第12話 王都ミランへ

「ふむ、これはこれは」

「イザベラ様からの報告書ですか?」


 豪奢な執務室にて、一通の報告書に目を通す初老の男がいた。名はミハエル16世。聖ルクルエール王国の国王その人である。


「うむ、貴様は目を通したか。ジョゼフ?」

「勿論でございます陛下」


 ジョゼフはミハエルの一等秘書官である。彼にはミハエルに当てられた書類の閲覧権が与えられていた。


「それにしても、シュタンレー病の予防法とは」

「言葉は正確に使えよ、ジョゼフ。この書類には防疫と書かれてあるぞ?」

「はっ、申し訳ございません陛下。あまり聞きなれぬ言葉でして」

「ははは、意地悪を言ったなジョゼフ、儂にも聞きなれん言葉だよ。広い意味では予防と同じ事らしいがな」


 防疫とは、伝染病発生に対して総合的に対策を立ててその流行を防ぐことをいうシステムの名称である。これは、少しでも頭のいい報告書を作成しようとした健二が、ようやくと思い出したとっておきの単語だった。


「防疫という聞きなれぬ単語だけでは無い。この報告書はゴチャゴチャとして非常に読みにくいな。いったいイザベラめ、どんな奴を拾った事やら」


 ミハエルは眉を顰めつつそう愚痴をこぼす。長年王座に君臨して来て、毎日山の様な報告書を読む彼からすれば。これはとんでもなく不出来な報告書だった。


「必死に手を入れているのは分かるが、そもそもの骨子が歪んでおる。こんなものは零から書き直した方がー」

「陛下、話がずれてございます」

「おお、そうだったな」


 ジョゼフの言葉に、ミハエルは軽く笑ってから、報告書を机に置く。


「シュタンレー病は天災じゃった。それを人の手が届く所へ引き摺り下ろしたとはな」

「驚くべきことでございます」


 発症を免れた農家は僅かなもの。だが零と壱の間には大きな大きな差があった。健二の為したことは、この世界の住人にとって新たな概念の発見と言えるだろう。


「ふむ。これは労ってやらねばならぬかの」

「御意に」


 ジョゼフは、心得ていたとばかりに一通の招待状を差し出した。ミハエルは軽く口角を上げながらそれを受け取ると、署名欄に自分の名前を書き入れたのだった。


 ★


「えっ、嫌だよおっかねぇ。行かねぇよ絶対」


 イザベラに呼び出された俺は、とんでもない発言を聞いた。何でもイザベラの父ちゃん即ち、国王様が俺に会いたいと言っているそうなのだ。


「ケンジさん」


 リリアノさんが盛大にため息を吐く。だが考えても見て欲しい……怖いじゃないか。


「嫌だよおっかねぇ! 無礼な事をしたら打ち首獄門なんだろ! 調子に乗って「なあ爺さん」とかって話しかけたらその場でなます切りにされるんだろ!」

「それは当然です。国王陛下はこの国の象徴でも在らせられます。最上級の礼を持って謁見することが求められます」

「だから、そんなもん無理ですってば! 俺はマナー教室なんて通ったことありませんよ!」


 何が悲しくて、そんな針の筵に行かねばならぬ。どうせ行くなら美人の姉ちゃんがいる店にでも連れてってくれ!


「あはっあっはっはっは」


 俺がストレスに胃をキリキリとさせていると。諸悪の根源が腹を抱えて笑い出した。


「てめぇイザベラ」

「姫様でしょ。ひ・め・さ・ま。あまり無礼な口を開くと、打ち首にしちゃうわよ」


 奴はそう言ってウインクを飛ばしてくる。顔だけは良いんだよなこのギャル姫は。


「はーおっかしかった。けど流石はケンジね。お父様に会いたくないなんて言う人初めて見たわよ」

「うっせーな。姫様」


 怖いものは怖いんである。

シュタンレー病の件で農家のオジサンたちに糾弾されて以来、大人恐怖症だ。国王様ともなればそのプレッシャーは農家のオジサンの比では無いだろう。


 俺が無敵のチート能力の持ち主ならば、国王位鼻で笑えるかもしれないが。生憎とチート能力は俺の心の奥に眠ったまま。ここにいるのはか弱き少年だ。小動物はストレスに弱いんです。


