第2話  護るものと小さなささくれ 

 家路につくため街道を進んでいると、人気もまばらになり始めた所に、この宿場筋馬借が三人程たむろっていた。

 揃いも揃って悪人顔で、近付くことも遠慮したいようなそんな連中である。

 そのまま通り過ぎようとすると、何やら雰囲気も悪く無遠慮な視線を投げかけて来る。如何やら値踏みをしているようだ。

 人相にもその人柄が出ている、痩せぎすの粗末な獣皮を纏ったガラの悪い男が、殺気を隠すこともせず、


「おうっ、そこのテメェ等っ。誰のシマ内で馬連れて荷駄運ぼうとしてやがるっ。舐めてんのかっ」


 と懐手に短刀を握り、凄み乍らやって来た。


 お市も藤次郎もやれやれといった表情になり、辰吉に至っては面白そうに笑みを浮かべて眺めている。

 おつかわし屋も馬借稼業にあって牛馬の使い方もさることながら、荷駄を守らせても街道随一と評判になる程で、至極当然のように身内から賊徒に至るまで、強面なぞ見飽きているのだ。


「何だぁっ、てめえ等っ、その面ぁ。俺は此処の縄張を任されているもんだ。分かってんのかっ! 調子にのってんじゃあねえぞ」


 妙に凄んで、真っ赤な顔をして罵りながら近づいてくる。

 手は懐の短刀に掛かったままである。

 馬借は荷駄を運ぶことによって、決して高くは無い駄賃を手にする。

 その為縄張りを侵すものには容赦は無く、又荷駄を狙う者達から、荷を護るという仕事を請け負う事も多く、必然的に血の気の多い者達が集まりやすくもあった。

 馬借自体が追剥ぎの様な真似をする輩も多く居る。


「ここで馬に荷駄積んで通ってんだぁ。素通りさせるかよ。銭と荷駄の全部置いて行け。そうすりゃ、命だけは勘弁してやる。わかったかっ」


 世は徳川様の時代になり、公方様も五代目を数え、漸く人々は戦国という時代を忘れ始めていた。

 だが、長く続き過ぎた戦国の香りは、まだまだ髄所に染み付いて色濃く残り、簡単に消え去るはずも無い。

 現に命の値段は人も獣も未だに然程高くない。

 簪一本、反物一つと折り合いがついてしまう程である。

 しかし、十四の小娘であるお市は怖れるどころか、なにかしの怒りを総身立ち昇らせて、眉根に力が入った表情で、真っ直ぐに凄んでいる男を見つめながら、澱むことなくきっぱりといった。


「私共は、松井宿の馬借座を務めます、おつかわし屋という者共で御座います。此度は手前どもの私用にて買い付けをしに参りました。宿場のお役人様に、こちらの馬借差配の安兵衛様にも、きっちり、お話を通させていただいております。ご迷惑をおかけするような真似は一切致しておりません」


 お市の向こう気の強さが、顔にに大きな瞳の中にはっきりと表れている。

 藤次郎はその様子を見て表情を曇らせた。

 中身こそ間違えてはいないが、この手の男は、お市の言い分に納得するどころか、逆上するのが常だ。

 ああ……やっぱり。

 藤次郎は、凄んでいた男の表情を見て溜息をついた。

 男はぎりぎりと歯ぎしりをし、短刀を握る手が震えている。


「小娘がっ。舐めた口をききやがってぇ」


 藤次郎はお市を庇おうと前に出ようとし、反対にお市に遮られた。


「先程も申しましたが、しっかりと筋は通してございます。こちらの親分さんにお伺いくださいませ」

 

 お市が怒っている。

 理不尽で曲がったことが嫌いなお市としては、当然であるが、このままでは火に油だ。

 それに、あの手の男は怒らせるとまずいことになってしまう。


「安兵衛親分だぁ。今ここを預かってるのはこの俺だっ」


 後ろにいた他の馬借連中が駆け寄って来た。


「おい、待てっ、馬鹿野郎。おつかわし屋の話は聞いただろ。拙いんだよ。分かるか」


 そう一人が声をかけたが、凄んでいる男が真っ赤な顔で、口から泡を飛ばしながら捲し立てた。


「馬鹿野郎はお前ぇ等だ。相手は爺一人と餓鬼二人だけで、後は俺達しかいねえ。だからこいつらを毟り取っても、誰も何も謂いやしねぇ。わかるかっ。馬借稼業は舐められたら終いだ」


