第9話 シュタンレー病1

「何よケンジ怖い顔して、これはアンタの責任じゃないっしょ」


 イザベラはそう言って力なく笑う。

嫌だ、こいつは陽キャの具現化、太陽の化身。そんな曇った顔は似合わない。

 思い出せ、思い出すんだ。テレビの向うでは何をやっていた? 思い出すべきはニュースを伝えるアナウンサーの顔じゃない。その向う、現場の人間が何をやっていたかだ。

 隔離、消毒? 違う、それは間違いじゃないが何か違う、もっと重要な事があったはずだ。


「……思い……出した」

「えっ? 何?」

「……殺すんだ」

「はっ だから、シュタンレー病は致死性の――」

「違う! 疑わしきものは片っ端から殺していくんだ!」


 思い出したのは積みあげられた死体の山、そして沈痛な顔をした農家さんの顔だ。


「ケンジ、アンタ一体何を――」


 俺は困惑したイザベラを他所に話を続ける。


「淘汰だ、摘発淘汰! 鳥インフ……シュタンレー病は悪性の伝染病。農家という農家を隔離して、病原菌? ウイルス? を封じ込め、顔を出したら容赦なく淘汰していくんだ!」


 現代社会では検査キットがある、検査は迅速に行われるが、生憎と製造方法なんて知りはしない。だったらやるべきことは次善策。徹底的な封じ込めと、摘発淘汰だ。


「ケンジさん。さっきから貴方は何を言っているのですか」


 こんどはリリアノさんだ。彼女は何時もより多めに眼鏡を光らせながら俺にそう聞いて来る。


「だから、言った通りですってば! 早けりゃ早い方がいい、伝染病は時間との戦いだ!」

「シュタンレー病は神が与えし試練です。人に出来るのは祈りをささげるだけでございます」

「そんな事言ってないで、早く治まるに越したことはないでしょ!」


 高々マヨネーズがどうしたという話ではない。この地域の基幹産業である農業に大打撃を与える話なのだ。


「ちょっとケンジ落ち着くっしょ。隔離? 淘汰? アンタ自分が何を言ってるか分かってんの?」

「ああ、勿論だ」


 うろ覚えの記憶だけど、真っ白の防護服を着て農家に押しかける現場担当者の姿は記憶に残っている。


「それで、私に弱い者や役立たずは殺せって言ってんの? アンタ本気で?」

「うっ、ぐっ……、そっそう……だ」


 無能のくせしてどの口が、と思わなくもないがしょうがないじゃやないか。家畜は家畜、そう言って割り切らないと何一つできやしない。


 ギロリとイザベラは冷たい視線を俺に向ける。


「分かったわ、そこまで言うなら貴方が仕切りなさい、責任は私が取るわ」

「イザベラ!?」


 思わず呼び捨てにしてしまった。こいつは何を言ってるんだ? 俺にそんな事で切る訳ないじゃないか。


「姫様、それはケンジさんには荷が重いかと思われます」


 そうだそうだ言ってやれ、俺にはそんな企画力も実行力もありはしないって。


「いいえ、これはもう決定事項。私が許すわ、アンタがやりたいこと、やらなくてはいけないと思っている事、全部やって見なさい」


 イザベラはそう言いきったのだった。


 ★


「無茶だろ……」


 俺は閉め切った自室で、ポツリとそう呟いた。

伝染病の蔓延を食い止める。そんな事が素人に出来るわけがない。しかも唯の素人では無い、元ニートの引きこもりでコミュ障だ。

 俺はイザベラの無茶振りに思わず頭を抱え込む。


「いったいどうしろっていうんだ」


 実際の現場では、入念に事前準備を重ねに重ねた上で、多数の機関の協力がありやっている事だろう。そして何より必要なのは農家の協力だ。彼らが自発的に協力してくれなくては封じ込めなんて出来るわけがない。


