第17話 デノスハイムの森1

 リトエンドの東方には広大なデノスハイムの森が広がっている、その広大さと言ったら東京ドーム何個分と言った例えでは無く、東京都何個分と言った広大さだ。

 深く険しいその森は、大きな恵みと共に、深淵の恐怖を人間たちにもたらしていた。


「なぁ姫様。蛮族って言ったら、ゴブリンとかのモンスターだろ? 奴らにとっちゃ森なんてのは庭みたいなもんじゃねぇの?」


 いつだったか俺はイザベラにそんな質問をしたことがある。俺がこの世界に来た勇者の祠のデノスハイム近郊にあり、そこでゴブリンに襲われたからだ。


「ん? どったの藪から棒に?」

「いやな、この森のはるか向こうは、その蛮族たちが支配するザトレーア帝国なんだろ? ここから攻めてきたりはしないのかなって」

「ああー、そういう事か」


 イザベラはハハハと笑って解説してくれた。


「確かにゴブリンみたいな小型種じゃー、スイスイ進める所じゃん。けどやっぱあそこは厳しいっしょ。実際300年前の大攻勢の時も、北東のダルム公国経由でやって来たって話だしー」


 なるほど、ある程度好き勝手に移動できる少数と、足並みそろえて進軍しなきゃいけない大軍とでは話が違うと。

ゴブリンたちが好き勝手に進軍しても、各個撃破のいい的だ。


「ゲームじゃ森や山の方がエンカウント率高いんだけどなー」

「あはっ、何それ何それ、またアンタの故郷の話?」

「まっ、そんなところだ」


 前例に右に倣えというのは楽な物。俺たちはそうやって油断をしていた。


 ★


「姫様、国王陛下よりの通信です!」

「なになにー、お父様からの通信ー? そんな焦ってどったのー? あっわかった褒美の件―?」


 この世界にも通信機器というものは存在している。それは現代社会の様に電気を使ったものでは無く、魔法を使った所謂FAXの様なものだ。

 ただ、欠点も山盛りだ。その筆頭は通信制限。一度使ったら数時間の冷却期間を置かなくてはならないという致命的な欠点がある。さらに設置や運営にコストがかかるので、数を頼りに通信制限を無視するという方法も使えはしない。


 これが一般家庭にも普及してたらシュタンレー病の時も楽だったのだが……。


 俺がのんびりとそんな事を考えていると。その書類を受け取ったイザベラがガバリと机から立ち上がった。


「なっなんだよ、どうしたんだよ、イザベラ」


 俺がそう質問すると、険しい顔をしたイザベラはボツリと一言つぶやいた。


「戦争が始まる……」


 ★


 聖ルクルエール王国には300年前の大進攻を教訓に設置された2枚の盾が存在する。

 王国北東部、デノスハイムの森とダルム公国との間に設置されたエマレ・スターク要塞。デノスハイムの森南部に設置されたラスコー防衛線の2つである。

 そして天然の盾であるデノスハイムの森を加えて、王国を守る長大な盾として存在している。


 そして今、エマレ・スターク要塞にはかつてない緊張が走っていた。


「くそっ! 奴らだ! 奴らが攻めてきやがった!」

「落ち着け! この要塞はそう簡単には破れはせん! 訓練通りにやればいい!」


 確かに、最近の帝国軍の動きには不穏なものが存在していた。だが、誰もがその日はまだ先だと思って、いや、希望していた。


「奴らはバカか? よりによってこの要塞に攻め込むとは」


 エマレ・スターク要塞は300年前の教訓を糧に設置された、最新技術の粋を集めて作られた要塞である。予算の関係で、ラスコー防衛線より完成は遅れており、その規模も小さいが堅牢さは負けず劣らず。それはすなわち300年の歴史に守られていると言っても良かった。


