ、と駆け降りると侍たちの前へと躍り出た。
馬に蹴られた侍とこめかみを打たれた侍は、ぴくりとも動いていない。
一重瞼の侍が苦鳴を上げながらも、片手で刀を拾い上げ構えている。
「おや、お見事で御座いますなぁ」
間延びした声で辰吉は態々声をかけた。辰吉の顔を見て、侍は険しい顔になったが驚いてはいない。
「下郎めっ。代官所御用の我等に此処までして無事に済むと思って居るのかっ」
「お互い様でございますなぁ。代官所御用の件も、無事で済むのかってぇ件も」
にじり寄る辰吉の一瞬の隙を一重瞼の侍は見逃さず、居合いに似た技で横薙ぎに剣閃を閃かせた。
がちぃぃんっと硬くて高い音がして、折れて飛んだ刀と共に侍は肩を抑えて倒れた。
大煙管片手の辰吉が微笑みながら笑う。
「この煙管は刃殺しって銘があるんでさ。いい名前でしょう。備前の玉鋼で拵えて有りますので鈍の刀をへし折る位訳ありません」
辰吉がゆらりと殺気を放ちながら近づく。
顔色をを変える侍の肩を蹴り込み、ひっくり返して踏みつけた。
「殺された安兵衛親分は俺の兄貴分だった。身内も身内。大事なお人だったんだ。解るかい、お侍様。今の俺の気分がどんな気分なのか」
近くを這っていた蝮の鎌首を抑えると、眼前に据えてそれは寂しげな顔で呟いた。
気負いも何もない素直な心情の吐露である。
下手な凄味や脅しよりも、余程効いたと見えて、顔色はみるみる青ざめて言った。
「安兵衛親分程のお人の命数を数えられる相手。どんな奴かをずうっと考えてた。出立の時に絡んで来たてめえらを見て、見当は直ぐに着いたよ。指図差配する奴等が裏切り者じゃあどうしようも無ぇや」
辰吉は蝮を持つ手を離すか離すまいか、暫く迷っていた。
目の前には仇が居る。
安兵衛の温厚な笑顔とお豊の泣き顔を思い出し、それ故激しい殺気が体に漲る。
その瞬間、御守りの鈴がりんっ鳴った。鳴ったその時、辰吉の脳裏にお市と藤次郎の満面の笑顔が過る。
『大人になった時うんと楽させてあげるからね。それまではどうぞ宜しくお願いします』
お市の言葉だ。
眼前には曇りのない眼を真っ直ぐ向けているアオが居た。
小さく嘶いたその声は、
「それでいいのかい、辰」
と初次郎に、安兵衛に、言われている様なそんな気すらした。
「へっ、こんな年になってもまだまだ敵わねぇか。精進が足りねえ、な」
辰吉はふんっと鼻を鳴らすと、蝮を遠くへ放り投げて、侍たち皆を縛り上げ猿轡を噛ませて、どっかと腰を下ろした。
「テメェ等ど畜生どもは残らず獄門台に掛けてやる。それまではあの世だろうが何処だろうが逃がさねえ。獄門台の露となるまで精々怖れ慄き、己のした事を悔やみやがれっ」
懐手でお守りを握り締めながら、空を見上げる辰吉の顔は哀しみと共に、晴れ晴れとしているようでもあった。
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