「……ステータスオープン」


 俺はボツリとそう呟いた。絶体絶命のピンチにチート能力が顔を出してくれるかと思ったが、その言葉は虚空へと消えて行った。


 やばい、マジでヤバイ。あまりのプレッシャーに精神を病みそうだ。


「こんにちわー、姫様に言われてやってきましたー」


 梅雨より湿気った俺の元に1人の女性がやって来た。

ショートカットで眼鏡姿の小柄な女性で、使い古されたつなぎを着こなしている。


「誰です?」


 少なくともこのお屋敷では見た事の無い人だ。


「どもども始めまして。私はキユリ・ハートランド今回の件でケンジさんのサポーターを任されたものです」

「はぁ……それはどうも」


 はきはきとした小気味いい喋り方をする元気な女性だ。だが、俺のサポートなんてこりゃまたとんでもない貧乏くじを引かされたものだと、同情する。


「それより姫様に聞きましたよ、なんでもとんでもない事を考えているとか」

「……どうも」


 既にシュタンレー病は発生しているんだ、今更計画から練るなんて事すでに遅すぎるような気もしないが。

 

「それで、貴女は何を?」


 サポーターと言っても具体的に何をしてくれるんだろう。全部やってくれないかな?


「ええ、私は郊外の家畜試験場で家禽の世話を担当しているものです、シュタンレー病は最大の悪夢。その力になるなら、どんなことでご協力いたします」

「専門家来たーーー!!」


 脳内の曇天から神々しい光が差し込む。これぞまさしく天の助け、神様仏様イザベラ様だ!


 突然マックスに振り切った俺のテンションに、彼女が度肝を抜かれているが関係ない。専門家、専門家の登場だ。来た! これで勝てる!


「じゃっ、後は任せました!」


 俺はしゅたっと手を上げる。


「いやいやいやいや。何をどうしたらいいのか指示を下さいよ!」

「そんな事言われても俺にも分かりませんよ! 分かっているのは放置してたらヤバイって事、ウチの国では摘発淘汰で乗り切っていた事位です!」


 具体的にどうすればいいかなんて知った事じゃない、これでも押しも押されぬニート生活を送っていたのだ。まぁ、見えないプレッシャーは常に感じていたけどな!


「そこを詳しく!」

「おっおう!?」


 キユリさんは鼻がくっつく位に近づいて来てそう訴える。草原の柔らかな良い香りがするが、生憎とその期待には応えられないのだ。くそうネットがあれば調べられるのに!


「お願いです! 何でもしますからどうか指示を!」

「ちょっと待って! 今必死で思い出すから!」


 こんな素朴な女性が必死になって俺を頼っているんだ、ここで応えなきゃ男じゃない。

 決して、決して『何でもする』と言う言葉に魅了されたんじゃないんだからね!


「待って! 思い出した思い出した!」

「何をですか!?」

「確か移動制限区域がどうとかニュースで言ってたような気がする」


 病原体を拡散させないための手段だろう。それが解除されたことがニュースになっていた様な。


「それは隔離の手段ですね。って市場に出荷させないって事ですか!?」

「そうだと……思う」

「そんな事をしたら農家の収入が断たれてしまいます!」

「だめ……ですか?」


 病気が広がってしまい、地域丸ごと全滅してしまうよりはいいと思うのだが。


「あのう……ケンジさんはシュタンレー病に対する治療法は知らないんですか」

「残念ながら……」


 俺が知るのはうろ覚えのニュース内容だけだ。

 キユリさんのテンションはみるみる下がっていく。くそうイザベラの奴め、一体どんな説明をしたんだ。


「私達はシュタンレー病という悪夢を前に、ただ神に祈る事しか許されていませんでした。それがケンジさんなら解決できると聞いたのですが……」


 ふざけんなくそイザベラ! 一体どれだけハードル上げてんだ! 潜った方が早いわ! 天井知らずか!

 俺は怒りを押し殺し、キユリさんに質問する。敵を知り己を知れば何とやら、先ずはシュタンレー病の事を知らなくては。

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