第19話 逃走1
「逃げろですって! 冗談じゃないっしょ!」
「戦いはまだ始まっても無い」と食い下がるイザベラに、執事長のダニエルは冷酷な顔でそう告げる。
「そんな状況なんですか、ダニエルさん」
先ほどからの飛龍の攻撃で、城壁からは白煙が上がっている。だが、イザベラが言う通り、敵の攻撃はまだ始まったばかりだ。
「指揮官アンドリューからの伝令です。彼は信頼のおける男です」
「だからって! この街をほって逃げれる訳ないっしょ!」
イザベラは今まで見たことのない剣幕でダニエルに詰め寄った。
「姫様お早く。このままでは手荒な真似をせざるを得ません」
ゴクリと唾を飲む。いつも冷静なダニエルさんだが、この時はその冷静な表情の中に決死の覚悟を滲ませていた。
「出来るならやってみるっしょ! 私だってただ黙ってるだけじゃないからね!」
イザベラとダニエルさんが言い争いをしている間も、敵飛龍は攻撃の手を休めない。先ほどからの攻城槌投下は球切れのようだが、その攻撃によってあいた穴に炎のブレスを叩き込んでいる。
戦況は防戦一方の模様だった。攻城槌は備え付けられていたバリスタ等の大型兵器を破壊すだけでは飽き足らず、城壁に大穴を開けている。
「イザベラ……」
「何よケンジ! 今忙しい!」
イザベラは俺の方なんて見向きもせずにそう答える。
だが、素人の俺だって分かる。これは……ヤバイ。
「俺は……イザベラを死なせたくない」
「五月蠅いわね! そんなの誰だって! この街の人みんなそう思ってるわよ!」
「イザベラ……」
「だから――」
「失礼します姫様」
俺の呼びかけに、イザベラがダニエルさんから背を向けた時、ダニエルさんはイザベルに何かをした。
「ダニ……」
「申し訳ございません、姫様」
ダニエルさんはそう言って、崩れ落ちるイザベラを抱き留める。
「ダニエルさん、何を」
「姫様には少々眠って頂きました」
首筋にトンとかいう奴だろうか? ともかく俺には体術なのか魔法なのかすらわからなかった。
「リリアノ、後はよろしくお願いいたします」
「はい……」
リリアノさんは俯き加減に、ダニエルさんからイザベラを受け取った後。
「了解いたしました執事長。姫様はこの命に代えても必ず」
イザベラをしっかと抱きしめて、決意のこもった瞳をダニエルさんに向けた。
「ちょ、ちょっとダニエルさん、何そんな雰囲気出してるんですか!」
それじゃ死にに行く様な雰囲気じゃないですか……。
「私は姫様の執事長です。姫様が居ない間、この屋敷を守る義務があります」
「屋敷より姫様でしょ! 何言ってるんですか!」
「貴方と言い争いをする暇はありません。それでは頼みましたよリリアノ」
ダニエルさんはそう言うと、執務室を後にする。
「あ……」
決意のこもったその背中に、俺の言葉は届かない。彼は革靴を鳴らしながら、何時もと同じ歩調で、何時もと違う背中を向けて歩いて行った。
「ケンジさん、生きますよ」
「おっ、俺……は……」
「来ないならおいて行きます。時間がありません」
リリアノさんはイザベラを背負い、ちらりと俺に視線を寄越す。
「わっ……わかり……ました……」
何もできない俺に出来る事、それは黙ってついて行くことだけだった。
★
「リリアノ様 連絡はダニエル様より承っております!」
「ありがとうございます」
俺たちは厩舎の前にやってきていた。有事の際の緊急避難手段は想定済みだ。まぁ、それが使われる様な事になるとは思ってはいなかったが。
厩舎の中ではグリフォンがキュイと鳴き声を上げている。城壁の騒乱を受け気が立っているのかもしれない。
「行きますよ、ケンジさん」
「はっはい!」
