第3話 太陽が沈み始めた頃

「星川さん、おはよう。」


最近、奇妙な変化を遂げた人物がいる。


「お、おはよう、深海。」


その人物というのは、今まさに私に向かって挨拶をした男、深海 怜也りょうやのことである。


「私、なんか顔についてる?」

「いや別に…」



見すぎだ、別になんて言っておいて見すぎだ。

どう考えても妙なのだ。

一年生の時も同じクラスだったのだが、当時はどこか人を寄せ付けない暗い印象があり、一度も言葉を交わしたことがなかった。二年生になれば、クラスは別々になり、正直深海のことなど全くと言っていいほど覚えていなかった。

そして三年生になり、もう一度同じクラスになったのだが、あの暗い印象が軽減されたせいか、少しとっつきやすくなったのだ。

またそれだけではなく、事ある毎に私に話しかけてくる。



「深海、ちょっと見すぎなんだけど。」

「え、あー、そっか。」

「はぁ…?え、まってまって、怖いんだけど。」



口角をぐいんと上げるが、目の底が全く笑っていない。



「あ、ごめん。」



話しかけてくるとは言っても、もともと接点など無いもので。無理に話している感じが否めない。


深海はほんの少しだけ、人とのコミュニケーションの取り方が独特なのだろうと思う。



「チャイム鳴ったよ、席付きなさい。」

「じゃあね、星川さん。」




深海が人と話しているところをあまり見たことがないからよく分からないが、なんと言うか物理的には距離を置きながらも、精神的には平気で人のパーソナルスペースに踏み込んでくるという、なんとも説明し難い手法を用いて距離を縮めようとしているような気がする。

もしかして私、深海 怜也に懐かれているのか…?



気がつくと深海が私の方をじっと見ていた。私はやはり、よく分からなかった。







「本の延長手続きお願いします。」



いよいよ今日が、儀式の日だ。

新月の日の太陽が沈み始めた頃。

日が長くなりつつあるので、まだ時間に余裕がある。




「星川さん」

「あー、深海」


なんとなく気まずいんだよな、深海といるの。威圧感がすごいし。



「何その本、何借りたの?」

「や、これはちょっと見せるわけにはっ、」

「良いじゃん、毎日挨拶する仲でしょ。」


それは君ががそういう仲を無理矢理作り上げただけである。


「やーだよ、なんで。」

「え、俺たちマブダチじゃないの?」

「え、マブダチの定義なんだと思ってるの?」

「まってまって、だって今確実に俺と一番時間を共にしているのは星川鈴菜さん、貴方だよ。」







「はぁ?」


数秒間の挨拶、無理矢理引き留められて何を話すわけでもなくただ気まずさを感じるだけの数分間。一週間合計してもせいぜい十分程だろう。



「俺、友達と小説を共有するの夢だったんだ。」


深海ってもしかして、


「友達いないの?」

「え、」




あー、流石に聞いちゃまずかったかな。

元々闇を感じる人だと思ってたけど、心做しかいつもよりもより闇を感じる。



「あー、ごめんごめん、冗談きつかったよね。」

「もしかして気がついてなかった?」



な、なんだこの人、闇を抱えた雰囲気を醸し出しながら、実は特に何も抱えていないのか?



