第3話 紡ぐ人の輪、繋がる想い

 再びの板橋宿への取って返しである。

 アオの機嫌は元々良くないのだが、余計に宜しく無くなっていた。

 お市に危害を加えようとした人間がいたところに、戻ろうとしているのだから無理もない。


「ぶるるっ、ぶるっぶるるっ」


 アオは、群れの中で一番弱くていう事をきかせられそうな藤次郎に、色々と突っかかり、松井宿へ押し戻そうと鼻で、躰で、色々と試みる。


「もう、さっきからさ、止めてくれよッ、アオっ。姉さん、頼むよ」


「あら、街道筋では馬借で音にも聞こえる、おつかわし屋の跡取り息子が、聞かん坊だからって馬の一頭も手に余るようじゃあ、困ると思うのだけれど?」


 少しばかり藤次郎には意地悪なお市である。

 身内という事もあるのだが、もう少しシャンとする所はして欲しい。

 男なんだからもっと骨太にならないと。

 などという身勝手な思い遣りというか要らぬお節介から出ている意地悪だ。


「まあまあ。こらっ、アオっ。大概にしねえか。どのみち、親分さんの処へ顔出しに行かなきゃあなんねエんだ。頼むからいう事を聞いてくれよ」


 辰吉が軽くそう声を掛けると、渋々アオは従った。

 お市以外では辰吉の言う事だけはしっかりと聞き届けるのだ。

 藤次郎はいつものことではあるが憮然としていた。


「アオ、いつか、言う事を聞かせてやるからな」


 藤次郎はアオに聞き取れないように小さく呟いた。

 何故なら人語をかなり理解するアオ相手には、注意を重ねないと噛みつかれるからだ。

 

