第32話 まどろみの中で

 死んだ、死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ。

 死んで生き返り、死んで生き返った。

 痛みは魂に刻み込まれ、忘れえぬ呪いとなり血管を巡り続ける。


 キツイ、苦しい、痛い、辛い。もう駄目だ、もう止めたい。

 永遠に続く暗闇の中で、俺は血反吐を吐きながらそう嘆く。

 殺してくれ、死にたくない。

 痛いのは嫌だ、キツイのは嫌いだ。


 キツイ事、辛い事、厳しい事、面倒くさい事、その全てから逃げ引きこもって来た罰がこれなのだろうか?

 俺が全て悪いのだろうか? 世界は俺に優しくなかった。ほんの少し歯車の噛み合せが悪かった。ずれは次第に大きくなり、俺は世界から外れて行った。


 引きこもりたくって引きこもっていた訳じゃない!

 コミュ障になりたくてなった訳じゃない!

 俺だって普通の人生をごく普通に歩いて行きたかった!

 けど、俺にとってそれはとてつもなく困難な道だった。

 とても、困難な道だったんだ。


 全身に刻み込まれた傷痕から黒い泥があふれ出す。

 これは罰なのだ、これは罪なのだ。弱い事は害なのだ、無能は悪なのだ。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。


 死にたくない、助けてくれ。


 誰からも認められたことのない人生だった。

 独りぼっちの人生だった。


 けど、けど!


「イザベラ……」


 彼女は認めてくれた、彼女だけが認めてくれた。彼女は暗闇に差す一条の光だった。

 痛いのは嫌だ、苦しいのは嫌だ、キツイのは嫌だ。


 けど……。


 彼女の為ならば頑張れる気がした。

 彼女の為ならば耐えられる気がした。


「もう少し、もう少しだけ……」


 理解できる。俺に残された時間はもう少しだけだ。

 ただの人間である俺があんなことにそう長い事耐えられる訳はない。軽自動車にロケットエンジンを積んでいる様なものだ。

 フレームはガタガタに歪み、分解していないのが不思議なほど。


「もう少し、もう少しだけ……」


 ★


「もう少し、もう少しだけ……」


 定まらない視線で、そううわ言を呟くケンジを私は思い切り抱きしめる。


「もういい! もう大丈夫だから!」


 ケンジはよくやった、よくやってくれた。だが、ケンジは私の声なんて聞こえてないように、ブツブツと呟き続ける。


 ケンジは目覚めた。だが、その意識は未だ戦場に在り、私達の元へは帰ってきてくれていない。


「姫様……軍議の時間です」

「うん。分かってる」


 ケンジが寝ていた4日間の間に、王国はどうしようもない所まで押し込まれていた。帝国軍の進軍はまさしく電撃の如き速さで行われた。

 エマレ・シュターク要塞を突破して来た敵軍を、敵本陣と勘違いした自軍は、デノスハイムを突破して来た敵本陣により包囲され壊滅した。

 奴らは我が主力部隊を平らげた後、王国の武器庫である帝国北部のガストークを壊滅させ、悠々と王都ミランへと進軍中とのことだ。


 何故こんな事になってしまったのか、兄上たち王国の首脳が私の進言を受けて入れてくれていればこんな事にはならなかったのか?