 やはりそうなるか、と辰吉は苦笑しながら、これ以上はお市と藤次郎には手に余ると、二人をを下がらせてゆるりと前に進み出る。

 ただそれだけで空気が変わった。


「手荒な真似はしたくねえんだ。それに、後々、お役人様や親分さんに筋を通した俺達に厄介事を構えると、お前さん方は具合の良くない事になっちまうぞ。ドスはのんで引き下がれ、な」


 相手に心配そうに声をかけつつ、ひょいと前に出て凄んでいる男をたじろがせる。

 柔らかい物腰に、何の力みもないのに、それが静かな凄味となっている。

 

(流石ね、辰じい)

 

 お市は辰吉を見て感心一頻りであった。

 こういう場面での辰吉の安心感たるや揺るぐところが何処にもない。

 辰吉の後ろ腰には、帯に挟んだ、芝居にでも使いそうな特製の大煙管がある。

 意匠を凝らした龍の容の鋼造りで、何よりその大きさが尋常ではない。

 半分は護身用として造られ、実際にあちこちに凹みや傷がある。

 辰吉は馬借であるのに護り刀を持たない。刀が嫌いで、この大煙管を持ち歩いているのである。

 お市はそれを見るたび、この辰吉と言う重厚で思慮深い男の半生を、想像せずにはいられないのだった。

 祖母の若い時からの、知り合いという処までは聞いたことがあるのだが、一切を語らず、また聴ける雰囲気でもなく、今に至るのだ。


「馬鹿にしやがってぇっ」

 

 男は辰吉の言葉を聴いて余計に逆上したが、辰吉相手は最初から敵わないと踏んでおり、相手をすると見せかけて、お市の方へ実にすばしっこく駆け寄った。

 女の餓鬼は隙だらけだ。餓鬼の喉元に白刃でも当ててやりゃあ、直ぐに泣き入れるに決まっている。この手の奴等は皆そうだ。

 肚の中で毟り取った後の懐具合を算用しつつ、男は懐から短刀を抜いた。


「いけねえっ、止せっ」


「うわっ、なんて事を」


 辰吉と藤次郎の顔色が変わった。

 二人は瞬間にお市の事では無く、男の事を心配したのだ。

 よりによって、アオと黒丸の前でお市に害を加えようとするとは……。

 しかし、もう遅い。

 アオは老馬とは思えない動きで短刀を握った男の腕に噛みつくと、そのまま力任せに放り投げた。

 放物線を描きながら飛んでいく男を追って、鬼ですら噛み殺しそうな表情をした黒丸が、飛燕の様に地を縫う影の矢となって追いかける。

 黒丸の視線の先は男の喉笛にある。確実に仕留める動きであった。


「駄目よっ。黒丸っ」


 厳しいお市の声がした。

 宙を舞う男の喉笛を、嚙み裂く寸前だった黒丸は、がちんと牙を鳴らして納めると、身を捻って着地した。

 男は大きな音を立てて、近くの立木に身体を打ち付け、呻き声を上げて動かない。

 倒れた男に駆け寄って、更に踏みつけようとするアオを、お市が必死に抑える。


「蹄をかけては駄目ッ。アオっ、抑えて。黒丸っ、牙を収めてっ」

「ぐるるるる」


 言いつけを守って、黒丸は動きを止めたが、怒りはそのまま低く唸っている。

 おかしい動きを見せたら噛み殺してやるとばかりの勢いであった。


「黒は任せてっ」


 藤次郎はすぐさま、黒丸の首を抑えにかかった。


「アオ、私は大丈夫、大丈夫だからっ」


 お市はアオを宥めすかすと大きい声を出した。


「辰じい、その男の人をお願いっ」


「おうっ。任された」


 辰吉は男の許へ駆け寄ると、あれこれ様子を見ていたが、お市と藤次郎へ振り返ると言った。


「こいつは、気を失っているだけで、命にまでは及んでない。おいっ、そっちの兄さん方。腕が折れているようだから、すぐさま医者に連れて行け。あて木はしといてやる」


 辰吉は手際よく、手拭と木の枝で男の腕を縛った。そうしながら、近付いてきた別の馬借達に、


「この一件、騒ぎ立てる様であれば、代官所に関所のお役人の方々、あんたらの安兵衛親分にも色々と筋を通さなきゃなんねえが、どうだ」


 と尋ねた。

 男たちは眼を見合わせ乍ら、倒れた男を拾いあげ、活を入れ叩き起こして、


「此奴が勝手に転んじまって、おつかわし屋の皆様にはご迷惑をお掛けして、申し訳も無ぇこって。また折れた腕の手当までご親切頂戴しやした。有難いこってす。あっしらはこれで失礼しますが、皆様の恙ない旅の無事を祈っておりやす」