「さて、もう少しで着くからな。準備はいいな?」


 お市の一行は事を丸く収める為に辰吉に連れられ、板橋宿の馬借差配、安兵衛親分を訪ねて、賑やかな宿場町の旅籠の通りを進んでいた。

 安兵衛は親分という謂われの通り、関東取締出役から十手と帯刀を許されている目明しでもある。

 本業は、馬借差配に茶店に宿屋と手広くやって懐具合はかなり良い。

 若い頃、おつかわし屋の先代座主の初次郎と共に、少しでも馬借稼業を良くしようと苦労し支え合った者同士で、当然辰吉とも気心が知れている旧知の仲であった。


 板橋宿の賑わいの中でも大きな構えの旅籠の一室。

 青々とした畳が清々しい立派な間で、のんびりとした辰吉とは対照的に、お市と藤次郎はかちかちになりながら、強面の迫力のあり過ぎる安兵衛親分と対面していた。


「成程。それで態々ここまで来たのか。そいつはご苦労なこった」


 安兵衛親分は、誰が見ても迫力も十分にあり強面なのだが、どことなく人を引き付ける雰囲気も持つ。躰も心も大柄の人物である。


「へぇ、という事でして、怪我させちまったお人にお見舞いとしてこれを。もし必要があれば、代官所には、安兵衛親分から届けて下さればと存じまして」


 辰吉はそう云うと、金子の包みと事の次第を子細に認めた書付を差し出した。

 お市と藤次郎はそれを合図に目配せすると両手をついて、深々とお辞儀する。


「心尽くしの何たるかも無分別な、駆け出しの小娘と小僧のお願いでございますが、この通り、よろしくお願い申し上げます」


 お市が口上を述べ、藤次郎と共に揃って手をつき、頭を下げた。

 此処に来るまでに、お市と藤次郎は二人であれやこれやと口上を考え練習していたのだ。

 お市と藤次郎は安兵衛とまともに話したことはなく、顔をぼんやりと覚えている程度で、ほぼ初お目見えに近い。

 安兵衛は、そんな二人の顔を繁々と穴が開くかと思うほどに、眺めている。


「やいっ、辰吉」


 目つき鋭く、語気も荒く、安兵衛が厳しく辰吉を睨みつける。

 お市と藤次郎はその様子に肝を冷やし、ごくりと唾を飲み込んだ。

 余りの迫力である。

 しかしながら、当の辰吉は実に涼しい顔で、にこやかなままであった。


「初次郎の孫って事は、俺の孫も同然なのに、こんな立派な珠のような二人を、何で今まで隠していやがった。ふざけてんじゃあ無えぞ。この野郎」


「兄い。それ、それですよ。二代目の米之助もそれを心配しているんで。兄いのことだ。初次郎の孫であれば、きっとただでは帰さないでしょう」


「当たり前だっ、この野郎っ。前に見たときは初次郎を彼岸に送り出した時以来だぞ。どれだけ前だと思っていやがるっ。この俺はな、今でこそでけえ面下げてはいるが、誰のお陰でこうしていられるのか、お前さんには、知らねえとは言わさねえ。初次郎に受けた恩義がどれだけあると思ってんだっ。この安兵衛を義理知らずの恩知らずにしてえのか」


 大声を上げる安兵衛に、ぴしゃんと雷が落ちた。


「お前様っ。うるさいよっ。こんなに可愛らしい子供たちの前で、何凄んでいるんだいっ。嬉しいからって、はしゃぐんじゃ無いよ。唐変木」


 声の主は、背筋のシャンと伸びた明るい感じの女将である。

 眉根とおでこの広さが、利発で且つ芯の通った心根を感じさせる。

 安兵衛が隣にお豊あり、と言われる程の女傑でもあった。


「お豊。そのな……」


「お前様。お静かにね」


 お豊と呼ばれたその女性は、横目で安兵衛の口を封じると、実にしゃっきりした身形に、面倒見のよさそうな優しい笑顔で、お市と藤次郎に、


「ごめんなさいね。ああ見えても、嬉しくってしょうがないのよ。多めに見てやってね。怖いけど根だけは良い人だからね」

 

 と語り掛け、お茶とお茶請けをてんこ盛りで出した。


「これはね。砂糖羊羹よ。あなた達に是非食べて欲しくって。このかりんとう、とても美味しいの。これはね野沢菜の炊いたやつで、自慢の一品なのよ。そうそう、何か食べられないものはあるかしら。足早の魚屋を頼んでおいたから、海と川の御魚も色々と届くからね」


 安兵衛が口をへの字に曲げて、聞こえるか聞こえないかの声で、


「どっちがはしゃいでんだ」


 と、呟いた。

 辰吉が、苦笑いしながら言葉を継いだ。


「安兄いにお豊姐さん。今日、戻りますんで、お気遣いは程程でお願いしやす」


「何だと、馬鹿言ってんじゃあ無えっ」

「はあ、馬鹿をお言いで無いよ」


 安兵衛とお豊は、見事に声をそろえると、眼を見開いて、辰吉を睨みつけた。

 呼吸もぴったりで、流石、夫婦である。


「今日と明日は二階の桔梗の間が空いてんだ。辰、お前さんはいなくても構いやしないが、嬢ちゃんと坊ちゃんには泊まって貰うぞ」


 辰吉が、苦笑いしながら言った。


「兄い、姐さん。桔梗の間っていったら、ここの目玉。泊り客を追い出してまでってやっちまったら……」


「辰さん。うるさいよ。桔梗の間の客は、もっといい処は無いかっていうから、お隣の鵬雲閣の鳳の間に泊り替えさね。ウチは、看板の桔梗の間を空いたままにはしておけない。わかるだろ」


「いや、姐さん」


 お豊は、苦笑する辰吉を陥落したと見立てて、お市と藤次郎ににこやかに笑いかけた。


「馬と黒い犬には裏手で、飼葉と雉肉振舞っておいたから安心してね。でさ、ほらこのかりんとう、まずは食べて御覧な」


「おう、お豊の作るもんは何でも絶品だ。騙されたと思って、喰ってやってくれ。嗚呼、初次郎よ。孫は任せろ。お前の分まで可愛がってやるからな。安心しろい」


 涙ぐむ安兵衛を見て、お市と藤次郎は顔を見合わせ、そして照れ臭くて笑っていた。辰吉はこれは敵わぬとあきらめて笑顔である。

 縁側には、作りかけの木彫りの観音様が有る。

 どうやら安兵衛の手によるものらしいが、その仏様のお顔は味のある実に慈愛に満ちた表情で、お市は安兵衛の心の裡を垣間見た様な気になり、嬉しく感じていた。


 