リリアノさんは、イザベラが落ちないように自分の体にしっかりと巻きつける。俺は馬には乗れるようになったが、グリフォンには乗った事は無い。
「ケンジさん大丈夫です、グリフォンは馬よりも賢い動物です」
「りょっ、了解です」
見た目通りの鳥頭じゃないという事に安心し、俺はグリフォンに跨った。
「手綱はゆったりと握って、兎に角グリフォンに任せてください」
「了解です」
人任せにするのは大得意だ。
脱出隊は俺達3人の他に護衛が3人、合計4頭のグリフォンで出立する。これは、リトエンドの有するグリフォンの半数だ。
これを迎撃に当てていれば……いや考えまい。俺なんかよりもっと現場を知った人達がそう判断したんだ。そんなことより俺なんかの無能の為に貴重なグリフォンを割いてくれたことに感謝しよう。
軽い助走の後グリフォンはふわりと宙に舞い上がった。行先は王都ミラン、つい先日言ったばかりの場所だ。
「敵の追撃も予想されます。兎に角我々の指示に従ってください」
「頼みました、隊長」
リリアノさんは、部隊長とコンタクトを取りつつも、イザベラをしっかりと抱きかかえる。その時。
「うっ、うう」
彼女の胸中からうめき声が聞こえて来た。
「姫様……」
「ううっ、うっ」
「姫様、落ち着いて、じっとしてください」
「リリアノ、ここは……」
「グリフォンの上です」
「……そう」
イザベラは、ボンヤリと周囲を見渡す。
そして彼女は「くっ」と小さなうめき声を上げ、リリアノさんの胸に顔をうずめた。
「姫様、申し訳ございません」
リリアノさんの謝罪に、イザベラは無言で顔を横に振る。
彼女だって分かっているんだ、俺たちは負けたんだって。
脱出部隊は西へ西へと進路を取る。少しでも、少しでも早く王都へと。
だが、そう易々とはいかなかった。
「くっ、敵の追手です! ミラン! サンダース! 出るぞ!」
「「了解!」」
「リリアノ様はひたすら西へ向かってください!」
「了解です! 隊長もご武運を!」
敵の追手だ、護衛隊は反転し敵の足止めに向かう。
「まっ!」
イザベラはそう言いかけて口を噤む。そして……。
「行ってきなさい! アダム! ミラン! サンダース! 死んだら承知しないじゃん!」
いつも通りの口調で、彼らを送り出した。
「「「全ては姫の御心のままにッ!」」」
俺たちという足手纏いが無くなった護衛隊は、グリフォンの本来の力を発揮する。グリフォンは「キュイ」と力強く一鳴きすると、雄々しく翼を羽ばたかせた。
「リリアノ、ごめん、もうちょっと」
イザベラはそう言って、再度リリアノさんの胸に顔をうずめる。その声は秋の雨の様に湿っていた。
★
「行くぞお前ら!」
「「サーッ!」」
「姫は俺達に死ぬなと言った!」
「「サーッ!」」
「俺たちの名を呼び死ぬなと言った!」
「「サーッ!」」
「震える声で、涙を隠して死ぬなと言った!」
「「サーッ!」」
「だが俺は命令する! 死ね! ここで俺と一緒に死ね!」
「「サーッ!」」
迫り来る敵飛龍は10頭、とてもじゃないが勝ち目などは在りはしない。ただでさえ頭数でも負けているのに、グリフォンと飛龍では飛龍の方が空戦能力ははるかに高い。
「姫は希望だ! 俺たちの太陽だ! こんな所でそれを失う訳にはいかん! ならば死ぬぞ! 俺たちが命を賭して時間を稼ぐことにより、姫が生き残れるのなら、それ以上の戦果は無いッ!」
「「サーッ!」」
「行くぞお前ら! 飛龍10匹! 冥途の土産に平らげるぞ!」
「「サーッ! イエッサーッ!」」
グリフォンの金色の羽が、リトエンドの空に舞った。
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