第27話 勇者の代償

「げほっ、がはっ」

「ケンジ! しっかりして! ケンジッ!」


 ケンジの状態は酷いものだった。顔色は死人のように青白く。真っ赤に染まった口元はそれを不吉に強調している。


「姿勢を起こさせてください! このままでは自分の血で溺れてしまいます!」

「わっ、分かったわ、リリアノ!」

「血に泡が混じっては居ません。出血は肺からではないようですが……」


 つまりはそれ以外の内臓が無茶苦茶になっていると言う事だ。

 勇者の力、それは禁忌の力だったのだ、少なくともこんな力たった一人の人間に押し付けていいものじゃ無い。


 私は横目で城壁の方を見る。そこには真っ直ぐ一直線に抉られた跡。ケンジの放ったライトニングアローの破壊痕跡があった。


「こんなの……」


 こんなものは人間の出来る事じゃない。古代竜のブレスでどうにかという威力だった。

 不死身の勇者? とんでもない。この有様を見たらとてもじゃないがそんな戯言を言う気にはならない。これは自らの命を、魂を削りながら行う蛮行だ。


「人を……なんだと……」


 考えてみれば分かる事だった。不老不死の勇者など、為政者にとっては悪夢でしか他ならない。魔王を単独で殺せる戦力など、戦いが終われば邪魔でしかないのだ。


「ケンジ……」


 彼がこの世界の住人で無い事は薄々ながら気が付いていた。彼は勇者計画の被検体として、どこぞの世界から連れてこられた犠牲者なのだ。


「姫様、先ずは城へ戻りましょう」


 リリアノは周囲の警戒を怠らずそう進言して来る。

 確かに、避難所には医者がいる。道のど真ん中で私の拙い手当をしているよりは遥かに有益だろう。


「分かったわ」


 私はリリアノにそう返事をした後周囲を見渡す。

 モンサットの兵たちは不安げな顔をしていた。空前絶後の魔法を放ち、蛮族の軍勢を文字通り消し炭にした勇者が半死半生の状態で私の膝の上に体を横たえているのだ。


「皆! ご苦労様っしょ! 皆の力で第一波はしのぎ切った! 次の舞台はモンサット城よ!」


 私は精一杯の作り笑いを浮かべそう声を張り上げる。ここで士気を落とす訳にはいかない。敵はまだまだ数えきれないほどいるのだ。


 ★


「ここ……は……」

「目が覚めた! 大丈夫ですか勇者様!」


 目の前には見知らぬ女性、所々血に染まった白衣を着ていることから推測するに看護師か何かだろうか。


「ゆう……しゃ?」


 誰の事? ああ、そうだ、俺だ、俺は勇者だった。


「イザベラ……は?」

「姫様は作戦会議の最中ですってああ! まだ横になっていてください!」


 血が足らない、俺は体を起こそうとしてベッドから落ちそうになる。


「俺……は……」

「勇者様のおかげで何人もの人が助かりました! 今はご自身のお体の事を考えてください!」


 そうか、俺でも、こんな俺でも役に立てたのかな?

 現実世界では何一つとしてなしえなかった。こっちに来ても失敗ばかりのサボってばかり、三つ子の魂なんとやら、俺は死ぬまで無能な小者であるばかりだと思っていたが。


「俺は……役に立てたのかな」

「勿論です!」


 そうか、なら、後はイザベラが……。


 ★


「姫様、ケンジさんが目を覚ましたとのことです」

「そう」


 リリアノの耳打ちに私は安どのため息を漏らす。どう見ても彼は瀕死の渋滞だった。


「姫! 勇者殿がお目覚めになられたのですか!」

「ええそうみたい」

「では!」


 耳聡いモンサットの兵たちはその吉報に沸き立つ。物見の様子では敵本体はそのまま通過したそうだが、残った一部は以前この街をぐるりと包囲しているのだ。兵たちの緊張は限界にほど近いというものだった。


