第18話 デノスハイムの森2

 執務室の窓から広大なデノスハイムの森を見る。遥か彼方まで広がるソレは緑色した海の様だ。


「あの向うにザトレーア帝国が……」


 地平線の彼方、緑の深淵の向うには蛮族たちの帝国がある。そしてその南北では戦端が開かれている。


「奴らは……ん?」


 目を凝らす。この世界に来て健康的な生活を送る様になって幾分よくなったとは言え、そう自慢できるほどの視力は持っちゃいない。


「何か……飛んでる?」


 地平線上にポツポツと浮かぶ影が見える。鳥だろうか? それにしてはデカいような。


「なになにー、どったの? ケンジ?」

「いや、何か飛んでくる……様な」


 もしあれが渡り鳥で、シュタンレー病の病原体を運んできてたら嫌だなぁ、なんてことを思いつつ、イザベラに場所を譲る。


「なになにー、ってちょーっち遠いわね」


 イザベラはそう言って窓枠に乗り出して、はるか遠方を凝視する。


「見えんのかよ、すげぇな」

「へっへー、これでも私視力の良さは自慢なの」


 俺では幾ら目を凝らそうと、薄らぼんやりとした黒点があるだけにしか見えないが……。


「……なにあれ」


 イザベラのトーンが一段下がる。


「おい、何が見えるんだイザベラ?」


 その不安げな声に、いやな緊張感が漂ってくる。


「もしかして……」

「姫様、望遠鏡です」

「サンキュ。えーっとどれどれ……ッ!」


 リリアノさんから単眼の望遠鏡を渡されたイザベラは、それを構えるなり体が強張る。


「どうした! イザベラ!」

「敵襲ッ! 緊急警報をッ!」

「りょっ! 了解です姫様!」

「敵襲だって!?」


 俺は割れんばかりに目を見開き、東の空を凝視する。空を飛ぶモノの数はドンドン増えて行き。今では空を覆わんばかりだ。


「何考えてんのよ奴ら。航空戦力だけ突出させるつもり?」


 ギリとイザベラは歯噛みをする。脅威が目の前に迫っていた。


「おいイザベラ、俺は何をしたら」

「大丈夫、大丈夫。私の兵は優秀よ。訓練は欠かしてないわ」


 何時もの浮ついた喋り方を止め。望遠鏡で東の空を凝視しながら、自分に言い聞かせるようにそう呟くイザベラ。


 カンカンカンと鐘の音が鳴る。緊急警報の音だ。


「大丈夫よ。ワイバーンが何匹来ようと、バリスタでつるべ打ちよ」


 この街は有事の際は砦としても機能する。街をぐるりと囲む城壁の上には、ハリネズミのようにバリスタが並べられているのだ。


 ひとしきり、望遠鏡で監視を続けていたイザベラは、それを机に置くと。自分の頬を両手で張った。


「いけるか、イザベラ?」

「だいじょうーぶ、楽勝っしょ!」


 そこには何時もの調子を取り戻したイザベラが居た。


 ★


「第一種戦闘配置! 第一種戦闘配置!」


 リトエンドの城壁の上では怒号が飛び交っていた。敵がデノスハイムの森を突破して来る。その様な事は想定されていない……訳ではない。聖ルクルエール王国の軍事部門はそこまで間抜けでは無い。

 だが、資源は限られている。その有限な資源を有効に使うためには、選択と集中を行わなければなない。その為に、どうしても隙というものは存在してしまう。大軍が進軍するために不向きである、デノスハイムの森はその筆頭だった。


「間抜け共め! 飛び蜥蜴が幾ら来たところで、この街は陥とせんとその身をもって教えてやれ!」

「「「「サー! イエッサー!!」」」」

「我らが姫に指一本触れさせてはならんぞ!」

「「「「サー!! イエッサー!!!」」」」


 上官の鼓舞に、城壁を揺らすほどの返事が返る。リトエンドの街は常駐する兵が少ない分を補うように精兵ぞろい。彼らの半分はリトエンド防衛隊指揮官であるアンドリューを始め、王城で冷遇されるイグニスを見捨てずについて来た者。その半分はシュタニアが分けてくれた熟練兵だ。その士気と練度は王国でも有数なものとなっていた。