「敵! ワイバーン多数! 接近中です!」

「そう怒鳴らんでも目に見えておる!」


 地を埋め尽くす大軍勢、天に広がる黒い影。それは正しく悪夢の軍勢だった。


「将軍、敵飛龍部隊の狙いは何でしょうか」

「はっ、この要塞は飛龍のブレス程度ではビクともせん。落ち着いて訓練通り対処すればいい」


 巨大な石をくみ上げられてつくられた要塞は堅牢堅固。ワイバーンのブレスでは表面に焦げ跡を作るのが精一杯という所だ。それは人類の蛮族との戦いの結晶である。


「ヘロヘロと飛んで来てみろ、バリスタの餌としてやる」


 要塞を預かる将軍は、そう言って空を睨みつける。


「それよりも、陛下への伝令はもう済んだのか?」

「勿論です、意の一番に緊急速報をお伝え申し上げました」

「ならばよ……し?」


 何かがおかしい、ワイバーンの飛行速度が酷く遅い、それだけでは無い。奴らは随分と高所を飛行していた。


「なんだ? 奴ら何を考えている?」


 あの高度では、バリスタの有効射程範囲から外れている。それだけでは無い。奴らは数頭で班をなし、何かを吊り下げていた。


「おい、何だあれは!」

「しょっ、少々お待ちください!」


 副官はそう言って部下より望遠鏡を受け取った。それをじれったく思った将軍は、副官より奪い取る。


「あれ……は?」


 ワイバーンの小隊は、其々が巨大な岩を吊り下げていた。それは今まで見たことも聞いたこともない戦法だった。


「まさか、やつら!」


 将軍がその意味に気が付いた時にはもう遅い。エマレ・スターク要塞には巨石の雨が降り注いだ。


 ★


「戦争ってどういう事だよ!」

「戦争は戦争よ。奴らが、ザトレーア帝国がエマレ・スターク要塞に攻めて来たって報告よ」


 イザベラはそう言って報告書を握りしめる。


「奴らとはにらみ合いが続いていたんじゃなかったのか」

「先にしびれを切らしたって訳ね。まぁ蛮族にしては300年もよく我慢したんじゃないの?」

「お前そんな、他人事みたいに」


 エマレ・スターク要塞はこの街の遥か北東に存在する。だが、遥か北東とは言え所詮地続きの場所なのだ、ここも何時戦火に巻き込まれてもおかしくは無い。


「焦ったってしょうがないっしょ。私は私に出来る事をするまでっしょ」


 イザベラはそう言ってニコリと笑う。全くなんて奴だ、女にしておくのが惜しい位だ。


「私達の役目は万が一の時の備えっしょ。敵が北東から真っ直ぐ王都を目指すのならば、この街はしばらく安泰。派手な寄り道になっちゃうからね」

「じゃあ、俺たちの役目は?」

「エマレ・スターク要塞から、王都へと延びる敵の横っ腹に食らいつく事位かしらね?

 まぁあの要塞がそう簡単に突破されるとは思えないっしょ」


 イザベラはそう自信満々にほほ笑んだ。彼女は自分の国を、人間の技を信じているのだ。


「そう言えば、ラスコー防衛線は無事なのか?」

「ああ、そっちはそっちで攻められてるみたい。けど大した大丈夫、ラスコー防衛線はエマレ・スタークより堅牢よ。彼方さんもその事は分かってる、攻勢じゃなく陽動って感じ?」

「そうか、それはまぁ安心……なのか?」


 ラスコー防衛線近郊にはシュタニアさんが住む都リストンヌが存在する。自分とかかわりのある人物が戦火に見舞われる様は想像したくは無かった。


 北東にあるエマレ・スターク要塞とは違い、ラスコー防衛線経由で王都へと進軍するならば、この街はもろに侵攻路のど真ん中だ。

 もしそうなっていたら、イザベラもこんなに落ち着いては居なかっただろう。


「俺は一体どうすればいい?」

「はっ? なーに言ってるっしょ」


 シュタンレー病の件ではわずかながらだが力になることが出来た、だが切った張ったの場面では、俺は全くの足手纏い。イザベラの騎士になるとは誓ったものの。適材適所というものがある。

 不安な顔でイザベラに問うた俺に、彼女は「馬鹿ね」と言った風に柔らかな笑顔を向けた後、力強くこう言った。


「私はこの街の姫様っしょ。みんなキッチリ守ってやるっしょ!」

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