第13話 跳ねる手駒と嗤う咎人
牢人の早坂幸四郎は世の中の全てを恨んでいた。
藩が幕府からの些細なお咎めで、御取り潰しになり、勘定方で実直そのものであった父は、賊徒と化した同僚数名に母共々斬殺された。
怒りに燃えた幸四郎は、賊徒と化した者共の家屋敷に火をかけて、家人ごと焼き殺し斬り殺したが、それが原因で流浪の凶状持ちとなった。
追われる以上は殺す。生きるために殺す。
何故に自分だけ不幸なのだ。
いつもそう思って世を拗ねながら生きていた。
そんな幸四郎に珍しく賭場で声をかけて来た男が居た。
肝が据わって腕の立つ男を集めている。良ければ手を貸してくれ、と。
そこそこの銭を手渡され、しかも近くの温泉宿に酒に女も手配してあるから、其処に来てから考えくれ、否だと思うのであれば、そのまま消えて貰って構わない、というのだ。
何やら美味すぎる話ではあるが、辻斬りするよりは遥かに楽であるし、いざとなれば斬って捨てれば良い。
二つ返事で承知して、今旅籠で女を横に侍らしながら酒を飲んでいた。
部屋の中には自分以外にも二人居た。一人はあからさまなやくざ者で、もう一人は自分と同じ食詰め牢人であった。
腕云々は別にしても、人斬りを集めているのは事実のようだ。
他の二人も同じような鼻の奥にツンとくる据えた血の匂いがする。
早坂幸四郎は一言も口もきかず、目線すらあわすことなく、外の景色に眼を配りながら、味などしない酒を啜っていた。
何処かの小娘と小倅が鴉を木の枝に離しているのを見つけて、
「ふんっ、青臭い。気分も滅入るわ」
と毒づいていた。
「何だよ。随分と荒れてるねえ。旦那」
向かい側のやくざ者が声をかけて来た。早坂幸四郎は不愉快な顔を隠そうともせず、じろりと視線を向け、恫喝した。
「同じ穴の狢とは言え、腐肉を漁る者同士で馴合うつもりなぞ無い。口を塞げ」
「へっ、それは御互い様だが、あんたの腕を見込んで頼みが在んのさ」
「くどいっ」
一言厳しく、ギラリと睨むと刀に手をかけ膝を立てた。
完全に斬って捨てる間合いである。
余りにも早い動きにやくざ者は動けず、額に冷や汗を浮かべ、肝を冷やしていた。
「だから、待ってくんな。アンタの命と俺の命にもかかわる話だ。そこの御浪人、あんたにも損はねえ」
早坂幸四郎は悲鳴を押し殺している女を部屋から追立て、やくざ者を睨みつけた。
もう一人の牢人は、生気のない眼を向けながら興味なさげに手酌を進めている。修羅場は其れなりに潜っているのだろう。慌てる様子さえ無い。
「今お前の命はその舌の上に全て掛かっている。精々上手に弁を立てい」
幸四郎は柄に右手をかけたまま、左手で鞘を抑えている。
居合いの構えである。
躰は身動ぎ一つせず手先もぴたりと柄に添えられたまま、震えもしていない。
紛う事無き本物の構えで在った。
ぴんっと張りつめた糸の様な殺気が、一本通っている。
其れを悟ったやくざ者もまずまずの遣い手ではあるだろう。
血の気の引いた顔で動けずにいた。
「い、今、俺たちは嵌められて此処にいるって事だっ。は、早くケツを捲らねえと、色々危ねえんだよ」
その話を聴いて、手酌をしていた牢人の手もぴたりと止まり、
「話を聴いてから二つ胴にしてもよろしかろう」
と幸四郎に話しかけて来た。
当の幸四郎はというと、同じく話を聴いてみようと、ふうっと一息大きく吐き、構えを解いて坐した。刀はいつでも抜ける様にしたままではあるが。