 漸く夜明けの匂いが漂い始める刻限。

 辺りはまだ暗いままの寝所で、


「おい辰、辰」


 辰吉は安兵衛に声を掛けられ目を覚ました。

目を覚ましたばかりだが、体を起こした時には、もうしゃっきりしている。


「夜も明けねえ内に済まねえな」


「兄い、困ったことがあるんなら水臭いですよ。何か手伝える事はありますかい」


 辰吉は声も低く安兵衛に尋ねた。


「相も変わらず、水も漏らさねえ男だ。事の語りの手間いらずは変わらねえか。お市ちゃん藤次郎坊に、綾を付けた件の男、源太ってケチな野郎なんだが、仲間の一人、つまりは俺の手下を刺し殺し、金子を奪って姿をくらましやがった。ついぞ今し方の報せだ。元々博徒で、性根を叩き直してやろうとしてたんだがな。野郎には兄貴分が山人の群れの中にいるらしく、繋ぎ迄とって、国越えの算段を前々からつけてたようだ。まあ、書付をホイホイその当りに捨て置いとく、頭の出来の良くねえ野郎だし、お前さんが相手なら、飢狼の様な危ねえ阿呆でも問題ないだろうが、まずは用心してくれ」


「成程、夜が明けたら早々に、帰らせていただきやす。兄いに迷惑は掛けられ無え」


「済まねえな。お市嬢ちゃんに藤次郎坊にはくれぐれも宜しく伝えてくれ。これは迷惑料と土産だ」


 紫色の風呂敷包みを押し付けると、安兵衛は辰吉を睨みつけて静かに言った。


「受け取らねえなんて聞かねえぞ。後、嬢ちゃんと坊に心配はさせんな」


「年寄りとはいえ、鬼安の親分だ。心配は要らねえとしっかり、言い聞かせておきやす」


「鬼じゃねえ。仏の安兵衛だ」


「兄い。俺もまだボケる年じゃあ有りませんや」


「ぬかしやがる。俺たちゃあ、年の外は今も昔も変わらねえ。何でここに初次郎が居ねえのか不思議なくらいだな」


「ええ、その通りで」


 辰吉と安兵衛はしんみりと頷き合っていた。



「女将さん。手伝えることがあったら、何でも言いつけて下さいな。きっと飛ぶようにやってくるから」


「お市ちゃん。有難うね。こんな事になっちまって本当に御免よ。堪忍しておくれ」

 

 お市は、いつの間にやらすっかり打ち解けたお豊の手を握りながら、真剣な眼差しで語り掛けていた。 

 人の懐にあっという間に入り込み、裏表なく人に接して皆に親しまれるお市の特技である。

 藤次郎は、相も変わらず凄いなと思いつつ、羨ましくもあった。


「堪忍だなんて、とんでもない。馬借稼業だもの。大切な荷受けをしくじれば、どんなことになるか、身に染みていますから」


 お豊はウルウルとした瞳で、申し訳なさそうに、お市の手と藤次郎の手を代わる代わる取って、拝むように言った。


「また遊びに来なさいね。本当に約束よ。いつでも、いつでも待っているからね」


 生き別れする母親のようなお豊に、何度も別れを告げると、お市達は、松井宿のおつかわし屋へと戻る為に板橋宿を後にした。

 お市は歩きながら、ずっと辰吉の横顔を眺めていたのだが、ついに意を決した顔になり、


「辰じい。ここまで離れたらもう大丈夫よね。何があったの?」


 と辰吉に切り出した。


「小僧ではありますが、何かのお役に立てるかも知れません。是非私にもお願いします」


 藤次郎も真剣な眼差しであった。

 辰吉は、心底嬉しかった。ほんの少しばかり触れ合っただけの、安兵衛、お豊達のことを強く案じているからこその言葉だからだ。


「へ、一端の口を利けるようになったんだなぁ。よし、それじゃあ、気分の良くない話になるが、よく聞いてくれ。俺たちに絡んできた男の話だが……」


 辰吉の物言いや仕草から溢れ出す雰囲気に、襟を正すお市と藤次郎であった。

 


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