第20話 逃走2

「姫様! 飛ばします! しっかり捕まって!」


 リリアノさんの呼びかけに、イザベラは無言で彼女にしがみ付く。


「ケンジさん! しっかりと手綱を握って遅れないように!」

「了解です!」


 リリアノさんが操るグリフォンが加速するのに合わせて、俺のグリフォンも加速していく。まぁそれまでも手を抜いて飛んでいた訳ではない。加速とは言っても微々たるものだ。


 ちらりと背後を振り返る。そこには数多の火球を掻い潜り、無数のワイバーンの群れに突っ込んでいく隊長たちの姿があった。


「あいつ、全員の名前覚えてるのかな……」


 アダムさん、ミランさん、サンダースさん、俺は恥ずかしながら今知ったばかりだ。

イザベルの下には大勢の人が働いている。何時も世話になるメイドさんたちの名前はどうにか覚えたが、あまり関わりの無い兵士の人たちの名前までは覚えきれてない。


「頑張ってくれ」


 俺は無責任にそう祈る。

 もし俺の様な足手纏いが付いてこなければ、一頭分のグリフォンの余裕ができ、その分迎撃が楽になったかもしれない。いや、なったに違いない。


「俺なんかの為に……」


 今更何を言っても仕方がないが、弱音を吐かずにはいられない。


 アダムさん達だけでは無い。ダニエルさんを始め多くの人を送り出し、エランさんやキユリさんを始め多くの人を見捨てて来た。


「分かってます、次は……」


 俺の番だ。

 次は俺の番だ。

 俺たちの勝利条件は唯一つ。姫を、イザベラを無事に逃がす事。

 アイツこそが俺たちの旗だ、アイツこそが俺たちが帰る場所だ、アイツこそが俺たちの命だ。

 その為には、他の事は全て些事、塵や芥に過ぎやしない。


「リリアノさん! こんなペースで大丈夫なんですか!」


 グリフォンは嘴から泡を吹きながら全速力で飛んでいる。このままではとてもじゃないが王都までは持ちやしない。


「仕方がありません! 行けるとこまで頑張ってもらいます!」


 リリアノさんだってそんな事は百も承知という事か。まぁここは敵地じゃない。敵の追手から逃れてしまえば、何処にだって無事に着地できる。


 だが!


「くっ、突破された!」


 やはり多勢に無勢。敵ワイバーンはその数を半減させつつも隊列を組み直しこちらに向かって直進して来る。


 それでも半数。

 最高速度、旋回能力、攻撃力、空戦において全てに劣るグリフォンで、敵ワイバーン5頭を仕留めたのだ。


「お疲れ様でした、アダム隊長」


 俺は彼らに敬礼をする。


「次は俺の番だ、付き合ってくれ」


 俺はグリフォンの肩をポンと叩き、そう囁いた。

 俺の言葉が分かっているのか、グリフォンは「キュイ」と返事をする。

 流石はイザベラ、魔獣にだって人気があるらしい。そう言えばアイツの姿を時々厩舎で見かけたことがある。今思えば、時間の隙間を見繕って、エサでもやりに行っていたのかもしれない。


「全く、この街で一番忙しいのによくやるよ」


 何だか微笑ましくなって、体の力みが抜けて来る。


「よし、行くか」


 俺は手綱を握りしめる。


「リリアノさん! そんじゃちょっと行ってきます!」

「ばっ! 何言ってんのケンジ!」

「お前にゃ言ってねーんだよイザベラ! 俺はリリアノさんに言ってんの!」

「うそ! やだ! やめなさいケンジ!」

「嫌だね! あっそうだ! 陛下の褒美を思いついた!」


 そう、折角だから心残りは無くしておきたい。国王陛下からの空手形なんて超特大の当たりくじ、使わないままじゃもったいない。俺はボムの抱え落ちはしない主義た。


「今はそんなこ――」

「守るッ! お前の娘を守る権利を俺にくれ!」


 俺はそう言い残した後、歯を食いしばって反転する。「キュオオ!」とグリフォンがけたたましい雄叫びを上げた。


 ★


「あっ……ああ」


 アイツが飛んでいく。誰よりも臆病で、誰よりも怠け者で、誰よりも弱っちいアイツが飛んでいく。


「リ……リリ……アノ」

「耐えて、耐えて下さい、姫様」


 リリアノはそう言ってぎゅっと私を抱きしめた。

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。ママも、ダニエルも、ケンジも、私の大事なものがみんなどこかへ行ってしまう。

 嫌だ、そんな事は嫌だ。


「なによ……馬鹿ケンジ。私を守る権利だなんて……」


 そんなものをお父様にお願いしてどうなるっていうのよ。


「この馬鹿ケンジーーーーーー!!!」


 ★


「うおおおあああ!?」


 ギュンギュン火球が飛んでくる。こっちは当り判定デカいんだ、そんなもの気軽にぶっ放さないでくれ!


