彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら

中原恵一

彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら


「やべえ、これ。マジでなんて言うかやべえ」

 そう言って彼は、人目も気にせずストローにしゃぶりついた。鼻息を荒げながら勢いよく黒い真珠を吸い上げるその姿は、まるでお母さんのおっぱいをくわえて離さない赤ん坊のようだ。

 今私の目の前で、最近大流行しているタピオカミルクティーを夢中で吸い上げているこのやせ細ったメガネ男子――コイツが私の彼氏だ。正直見た目的にはすごくイケメンじゃないし、似たような見た目の普通の男子なら付き合わなかった。

 でも、彼は外国人だ。

「陳君、ちょっとはしゃぎすぎじゃない?」

 ここは渋谷のセンター街にあるとあるタピ屋の前だ。周りのタピオカ女子たちを含め雑踏が私たちを避けて歩いていくのが分かる。私は苦笑いしながら、陳君を軽くたしなめた。

「いいだろ! おいしいだから、ミカちゃんも飲むよ!」

 彼は相変わらず子供のようにテンション上げ上げだった。

 台湾人の彼氏ができてから三年が過ぎた。三年前、たまたま語学留学していた台湾大学のキャンパス内で偶然彼と出会い、面白かったのでそこから付き合い始めた。

 最初は優しくて、中国語も教えてくれて、いい彼氏だと思っていた。だが長く付き合う内に、だんだん彼の日本語力の低さが露呈してきてなんとも言えない気分になってきた。台大の学生でもこんなバカがいるとは……。

 この日は夏も近づいて、蒸し暑さで私はイライラしていた。

「アタシもう飲んだからいいよ……。そもそもこれで何杯目?」

 私は彼に付き合ってもう五軒近く渋谷中のタピオカミルクティー屋を行ったり来たりしていた。普通の人間なら一軒目の一杯以降飲むはずもなく、私はただ歩き疲れていた。タピオカは意外とカロリーが高いからそんなにたくさん食べたくはない。

 しかし彼は相変わらず楽しそうに言う。

「三杯目! 台湾でもこのようなおいしいのタピオカないだよ! これなら、毎日タピる!」

 タピるなんていう動詞は覚えなくてもいい。早くN1に受かってくれ。私は少し毒づいた。

「最近、タピオカミルクティーばっかりじゃん。他のものも食べようよー」

 しかし外国人にこんな婉曲な言い回しでは真意は伝わらない。陳君はすかさず歯に衣着せず言い返してきた。

「日本の食事マズいだよ! 全部しょっぱいか甘い!」

 それを言ったら、台湾の食事も私には合わなかった。私はパクチーが苦手で、何度食べてもやっぱりゲ……おいしいとは思えなかった。

 しかしその言い方は刺さるなー。

 そう言い掛けたのをぐっと飲み込んで、私は同情するフリをした。

「そっか……。食事が合わないのはつらいよね」

 彼はやけに真剣な表情でこう叫んだ。

「そうだよ! だから私、タピオカしか愛するだよ! タピオカは私の命!」

 待て待て。ちょっと日本語がおかしいぞ。

「『タピオカしか愛せない』じゃない?」

 そういえば、外国人にとって「しか」を使うのは難しいみたいだ。「しか」と「ない」が前と後ろでセットになるからだ。

 陳君はドラマみたくしまった、という表情をして、軽く自分の頭を叩いた。

「あ! 私、また間違えた! そう! 『タピオカしか愛せない』」

「うんうん、よくできました」

 一瞬、なんか癪に障る言い方だなと思って顔をしかめてしまったが、まあよしとしよう。

 たとえ彼氏がタピオカしか愛せなくても、故郷の味が忘れられなくても、アタシはアタシで彼の側にいればいい。

 そんなことを思った。

 最後のタピ屋を後にして渋谷駅へ向かう途中、彼がこんなことを言った。

「そういえばミカちゃん、最近中国語の勉強どう?」

 私はため息をついた。

「うーん、全然上達してないかなぁ」

 台湾のドラマをたまに見ているが、やはり字幕がないと何を言っているかさっぱり分からない。中国語の字幕をつけてみたりもしているが、字が流れるのが速すぎて目で追えないこともある。

 私はいい機会だと思って、質問してみた。

「陳老師せんせい、タピオカミルクティーって中国語でなんていうの?」

「珍珠奶茶」

 陳君は人が変わったようにすさまじいスピードでその単語を一息に言ったので、当然聞き取れなかった。私は再び甘えるフリをした。

「もうちょっとゆっくり言ってよ。リスニング苦手なんだから」

「珍、珠、奶、茶。珍珠奶茶」

「……ゼンズーナイツァー?」

 私は一生懸命言ってみたつもりだったのだが、私の発音がよほどおかしかったのか、彼は大げさに噴き出した。

「変な発音! とてもおかしいだよ!」

 ホント容赦ないなぁ。

 私は再びため息をついて、ちょっとだけ怒った。

「陳君の日本語もおかしいよ!」

「そう? 私の日本語、基本没問題だいじょうぶよ!」

 陳君はそう言って、七月の太陽の下でにっこり笑った。彼の笑顔は子供みたいに無垢で、可愛くて、なんていうか守ってあげたくなった。年上だけど。

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