 勿論それも大きな要因のひとつだろう、だが何よりも異なるのは敵軍と我が軍の速度の差だ。

 我々が長考の末ようやく一手打つ間に、敵は二手三手と矢継ぎ早に打ち込んでくる、それも的確に急所を狙ってだ。


 進軍速度の差、情報伝達の差、あるいはその両方において我が軍と敵軍の間には隔絶した差があった。

 先の大戦にすくみ上った我々が強固な防壁の中で安寧の時を過ごしている間に、彼の軍は内乱の中で鋭利な矢を研いでいたのだ。


「だけど、このままって訳にはいかないわ」


 そう、いかない、いってたまるか。

 やられっぱなしは性に合わない。

 方法なんてわかんないけど。

 それでも私は生きているから。

 みんなの分も生かされているから。



「遅れてごめんっしょ! それで現状は?」

「ここモンサットに動きはありません。ですが敵軍は王都まで直ぐの所まで迫っているとの報告です」

「そうね……他には?」

「ラスコー防衛線を指揮するシュタニア様より連絡が入りました」

「そう! なんて言ったの!」

「ラスコー防衛線は鉄壁であると。それから予備兵力を王都に派遣しており、その補給の為ここに立ち寄らせてもらうとのことです」

「……こちらの現状は伝えてあるのよね」

「……はい」


 今のモンサットは廃墟同前。補給もへったくれもありはしない。ここに立ち寄った所で、この街を監視する敵残存兵力との遭遇戦になってしまわないだろうか。


「派遣される兵は、第55師団と言う事です」

「マジで! 予備兵力どころか本命中の本命ジャン!」


 王国第55師団は、ラスコー防衛線、いや王国でも最強と言われる精兵だ。その練度と装備は王国軍の中でも最強無比。


「まぁ幾らラスコーが鉄壁でも王都を落とされちゃ何にもならないからね。それにしても流石お姉さま、思い切った事を」


 これではラスコー防衛線を予備兵力で守る事になる。情報が錯綜する中、よくそこまで思い切った真似が出来た事だ。


「はい、シュタニア様は大局がお見えになっているお方でございます」


 兄上たちにもこの視点が……いやすぎた事だ。今は今後の事を考えなくては。

 現在モンサットは敵残存兵によって広く薄く包囲されている。これはケンジの魔法を警戒しての事だろう。


「55師団の到着予定は?」

「明日の明朝が予定されています」

「昼夜を問わぬ強行軍と言う訳ね」


 魔道兵器による自動化が進んでいる第55師団ならではのスピードだ。

 だが、不安が無い訳ではない、いや、それどころか不安だらけだ。

これで何とか速度においては並ぶことが出来る。だが、数の上での劣勢は明らか。今更一個師団が戦線に加わった程度で何になると言うのか。


 速度、速度、そう速度だ。私たちが今生きているのはその速度のおかげでもある。今までの蛮族ならば、必要に、念入りに都市を蹂躙し、略奪を行っていった。

 だが今回の進軍は違う。敵は略奪よりも進軍を優先し、そのおかげで私たちの命はある。


「そもそも、敵は何故あんなにも急いでいるのかしら」


 奇襲や急襲は弱者の戦法だ。だが、敵軍の戦闘能力は圧倒的、そんな小細工などしなくても良いように思えるのだが。


「少しでも損耗を抑える為……に?」


 おかしい、何かがおかしい。敵は私たちが思っているよりもずっと脆いのではないのか?


「ってリリアノ! この街を襲った敵総数はどれぐらいだったっけ!」

「はっ、数万の軍勢であったとの報告がございます」

「数万、数万よね、それって変だと思わない?」

「何を……おっしゃりたいのですか?」

「あの森を、デノスハイムの森を数万の軍勢が行軍することは可能?」


 数万の軍勢を養うだけの輜重隊、それが一体どれだけの荷馬車の群れになるのかなんて想像もつきやしない。


「可能だったのではないのですか。実際に我らはその軍勢に……」


 そう、負けた。だがリトエンド防衛隊はわずか数十人の規模だ、練度ではどこにも負けない自負あるが、それでも十倍、百倍の兵に攻められればなす術はない。

 逆に言えば、リトエンドを落とすのに数万の軍勢などは必要としないと言う事だ。


「ねぇ、帝国は300年にわたる内乱を経験してきているのよね」

「そうですね。詳細は分かりませんが、その様な噂です」


 そう、内乱だ。300年にもわたる内乱だ。それなのに、それだけの軍勢を用意することが出来るだろうか?


「まさか姫様」

「蛮族の中には幻術を得意とする種族も多いと聞くわ。ならばそれを利用して実際よりも兵を多く見せる事は出来ないかしら」

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