第6話 嫌な奴ほど記憶に残る

「礼門さん、すみません。本を貸してください」

 そう言ってふすまを開けた侑平だったが、部屋の主である礼門の姿はそこになかった。

「あれ?さっきまでいたはずなのに」

 どこに行ったのかなと腕を組みつつ、部屋の中へと目を向けた。相変わらず、いつ見ても壮観としか言えないほどの本がある。壁一面に積まれた本たち。さらに生活スペースを侵食し、もはや礼門はどこで寝ているんだと言いたくなる、床に散らばった本たち。

 寺の二階であるこの部屋に、こんなに本を積んでいていいものかと、悩まなくもない。そのうち、二階が重くなりすぎて、寺が倒壊するのではないか。そんな懸念も生まれる。向かいの部屋に住む侑平としては、かなり心配なことであった。

 しかし、ここにある本は、礼門が千二百年生きてきた証でもある。今は物理学の准教授だが、かつては医者だったこともある。しかし、その本業は陰陽師。なんとも複雑な御仁なのだ。

「さすがに勝手に探すのは拙いよな」

 で、侑平がここに来た理由は、物理学の本を借りるためだ。一応、侑平は物理学科の学生。妖怪ばかりに構っていられない。真面目に勉強と、気合を入れるために借りるのだ。

「ん?」

 そんなことを考えていたら、一冊の本が目に留まった。やけに古く、そして妙にくたくたな一冊。明らかに他のホントは違う感じだ。

「し、失礼します」

 と、礼門はいないが断りを入れて部屋に入り、その本を手にする。和綴じの古い本だ。江戸時代のものだろうか。

「やべっ。価値のあるものだったらどうしよう」

 侑平は無造作に掴んじゃったと後悔。しかし、古いからという理由だけではないよたよた具合。明らかに礼門が読んでいる。

「えっと、画図百鬼夜行」

 タイトルを読んで、はてと侑平は首を捻る。百鬼夜行ってあれだよな。妖怪が大挙して練り歩くやつと、その意味を思い出す。

「何なんだ。この本」

 中をぱらぱらと見ると、妖怪の絵がわんさか出てきた。ああなるほど、これで妖怪の流行のチェックをしていたのかと、すんなり理解できるのは、侑平の柔軟な頭だ。

 それにしてもこの本、書き込みがしてあったり端を折って印が付けてあったり、かなり読み込まれている。

「江戸時代にも妖怪ブームってあったのかな」

「あったよ」

「ぎゃああ!」

 誰もいないと思って呟いた独り言に返事があり、侑平は飛び上がる。見ると礼門だった。

「れ、礼門さん。どこに?」

「住職に呼ばれてね。卒塔婆の代筆を頼まれたんだ」

「は、はあ」

 そういうこともやるんだと、侑平は呆れるやら感心するやら。というか住職。自分で書かないんだ。さすがは元サラリーマン。

「それで、ファインマンの教科書に関する本だったな」

「あ、はい」

 侑平がここに来た理由もちゃんと覚えていると、礼門は笑った。しかし、侑平の手にある本を見て固まる。

「あ、あの、勝手にすみません」

「いや。最近は見てなかったなと思っただけだよ」

 侑平が差し出した本を、礼門は懐かしそうに受け取る。が、その本をぐにゃっと折り曲げてしまった。

「れ、礼門さん」

「今思い出しても腹が立つ。さっさと燃やしておけばよかった」

「――」

 聞かない方がいいんだろうかと、そんな思いもする一言。礼門も、侑平が横にいたんだと気まずそうだ。

「その本、ひょっとして妖怪ブームの火付け役とか」

「ああ。そのとおり」

 さすがだなと、礼門は褒めてくれるが、心中は穏やかでないらしいことは、すぐに見て取れる。よほど江戸時代にイライラしたらしい。

「あの」

「この本の作者、つまりこの妖怪画を描いた奴が腹立つんだ」

「作者?」

 ブームではなくと、侑平は首を捻る。礼門は今でも有名人だという事実も腹が立つと付け加えた。

「有名」

 とはいえ、侑平は知らなかった。というか、妖怪は実際に見えてしまうため、そういう類の本は見ない。見ると必ず

「あ、それ。俺」

 とか、余計なちょっかいを出されるからだ。

 妖怪は自分の絵を見てもらうと喜ぶところがある。たぶん、認識されるからだろう。で、ついでに見える侑平に存在をお知らせしてくれるわけだ。迷惑この上ない。

「鳥山石燕といってね。こいつのおかげで妖怪はどんどん増える。人々は面白おかしく妖怪を認識するで、まあ大変だった。しかもそいつ、俺の能力を見抜いて、作画に協力しろとか言い出してな。ふざけんなよって話だ。こっちは妖怪を減らしたいの。どうして増やすのに協力するんだ!」

 喋っているうちに思い出したのか、礼門の怒りのボルテージが上がる。普段、取り乱したところを見ないだけに、怖い。

「あ、悪い」

「い、因縁の相手だとは理解しました」

 だから本がボロボロだったのかと納得。怒りで折り曲げ、しかし噂の正体や妖怪の正体を特定するのに使い――なるほど、心中穏やかではいられないはずだ。

 そういう、思い出のある本も、ここには埋もれているのだなと、侑平は積まれた本たちに目を向けたのだった。

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