「まぁ、ケンジが何と言おうとこれは決定事項だしー。首に縄をかけてでも連れてくから、よっろしくー」

「よろしくじゃねぇよ姫様! そっそうだ、国王さんはシュタンレー病対策の責任者を連れてこいって言ってんだろ! だったらキユリさんに生贄じゃなくて身代わりに行ってもらえば!」

「はぁ、何を情けない。いいですかケンジさん。これはとても名誉な事なのですよ。我々庶民が国王陛下にお目通り願えるなど、一生に一度も無い事なのです」


 そんなチャンスはいらない。それよりも俺に眠るチート能力を目覚めさせてくれ。


「無理無理無理無理やっぱり無理!」

「だーめ。ダメダメ。出発は明日だからリリアノに服を用意してもらっててねー」

「ごっ、後生でござるー!」


 俺の魂の叫びを無視され。俺はリリアノさんに耳を引っ張られイザベラの執務室を後にした。


 ★


「畜生。こうなったら凄い褒美をもらってやる」

「あっはっはー。その意気じゃんケンジ」


 胃痛と吐き気に苛まれながら、必死の思いで決意を固めている俺の肩を、イザベラはバンバンと叩いて来る。今は精神を集中させているんだ、邪魔しないでくれ。


 リトエンドから王都ミランまでは馬車を飛ばして1週間はかかるそうだ。その間俺とイザベラは2人っきり……なんてわけはない。リリアノさんや馬の世話をする人、護衛の人、その他大勢盛りだくさんだ。まぁこうしてイザベラと一緒に一番上等な馬車に乗せてもらっているだけ優遇されているのではあるが。


「所でイザベラ、この街道は安全なんだろうな?」

「なーにー。心配なのー」


 イザベラはそう言ってニヤニヤと笑う。

 整備された石畳の街道とは言え、ここは剣と魔法のファンタジー世界。油断は禁物である。派手なモンスターは出ないかもしれないが。野生動物や野盗の襲撃にあうかもしれない。

 そうなった時は俺は馬車の隅っこで大人しくしているから、イザベラたちに頑張ってもらうしかない。


「その為の護衛です。まぁこれだけのキャラバンです、そうそう手出しして来る様な族は存在しないとは思われます」


 この一団を守るのはイザベラ親衛隊の精鋭だ。また、道を連ねるのは俺たちだけでは無い、旅は道連れ世は情け、王都に用がある行商人たちの馬車も一緒に付いて廻っているので、ちょとした軍隊みたいなものだ。


「全くアンタって細かいわねぇ。そんなんじゃモテないっしょ」

「うるせぇよ。俺はお前と違って繊細なんだ」


 ところが、俺の心配とは裏腹に、馬車の旅は何事も無く続いて行った。

 昼は最後尾に合わせてのんびりと距離を稼ぎ(俺は馬車の中でリリアノさんからマナー教室を受けていたが)。夜は車座になって皆で騒ぐ。これじゃまるでピクニックだ。


「結構平和なんだなこの国は」

「今更何言ってんのよアンタ」


 イザベラはそう言ってあきれるが、俺の身になって考えてみて欲しい。この国に来て早々ゴブリンに襲われたのだ、あの恐怖は俺の心の奥底に刻み込まれてしまっている。


「ところで姫様。国王様っていったいどういう人なんだ?」


 敵を知り以下略。俺が相対するビッグネームに付いてある程度知っておかないと、どんな逆鱗を踏むか分かったものじゃ無い。


「そうね、お父様はとても厳しい人かなー。けど厳しいだけじゃなくて優しい人でもあるわね」


 うん、全く分からん。


「国王陛下はとても有能な方でございます。現在の王国が平和なのは国王閣下の治世のたまものでございます」


 そうなんすか。


 イザベラから出て来るのは家族に対するふんわりとした印象。リリアノさんから出て来るのは崇拝に近い賞賛の言葉。どちらも当てになりやしない。


「まぁ要するに、俺の敵だな」


 父性溢れる有能な王。俺がどう逆立ちしてもなれっこは無い存在だ。


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