「奴らめ、まさかあの森を超えて来るとはな」


 アンドリューは上空を睨みつけながらそう呟く。

上空から迫り来るワイバーンの群れ。だが、その下方は深い森に阻まれて敵軍は目視出来ない。


「あの森では足は生かせません。飛龍部隊だけの嫌がらせではないでしょうか?」


 戦争は前線で戦う兵士だけがあればいいという訳ではない。それを支える、武器食料を運ぶための部隊も必要だ。そしてその部隊とあの森は致命的なほど相性が悪い。


「そんな酔狂の為に、虎の子の飛龍部隊をあれだけ動かすとは思えん。こちらもグリフォン隊を飛ばして偵察に当てさせろ」

「はっ、了解です!」


 ワイバーンは知能の低い魔獣である。それを戦闘用に慣れされるためには膨大な時間と労力を必要とする。それが数十単位で空を飛んでいるのだ、帝国の本気を伺わせる攻め手だった。


「奴ら、何か吊り下げている?」


 地平線の彼方から現れたワイバーン部隊が近づいた事により、アンドリューは異変に気が付く。


「あれは……杭だと!?」


 そう叫び、歯噛みをする。


「指揮官!? 杭とは!?」

「攻城槌だ、奴らは飛龍を運搬手段として利用するつもりだ!」


 飛龍の武器は、鋭い爪と何と言っても口から吐き出される強力な炎のブレスだ。しかし、敵はそれ以外の使用方法を思いついた。

 飛龍は飛べる、そのこと自体が最大の武器なのだと。


「バリスタを引き絞れ! 限界ギリギリまでだ!」

「サー! イエッサー!」


 敵の狙いは質量攻撃による城壁破壊。それも遥か上空から、おそらくはバリスタの射程距離外から。

 その事を予測したアンドリューは、歯が折れんばかりに食いしばる。


「指揮官! 敵地上部隊発見! 凄い数です!」


 デノスハイムの森から、次々と滲み出るように蛮族たちが現れて来る。その多くは森での進軍を意識した皮鎧にショートソードやショートボウなどの軽装だ。かさばる長槍や重いフルプレートなどは持ってきてはいない。とても今から城攻めに向かうとは思えない。


「だが……城壁が意味を失ってしまえば、あの軽装でも物足りる」


 飛龍の中には数頭がかりで巨大な包みを運んでいるものも居る。敵は飛龍を補給の為にも使用しようとしているのだ。


 地上部隊だけでさえ、街を一飲みにする大軍勢、その上飛龍によって城壁が破壊される。

 今の装備、戦術では、敵の攻勢を抑える事は出来ない。アンドリューは冷静にそう判断した。


「姫様に伝令を! 今すぐ……お逃げくださいと」


 アンドリューは、イザベラがどれだけこの街を愛しているのかよく知っている。

 後ろ指をさされながら王城を追い立てられたイザベラが、王城の下らない噂話から自由になり、この街でどれだけ輝いていたのかよく知っている。

 だが駄目だ。この街は持たない。雷雲の様に迫り来る飛龍と津波のように押し寄せる地上部隊に、この街は一瞬で飲み込まれてしまうと判断した。


「儂の無能をお許しください」


 彼は血反吐を吐く様にそう漏らす。時間は幾らでもあった、そう、300年も。だが、人間は現状維持を良しとして、亀のように縮こまって来た。

 この300年、甲羅の厚みは増したものの。空の高みは眺めるだけだったのだ。


 だが、敵はその間牙を研いでいた。

 一枚岩で平和な王国とは違って、帝国は軍閥が乱立する戦乱の国だ。前皇帝が亡くなり内乱の国となった帝国は、その分経験を積んできた。そして生まれた新たな戦術がこの飛龍の運用方法だ。


「姫様には指一本触れさせん」


 アンドリューはそう拳を握りしめる。自分は、この街は今日死ぬだろう。だが、あの可憐な、太陽の様な幼き娘だけは生かさなければならない。


「頼んだぞ、ダニエル」


 アンドリューは、屋敷にいる彼の盟友に思いをはせる。イザベラの執事長であるダニエルは、王城勤めからの盟友だ、それはすなわち、イザベラが冷遇されてきたのを見て見ぬふりしてきた共犯者でもある。


「ものども! やるぞ! 敵は憎き帝国軍! 地を這い天を覆う大軍勢! 我らの練度! 我らの生きざまを見せつけてやれッ!」

「「「「おおおおおおおおおおおおお!」」」」


 雄叫びが、上がる。

 兵士たちは練兵だ、敵の布陣を見るだけで現状認識は出来ていた。

 それでも叫ぶ、それ故叫ぶ。

 自分たちの運命を直視してなお叫ぶ。

 城壁が……震えた。

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