第10話 シュタンレー病2
シュタンレー病、正式名称家禽伝染性突発性致死性症候群。そのくそ長い名称の通り、突発的な死を振りまく家禽に対する伝染病だ。それに罹ると内臓が溶け血を吐いて死に至る。原因は不明、感染ルートも不明。全ては血の中に沈んでいるという。
「……ヒントは全くなしか」
現代社会とは比べて科学技術の発達していない世界だ。ただの素人に過ぎない俺にはこの情報から何も得る事など出来やしない。
「……ここでは消毒はどうやっているんですか?」
「消毒……ですか?」
「はい、消毒ですけど」
「解毒じゃなくて?」
「……!」
そうか! この世界では微生物という概念がまだないのか!
全ての伝染病はその原因となる病原体が存在する。それが患者の体内で増え、あふれ出たそれが伝わる事で伝染する。ところが微生物の概念がまだないこの世界では、なんとなく伝わるという結果論でしか物事を見れないのだ。
「……やっぱりシュタンレー病を治すことはできません。ですがその拡大を抑えることはできるかも知れません」
イザベラの王権を持って、感染家畜を淘汰してくことは出来るかも知れない。だがそれをすれば彼女の人気はがた落ちだ。それに保障の問題もある。貧乏なこの領では即金で満額払うという訳にはいかないだろう。
とにかくまずは知識の共有だ、俺は記憶力の限りを動員して、微生物学の授業をチユリさんに行った。
★
「……それは、寄生虫のことですか?」
「いや違う! おしい! 似てるけどもっと小さい、目に見えないぐらい小さい!」
「……?」
くそ、口下手な俺では彼女の想像力を上手く動かせなかったらしい。まぁそれも無理はない。天動説と地動説の例もある、それまでの常識を動かすにはとてつもないエネルギーが必要なのだ。
それよりは顕微鏡だ、百聞は一見に如かず。実物を彼女に見せることが出来れば、一発で解決できるのに。ってか顕微鏡ってどうやって作るんだ? グーグル先生かもーん!
「まぁ、大体は理解できました。目には見えない悪の精霊がシュタンレー病の原因という事なのですね」
「……まぁ、それでいいです。それよりも消毒です!」
知識の共有には半分失敗したが、今重要なのはこれからどうやるかの具体的な内容だ。記憶を呼び戻す、ニュースの画面には真っ白になった農場が映っていた、その正体は――
「石灰、石灰はありますか?」
「石灰ですか? あれは畑に捲くものでは? それで悪の精霊を退治できるのですか?」
「えっ、いや……出来ると、思います……」
石灰って畑に捲く物なの? あれは石灰では無かったのか? くそ、勉強不足な過去の自分が恨めしい。だがあの白い粉は石灰だ……石灰って言ってたような気がしないでもない!
「石灰です、石灰で行きましょう」
不安で押しつぶされそうな心を無理矢理押さえつける。とんでもないストレスだ、イザベラの奴絶対許さねぇ。
★
「姫様。本当にケンジさんに任せてよろしかったのでしょうか」
リリアノは不安げにそう尋ねる。
「シュタンレー病なんて災害。今まではお祈りするぐらいしか取れる手段なかったのよ。それをケンジは被害を減らせると言った。それってすごい事じゃない?」
「それは……そうですが」
どこか他人事のように言い放つイザベラに、リリアノはそう口を濁す。
シュタンレー病は神の試練か悪魔の仕業か、どちらにしても人知の及ぶ問題では無かった。あの少年はそれをコントロール出来ると言ったのだ。それは新しい概念と言ってもいい事だった。
「ねぇリリアノ、ケンジが勇者だって言ったら貴女信じる?」
「ケンジさんがですか?」
剣も魔法も使えない。仕事を与えたら直ぐに辛いだのだるいだの言って根を上げる。出来る事と言えばマヨネーズなどの珍妙な食材を作り出した事だけ。とてもじゃないが勇者には見えやしない。
「姫様は、そう信じておられるのですか?」
「わったしー?」
イザベラはそう言ってけらけらと笑う。
「どっからどう見ても、伝説の勇者様とは似ても似つかない奴よね、ケンジの奴ってば。
けど面白いじゃない。誰からも鼻つまみにされるような無能者が、誰からも認められないはぐれ者が、そんな大物に化けるっていうのは」
イザベラはどこか懐かしいものを見る様な、遠い視線をしてそう言った。
「姫様……」
リリアノはそう言う主の横顔を寂しげに見守っていた。
★
うう、腹が痛い。吐きそうだ。
あのくそイザベラの野郎。何処に出しても恥ずかしくないニートであるこの俺をこんな所まで引っ張り出してきやがって。
俺はじくじくと痛む腹を抑えつつ、会議室の壇上に立っていた。
目の前には様々な表情をした農家のみなさん。みな悲観的だったり、疑惑的だったり、憤っていたり、不の感情の見本市だ。
「で、何時まで黙ってるんだ小僧。俺たちは姫様の召集で集まったんだぞ」
「すっ、済みません!」
ここにいるのは領内の大規模農家だ。本来ならば全農家に説明して回りたいところだが、インフラの発達してないこの世界ではそんな事は不可能だった。
「あー、えー、きょ、今日集まって頂いたのは、シュタンレー病の事です」
俺は声を裏返しながらも、何とか冒頭の挨拶を発することが出来た。
シュタンレー病の名前に、聴衆の視線が色濃くなる。
「そうだ、あの忌々しい悪魔の病気がリトエンドに侵入したという噂は聞いている。姫様が祈祷を始めたというのか?」
「きっ祈祷ではありません」
そうだ、敵は病原体によってもたらされた、自然現象。いわば病原体との戦争だ。戦争ならば人間の領域。人間以上に戦争に長けた生物は居ないのだ。
「ならばなんだと言うのだ」
「戦いです。姫様はシュタンレー病と戦う事を決心したのです」
「そんな事が出来るわけがない。教会にお祈りでもしていた方が100倍ましだ」
そうだそうだと言う声が広がる。この世界の常識に対して俺が言っているのは、地震や台風に対して剣や魔法で被害を減らそうと言っている様なものなのだ。
「出来ます! シュタンレー病を治すことはできませんが、被害を減らすことは出来ます!」
こうなりゃやけだ。俺は痛む腹からざわめきに負けない大声を出す。
「治せないが、被害を減らせる? いったい何を言っているんだ小僧!」
「ごっごめんなさい! けど俺のいた国ではそうなんです!」
怖い! 農家のオジサン超怖い! 正直今すぐ逃げ出してベッドの中に潜り込みたい!
「石灰です! 石灰を使うんです!」
「は? 何を言ってるんだ、小僧?」
「石灰です、いいですか、石灰を捲くんです、畑じゃなくて鶏舎に」
「だから、それにどんな意味があるんだ?」
「それがシュタンレー病に対する最大の武器となるんです!」
正直、自信なんて全くない。曖昧な記憶を頼りにしただけの、ただのやけっぱちだ。
「だから、理由を言え小僧!」
「ひっ!」
マジで号泣5秒前、目頭にタップリと涙を蓄えた俺の前に。事の元凶が現れた。
「だいじょーぶ! 悪霊には銀の剣、シュタンレーには石灰が効くのよ」
「姫様!」
イザベラの登場に、皆一斉に立ち上がった。
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