「仔細を早く言わぬと、其処の御仁の剣が気付かぬ程速く、お主の首を刎ねようぞ。或は儂が殴殺してくれる」
口を開いた牢人者の背には、鉄鋲で覆われた棍棒が重々しく立てかけてある。
「こ、この場所に居る俺達ゃあ餌だっ。囮だよ。役人を相手に、俺達が大立ち回りさせられてる間に、何かを奪うか誰かを殺すかしてのけようって魂胆だ。間違いねエ」
ぎろりと幸四郎が殺気を叩きつけながら睨みつけ、ぼそぼそと言った。
「何故に分かる。何故に一人でとっとと逃げ出さぬ。何故にお前は徒党を組みたがる」
やくざ者は冷や汗を掻きながらも、口元に薄笑いをへばりつかせると言った。
「へっ、頭が足りて無えな。物騒な面をひっさげた野郎が三人も一所に居るのに、普通に飯が来て女が来る。此処の番頭や女将は自分の処の使用人の心配はしねえのか。チラリとも姿を見せやしねえ。それにな、元から売られてたとしたら、今から一人で逃げても、その辺りに伏せられた捕り方モドキに打殺されるのがオチってもんだ。俺はそんなに腕は立たねえ」
幸四郎は歯噛みした。己の迂闊さと馬鹿さ加減に。
このやくざ者の言っている事はあっているだろう。
「お前のいう事は判った。少しは目端が利くようだ。では善は急げだ。逃げるぞ」
牢人者が怪訝な表情で声をかけて来た。
「おいおい、待て。何が――」
幸四郎は立ち上がりざまに、腰を上げかけた牢人者を袈裟懸けに一刀の下切り伏せた。
驚いているやくざ者に、顔色一つ変えず幸四郎は云った。
「分からぬのか。此奴は犬だ。紛う事無き犬だ。あの物言いにこの良い身形。食詰め者にしては品が良すぎる故、おかしいとは思っておったが、お前のお蔭で合点がいった。今から逃げる。貴様も精々役に立て。足手纏いならば、先に俺が殺す」
襖を開けて廊下に出ると、前に立ち塞がる恰好になった仲居を突き飛ばした。
「邪魔だっ、どけぃ」
叫ぶ幸四郎に突き飛ばされた仲居は、倒れた拍子に、襖の向こう側で血をしとどに流した骸をみて、大きな悲鳴を上げた。
「何の騒ぎだい。騒がしいねえ」
商人の男は隣で酌をしている小春に尋ねた。
小春は男から御一行の事を聴かれたら、こう答えようと頭の中で何度もなぞらえており、他の事に気を回す余裕も何も無かったので、突然の悲鳴に心底驚いて徳利をひっくり返す始末であった。
「あ、あの、少し待っていて、お客さん」
心配そうな表情で席を立つ小春を見送りながら、商人は、
「商売女の割には随分と初心なことだ。俺の勘もたまには鈍るかね」
ぺろりと舌を出したのだが、その眼の光は余りにも鋭く、余りにも酷薄であった。
にやーんっとキジトラの猫が優雅に歩いて顔を覗かせた。実に見事な綺麗な毛並みで在り、落ち着き方から見ても飼い猫だろう。
商人が目を細めて見ていると、キジトラ猫は不愉快な表情を見せ、ぷいっと余所を向いて、何処かへと駆けだして消えた。
「猫に見抜かれる殺気か……精進が足りねえな」
そう呟いた時に遠くで女の悲鳴がまた聞こえて来た。
「さてさて、あいつ等意外と頭に血が通っていたか。元々の筋書きはちょいと違うが、これはこれで、思いの外面白そうだ。さあて、前払いはしてある。銭の分位しっかりと働いておくれよ」
商人は、そう呟くと目を細めて、人好きのする笑顔を浮かべ、御猪口をあおるともう一杯注いだ。
「美味い酒だ。腸にしみる」
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