「まぁ一応、星川さんの他にもう一人友達はいるよ。」



ひとまず良かったのか…?そうなんだろうな、うん、多分だけど。

敏感な話題かと思って、正直焦ったけど、想像以上に深海は何ともない様子だ。




「星川さーん、うちで飼ってる金魚(餌やりする時)になってるよ。」

「はっ…!!」



煩いよー、と気だるげな司書の先生の声が遠くの方で聞こえる。



「し、深海って冗談とか言えるの?」

「ん?言えないよ、冗談とか得意じゃない。」

「おい、それじゃあまるで私が本当に深海が飼ってる金魚(餌やりする時)と同じような顔してるってことじゃん。」

「だからそうだって言ってるじゃん。」



危ない、深海といると少し言葉遣いが荒くなる。

私は可愛らしい女の子になりたくて、兄貴に使ってるような言葉は絶対使わないように気をつけてるのに。




「とにかく私、この後用事がありますので、御機嫌よう。」



深海は一度きょとんとすると、途端に目を輝かせた。


「もしかしてそれが冗談?」

「……っ、ちがわいっ…!!!」


私はズカズカ音がなりそうなステップを踏みながら図書館を後にした。

フューチャリングは司書の先生のお叱りの声だ。










だめだ、深海に気を取られている場合ではない。今日は私の人生を変える日だ。


忘却の儀式に必要な、忘れたい人物に一番関連のあるもの。もちろんうさぎのマスコットだ。


あまり余計なことは考えないようにしよう、覚悟を決められなくなってしまう。



海に辿り着き、例のボトルを取り出してみると、汚い沈殿が出来ていて不安になったが、まだそれほど日数は経っていない。

よってこれは材料のせいだ。



「うげぇ、不味そ。それもこれも七瀬俊のせいだからなー…」




人が居ないのを良いことに、初めてそんな気持ちを吐き出してみた。

思った程スッキリはしなかった。





それに少し腹が立って、砂浜に直に胡座をかくと、忘却の書を取り出した。



第二章、忘却の儀式を執り行うにあたり、差し出すものが必要だ。



それが私自身、らしい。




「意味わかんねぇな…」



死ぬのだろうか、死ぬから忘れられるということなのだろうか。

そう思ったら怖いな…

まぁでも、胡散臭い本に書いてあることだし、本当に先輩のことを綺麗さっぱり忘れることが出来るなんて思ってもないしな。

忘れる方法なんていくらでもあるだろうし、取り敢えず数打ちゃ当たるだろと、そんな浅はかな考えしか持っていない。





忘却の書の表紙にその人と一番関連のあるものを乗せ、それを右腕で抱え込むように持つ。

左手でボトルを持つ。


太陽が沈み出したら、その液体を一度で飲みきる。飲み終えたら三回、忘れたい人物の名前を唱える。







目をぎゅっと瞑ると、液体を口に流し込む。


うわ、これ想像以上に不味い。

酸味と苦味と擦りきれなかった小骨。

それを必死に飲み切って、痺れた舌を無理矢理動かす。


「七瀬俊、七瀬俊、七瀬俊。」




怖くて目なんて開けられない。

どうしよう、目を開けたらすぐそこに、兄貴の読んでるマンガに出てくるような悪魔が舌舐めずりしながら私を見つめているかもしれない。



「おーい、どうしたの?」



舌舐めずりしながら…



「ねぇ、大丈夫?」



悪魔が…



「まぁ、いっか。僕もう帰るね。」




目をばちっと開けるとそこにはある意味悪魔が立っていた。



「あ、やっと目開けたね。」



音にならない息がスカスカと不格好に漏れ出す。




「な、なな、なな」

「んー?」




さっき沈み始めたはずの太陽が、元の高さに戻っている。

そのせいで悪魔は逆光で暗く影がかかっているが、このふわふわした喋り方。

中性的な声色。



「な、なせ、せんぱい、だ…」







どうした事か。

時間は少し戻っている?

でもここには誰もいなかったはずで、そもそも私は七瀬先輩を忘れようとしていたわけで。




「りょーくん、先輩後輩ごっこしたいんだね。」

「は、りょーくん…とは…」

「あれ?記憶喪失ゲーム?」




【りょーくん】とは、一体誰のことだ。もしかして貴方は新しく出来た好きな人(年上)のせいで、その人以外の女の人は男の人に見えるようになってしまったのか?




「おーい、りょーくん、深海怜也くん。」



正気か、いや、私が正気ではないのか?

どうなんだ、もうよく分からなくなってきた。

私はどう考えても…え、深海怜也…?




「深海怜也って、友達二人の?」



失礼な言い方だが、私は深海についてこの程度の情報しか持っていないマブダチなのだ。というか、私、声が深海みたいに低いんだけど。あれ、本当に深海なのかな?


「りょーくん友達増えたんだ、良かったね。」

「は…」

「じゃあね、僕ほんとにもう帰るよ。」





七瀬先輩と目線が合いすぎている。もう少し差があったはずだ。

いや、おかしい、どうかしてる。



ハッとして自分の体に触れてみると、ゴツゴツした感じ、掌を見ると明らかに私のよりも大きい。





「待って!!」




七瀬先輩がゆっくり振り返った。




「き、記憶喪失ごっこ、しよう。」



夢か幻か。


どちらにせよ、早く覚めてくれ。





「何その本、また難しいの読んでる?」

「内緒。」

「まぁいいか、じゃあ手始めに、家に連れて帰ってあげる。」




焦って背中に隠した〈忘却の書〉。

乗せていたはずのうさぎのマスコットがどこかに消えている。そう言えばボトルも。




夢なのか幻なのか、本当によく分からない。ただ夢や幻にしては、うまく出来すぎている。


潮の香りも、砂の肌触りも。

冷や汗をかく感覚も、先輩の息遣いも。




もしかしたら、これが〈私自身を差し出す〉ということなのか?

だとしたら、本当に今度こそ、先輩を頭の中から追い出せるかもしれない。




淡い期待を抱きながら、先輩の背中を追いかけた。


七瀬俊、七瀬俊、七瀬俊。

久しぶりにみたらやっぱり少しだけ胸が痛い。

























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