第21話 勇者

 瞬きをする暇はない。矢尻が俺の角膜に穴をあけ、水晶体を抉り、硝子体を破壊し、網膜を突き破り、強膜を引き破り、蝶形骨を粉砕し、大脳を――


「があああああああああああ!!」


 全身に激痛が迸る。

 痛みを怒りに代えて、飛来するボウガンの矢を掴み取り、それを引き抜いた。

 右目は破壊された。

 視界がぼやける。


「ああああああああああああ!!」


 左肩に突き刺さっていた矢を引き抜く。肩甲骨に食い込んだ矢尻が傷口を広げながら生まれ落ちる。


「うごっあああああああああ!!」


 胸に突き刺さっていた矢を引き抜く。胸中に溜まっていた血があふれ出る。

 ぼやけた視界は真っ赤に染まる。血の赤? 違う、炎の赤だ。


「ふっざけんじゃねぇぞおおおおおお!!」


 俺は迫り来るワイバーンのブレスに向けて、全力で拳を叩き込んだ。

 豪風が吹き荒れ、そのブレスは掻き消えた。


「なっ!?」

「キュイイ!」


 突風にグリ助がバランスを崩す。なんだ今の風は?

 風の出所探して周囲を見渡す。左を見ても右を見ても、空には敵ワイバーン以外何もない――


「右?」


 俺はペタペタと右目を触る。


「見える……」


 ついさっき、俺の右目は潰れた筈だ。だが俺の手には眼球の感触がしっかりと有り、視界もはっきりとしている。


「そう言えば……」


 ぶっ壊れた左腕も思い通りに動く! 胸も苦しくない!


「治……った?」


 治った、何故か治っている。


「もしかして、グリ助が?」


 このグリフォンは噂に聞く治癒魔法の使い手だったのだろうか?


「って、今はそれどころじゃない!」


 敵は目の前だ、千載一遇の幸運に浮かれている場合では無い。

 敵を見ると、突風により崩れた陣形をたてなおしている所だった。


「させるかよ!」


 俺は手に持ちっぱなしだった矢を投擲――


「えっ?」


 バンッと衝撃が発生し、矢はあり得ない速度ですっ飛んで行った。


「何が、起こって!?」


 チクリとした感触に目を向ける。そこには、俺の腕に突き当たった矢があった。


「あれ?」


 矢は俺の皮膚に当った所で時間の停止した様に止まっている。


「なんで?」


 重力に引かれ零れ落ちるそれを反射的に受け止めた。


「えいっ」


 それを投げる。また衝撃波が発生し、その軌道上にいたワイバーンたちがそれにのまれて吹き飛んでいく。


「もしかして……ステータス、オープがあああああああああああ!?」


 脳内に情報の洪水が流れ込む。

 それは剣術の情報だった、それは槍術の情報だった、それは弓術の情報だった、それは魔法の情報だった、それは武器の情報だった、それは防具の情報だった、それは肉体の情報だった、それは戦術の情報だった、それは蛮族の情報だった、それは魔獣の情報だった、それは竜の情報だった、それは――


 それはありとあらゆる戦うための情報だった。


「こっ、これ、が……」


 これが、300年前の――

 これが、王弟が呼ぼうとした――

 これが、王弟が作り出そうとした――


「勇……者……」


 俺は力尽き、グリ助の上に倒れ伏す。ボンヤリとした視界の中では何とか難を逃れたワイバーンが這う這うの体で逃げていく様子が見れた。


 ★


「いやーあっはっはー! 俺やっぱ勇者だったわ!」

「ケンジさん! 無事でしたか!」

「はっはー! あれーリリアノさん? 俺の活躍見逃しちゃった感じー?」


 そいつは残念。普段から、俺の仕事ぶりに小言を絶やさぬリリアノさんには、是非とも俺の勇士を見てもらいたかったものなのに。

 まぁリリアノさんは手綱を握るという大事な仕事がある。騎手が後ろを向いたままでは、グリフォンも集中できないというものだ。


「って、どったのーイザベル?」


 彼女なら全力満開で喜んで迎えてくれると思ったのだが。


「あんた……ホントにケンジ?」

「なーに言ってんだイザベラ、俺は俺だぜ?」


 俺はそう言ってドンと胸を指さすが、イザベラは青白い顔をして俺を見る。


「って、ホントにどうしたんだイザベラ?」

「アンタ今……ううん、何でもない」

「なんだよ、おかしな奴だな」


 イザベラはリリアノさんに抱っこされるように座っている。視力の良い彼女なら、俺の活躍の一部始終を見てくれてたと思ったのに。


「まっ、まぁなんでもいいっしょ! でかしたケンジ! 良く帰ってくれたわね!」


 イザベラはどこかぎこちなくそう誉めてくれた。

 あー、まぁ俺が勇者だったからなー、そのギャップに戸惑っているんだろう。

 いやーそれにしても俺が勇者かー。

いやまぁ? これっぽっちも疑ってなかったけどね? 今までの苦労は何だったんだッ! とかこれっぽっちも思ってないからね? もう少しはやく出てきやがれッ! とかこれっぽっちも思ってないからね? もう少しで死ぬところだったじゃねーかッ! とかこれっぽっちも思ってないからね?


「これで行けますリリアノさん、今すぐリトエンドへ戻りましょう!」


 俺が居れば百人力、いや百万人力だ! なにしろ無敵の体のおかげで、敵の矢は効かないし、ちょっと矢を放り投げただけで、ソニックブームが発生するほどの剛速球を放てるのだ!

 今の俺なら、戦火に飲まれるリトエンドを救えるかもしれない!


「駄目よ! ケンジ!」

「はっ?」

「駄目よ……それにグリフォンが持たない」

「あー、あ?」


 俺はグリ助に視線を落とす。確かにグリ助は限界の様だった。その羽ばたきも力無くなっている。


「そうですね、少し飛ばし過ぎました」


 リリアノさんもイザベラの意見に同意の様だ。俺だけが戻ってもいいが、万が一の場合に備えてイザベラたちの護衛も必要だろう。


「もう少しでモンサットの街です。姫様、着陸してよろしいでしょうか?」

「……そうね、許可するわ」


 イザベラは一瞬考えた後、着陸の許可を出す。


「モンサットの街って……」


 聞き覚えがある……嫌な意味でだ。


「ええ、序列第3位、ボードウィン様が治める街でございます」


 ボードウィン……敵の名前だ。

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