 火球がかすめるたびに熱波が肌を焼いて行く。マジ半端ない、隊長たちはどうやってたった3頭のグリフォンで、5頭のワイバーンを倒したんだ。


「キュオオオオオ!」


 グリフォン――名前を聞き忘れたんでグリ助と命名、は火球が飛んでくるたびに、時には羽ばたき、時には羽をたたみながら、素早く、そして器用にかわしていく。俺は落っこちないように必死にしがみついて行くことしかできない。


「畜生! こっちは手ぶらだぞ! 来いよワイバーン! ブレスなんて捨ててかかってこい!」


 だが火球は飛んでくる。どうやらお約束の台詞はこちらの世界まで届いていないようだ。


「あー! くそ! くそくそくそくそくそったれ!」


 ってかなんだこいつ等は! こいつ等の目的はリトエンドの街だろ? 深追いしてんじゃねぇよ!


「はっ、まさかイザベラの母ちゃんは皇帝の娘で、敵の目的はイザベラだったりっておわー危ねぇ!?」


 俺が現実逃避をしてる間にも、敵との距離はドンドン近づいて来る。


「ってか接近したとしてもどうすりゃいいんですかねぇ!?」


 隊長たちは、鎧やボウガンなどで武装してたが、俺は普段着の執事見習い服だ。防御力なんて期待できないし。攻撃力と言えばグリ助に全振りだ。


「ステータス! オープン! ……ってやっぱり何もでねぇー!」


 死の一歩手前までくれば、秘めたる力が開眼してくれるかと思ったけど。生憎うんともすんともいいやしない。


「いやマジヤバイ、マジヤバイ」


 さっきから独り言が止まらなくて笑えてくる。笑えない状況なのに笑いが止まらない。


「兎に角、時間を稼がなきゃ」


 城壁の兵隊たち、ダニエルさん、隊長たちの想いを無にしない為に――


「ぐぁ……」


 ズドンと、俺の肩に敵兵のボウガンの矢が突き刺さる。痛い、信じられないぐらい痛くて声を発することが出来ない。

 衝撃で弾き落とされなかっただけでも俺としては上出来だ。


「くぁ……」


 痛い、痛い痛い痛い。痛みで思考が回らない。後悔すらも出来やしない。

 必死に歯を食いしばる。振り落とされないように身を固める。左腕の感覚が無い。どうなってるのか見るのが怖い。


「俺じゃ……駄目なのか……」


 俺はどうしようもないクソニートだ。現実世界ではゲームの世界にひたすら逃避を続けていた。けど、こっちの世界に来ては生きるために多少はましになった。汗水たらして働いた。


「俺じゃ……駄目なのかなぁ……」


 痛み以上に口惜しさで、ボロボロと涙が零れ落ちる。

 努力とは無縁の人生だった。怠惰に、緩慢に過ごしてきた。

 けど、こっちの世界に来てからはほんの少しばかり頑張った。サボりもしたし手抜きもしたけど、それでも俺なりに頑張った。


「嫌だ……嫌だ……」


 嫌だ、このまま何もできないまま死ぬのは嫌だ。碌な時間も稼げず死ぬのはもっと嫌だ。イザベラを逃がせないまま死ぬのはもっともっと嫌だ。


「神様……」


 痛みと口惜しさで頭が朦朧としてくる。

 俺にはイザベラは救えないというのか? 


 神様……神様……

 俺をここに連れて来た神様……

 守りたいんだ……

 大切な人を守りたいんだ……

 怠惰で無能なこの俺が……

 初めて本気で願うんだ……

 初めて本気で祈るんだ……

 

「ごふっ!」


 今度は胸に突き刺さる。一瞬で肺は血の海にそまり、口から泡だった鮮血があふれ出る。


 駄目か……

 駄目なのか……

 無能は何処まで行っても無能か……

 人を救おうなんて高望みするなって事か……

 俺は……


「駄目なのか」


 スローモーションになった世界。俺の眼球を抉る矢尻の先端が見えた。

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