 深々と頭を下げると、腕を折った男を小突きつつ抱え乍ら歩いていく。

 お市はは去っていく男達を見ながら辰吉へ言った。


「辰じい。あの男の人、大丈夫かしら?」


「ああ、命には別条はないよ」


「ううん、そうじゃあなくて、あの怪我をした人何か嫌な感じがしたの」


 ホウと辰吉は感心し、藤次郎もうんと頷く。


「お嬢。いい処をつくな。ありゃあこのままじゃあ、済まねえな」


 藤次郎もしたり顔で頷くと、辰吉に尋ねた。


「あの怪我をしたお人は、一言も口を利かずに行ってしまいました。あれはどのように解釈すればよろしいのでしょうか?」


「悪かったと頭も下げねえ。痛ぇとも泣いたり喚いたり叫んだりもしねえ。これは拙い。要は、何にもないってのが味噌だ。腕が折れる程アオに放り投げられ、彼方此方痛くてしょうがないのに、泣き言も恨みつらみも何にも無いの無い無い尽くし。これは肚に一物据えた野郎のする事。この恨み晴らさでおくべきかってところだな」


 辰吉は笑顔で両手を幽霊の様にぶら下げて言った。

 お市は「成程」と感心し、藤次郎は凄い事をさらっと云うお人だと、尊敬の念をもって辰吉を見上げた。

 お市が言葉を続ける。


「ではこのままでは、あの男の人に意趣返しをされてしまう事もあるのかしら?」


「姉さん、直ぐにそうはならないと思うよ。でも何か手は打たないと駄目だと思う」


 ふむ、と藤次郎は腕を組み顎に手を遣ると考え込んだ。

 十二になったばっかりの少年が取る姿ではない。

 一々動作が大人びているというか、爺臭い。

 恐らくは藤次郎が敬愛して止まない、目の前の辰吉に、師匠と仰ぐお武家の御隠居様のせいであろう。


「先ずは此度の一件を、安兵衛親分の御耳にお詫び方々入れておいて、代官所のお役人にも鼻薬を入れて、角を立てず、丸く収めて貰えるよう、よくよくお頼みする。これでどうでしょうか?」


 辰吉はその答えを聞いてうんうんと頷いて、


「藤坊の齢でそこまで考えられりゃあ上等も上等。俺の若い時何ぞより、よっぽどしっかりしている。こりゃあ、将来が楽しみだ」


 とこれまたニコニコしている。

 お市が不思議顔で、したり顔の二人に尋ねた。


「あの人のしたことは、褒められるようなことじゃあないけど、腕折れたのはアオのせいだし、働けないであの人困るでしょ。窮すれば何とやらだから、少しばかりでも御あしを渡して、口凌ぎにしてあげた方がいいんじゃあないかしら。そしたら有難うって思ってくれるでしょ」

                       

 喉元に白刃を突きつけられたかもしれないのに、善意を以て応じるのは当たり前で、何故考えてあげないのと言わんばかりの表情である。

 それを聞いて、辰吉が笑いながら、優しく頷いた。


「実にお嬢らしい、いい考えだ。ただ、この世の人が、皆が悪い奴ともいい奴とも限らねえのが、浮世の辛い処。甘く見ていると痛い目にあっちまう。だからと言ってやりこめ過ぎても、自分に跳ね返る。いい塩梅って奴が要るってもんさ」


「いい塩梅……難しいですね」


 しかめっ面の藤次郎をしり目に、辰吉の言葉にお市は、


「辰じいが居れば大丈夫。あたし達がもっと大人になった時、うんと楽してもらうから、それまではどうぞ面倒を宜しくお願いします」


 にっこり笑って、ぺこりと頭を下げる。

 全てを悪意なぞ微塵も無い素直な気持ちと言葉で、打ち流してしまった。

 眼を白黒させる藤次郎に、苦笑を浮かべる辰吉。

 その様子を苦々しく見ているアオは鼻息も荒くまだかと、前足で地面を掻いて催促し、お市の機嫌が良さそうなので、ついつい自分も嬉しくなり、辺りを跳びはねる黒丸であった。


「まあ、仕方ないなぁ。兄ぃ……親分さんの処まで足を延ばすとするかい」


 辰吉は頭を掻きながら誰に聞かせるでもなくそう呟いた。


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