 私だけに耳打ちしたつもりが、周囲の兵に聞こえてしまった事にリリアノはやや唇をかみしめた後、私に目で合図をした。


「いいわ、リリアノ」


 その言葉に、彼女は一言咳払いをしてからこう言った。


「ケンジさんは一時目を覚ましたものの。再び眠りに入りました。ですが状況は依然危険であり予断を許さないとの事であります」


「ああ」と言うどよめきが広がる。

 ケンジの存在は帝国軍という闇に覆われたモンサットの街にとって、正に希望の光だった。その掛け替えのない光が今正に消えようとしているのだ。


「大丈夫! ケンジは私の従者よ! こんな所で死ぬなんてあり得ないっしょ!」


 私は努めて明るい顔でそう言った。


「姫様、こんな所と言うのはそのう……」


 リリアノはこんな時でも几帳面に言葉尻を捕らえて眉を顰める。


「ごっめんごめーん。悪気はないのよ。けどケンジと芸術なんて真反対の存在だもの。そんな奴が華の都モンサットで死んじゃうなんて、そんな事ある訳ないない!」

「ほう、勇者殿はこの街が苦手なのですか?」

「クラシックなんて聞くだけで眠くなるそうよ。まぁそんなもの聞かなくたって隙あらばサボって昼寝するような奴なんだけどね」

「はっはっは、それはそれは」


 守備隊のリーダーは私に合わせて場を和ませてくれる。それが功を奏したのか、少しは空気が軽くなった。


「ケンジは必ず目覚めるわ。それまで何としても時間を稼いで頂戴」

「了解です姫様。ここは我らの街です、粉骨砕身、身命を賭して任を果たしましょう」

「オッケーオッケーその意気じゃん!」


 私はそう言ってウインクをする。茶番なのはここにいる誰もが分かっている、だが少しでも士気が向上すれば儲かりものだ。


 とは言え現実は非情であることには変わりない。敵本体は進軍を続けて行ったが、ここを攻め滅ぼすに十分な兵力は未だに残っている。

 破壊された家屋を使って即席のバリケードを築いているも、それはあまりにも頼りない存在だった。


 何とか援軍が到着するまで籠城をと作戦を練っていた時だ。


「姫様! ボードウィン様より通信が繋がっております!」


 会議室のドアを蹴破らんばかりの勢いで、その報告はもたらされた。


「分かった! 今行くわ!」


 私はそう言うと、大急ぎで立ち上がり、通信室へと駆け出した。


 ★


「いったい何をやっているんだ貴様は!」


 私を出迎えてくれたのは兄上のありがたい怒号だった。


「私の許しなく、勝手に指揮を執った挙句、我が町が壊滅状態だと!?」

「兄上! お聞きください!」


 通信時間は短いのだ、そんな下らない事で貴重な制限時間を浪費している暇はない。


「ふざけるなこの売女! 貴様は我が町の価値が分かっているのか!?」

「それは十分に理解しております。ですが敵は数万の軍勢、この街の守備隊だけでは――」

「何を世迷言を言っておる! いったいどこからその様な兵が現れると言うのだ! 貴様は自分の失態をごまかすために、誇大して言っているに決まっている!

 いいか貴様! 戦場での誤報は何よりも罪が重いと知れ!」

「ですか――」

「敵主力は北方だ! エマレ・シュターク要塞を超え我が領土へと侵入を開始している! わが軍は全軍を上げその迎撃に向かわねばならぬのだ!」

「エマレ・シュターク要塞を!?」


 あの要塞はわが国の切り札の一つ。南部のラスコー防衛線より年若い分、突貫工事のきらいはあるが、それでも人類の英知の結晶であるはずだ。それがこうも易々と破られた!?


「そうだ! それが何よりの証拠だろう、敵は北方に在るのだ!」

「ですが現に、この街は数万の兵に襲われております!」

「ええい、まだ言うか、この無能めが! 兎に角そちらに回せる兵など一兵たりとも存在せん! 貴様も王族の端くれだと自称するならば、自分が犯した罪は自分で償うのだ!」

「……それは、国王陛下の発言なのですか」


 エマレ・シュターク要塞が突破されたことは衝撃的な事実だ。だが確かに敵の主力はデノスハイムの森を超えて来た。それは私の目が良く知っている。


「……」


 だが、私の問いに返答するのに、兄上は暫くの時間を有した。


「兄上?」

「……父上はお倒れになられた」


 それはある意味ではエマレ・シュターク要塞が突破された事よりも衝撃的な話だった。


「そっ……そんな……」

「私が王都に向かったのは、その事実を確かめるためだ。そして……それは事実だった」


 この国は父上の圧倒的なカリスマによって纏まっていると言っても過言ではない。それを失った今どんなことになってしまうのか、想像すらしたくない事だった。


「ちっ、父上は、父上はご無事なのですか?」

「ご存命ではある、だが予断は許さぬ状態だ」

「そうでございますか」

「分かっていると思うが」

「はい、この事は決して他言いたしません」


 こんな事が知れてしまっては大混乱になってしまう。


「兎に角、貴様の為すべきことは唯一つ。我が町の周囲にうろつく目障りな蛮族共を蹴散らす事だ」

「ですが――」


 そこで通信は断ち切れた……時間切れだ。


「くそっ!」


 テーブルを打ち付けた拳がじんわりと熱を発した。


「姫様……ボードウィン様は何と……」


 兄上の大声は傍にいても漏れ聞こえていただろう、リリアノが沈んだ様子でそう尋ねて来る。


「主戦場は北方だそうだ、こちらに回せる兵は無いと」

「……そうでございますか」


 通信装置は一度使用したら数時間の冷却時間が必要だ。そうでなければ今すぐかけ直して罵詈雑言を聞かせてやりたいところだが……。


「私にそんな事は出来る訳も無しっと」


 ママからは兄妹仲良くと言い聞かされている。末っ子の辛い所だ。


「どう……致しましょうか」

「さーて、どうしよっかなー」


 考えなんて何も浮かばない。だが、敵はそう長い事待ってくれないだろう。

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