day -07:公園ニテ

一週間前。


 約束もないし部活もない。躊躇なく学校を休んだ。

 理由は特にひねらず、だるくて頭や喉が痛くて――つまりは仮病だ。休むことや仮病を装うことに後ろめたさはそれほど感じなかったが、時計を見るたびに今何時間目の授業を学校で行っているのかを考えてしまうあたり、僕も学生なんだなと思った。十時(二時限中盤)頃までベッドの上でうだうだしてみたものの、退屈だったので起床した。漫画やらを再読しつつ、時間を思う存分浪費する。浪費とは、無駄に消費するということだ。無駄無駄無駄無駄。そのままないない尽くしで日が暮れる……と、予想していたのだが、夕方になって携帯電話にメールが一件。

 卯生だろうと思った。

 しかし違った。

「毬雲……?」

 毬雲雛鳴は、メールを使う事が少ない。かといって電話を掛けてくるわけでもない。携帯電話という機器自体が不得手なのだろう。一応学生同士のたしなみとしてメルアド類の交換はしてあるものの、僕もそれほど携帯電話に堪能なわけではないので(使用するのは卯生か、一部の友人相手程度だ)、毬雲とのやり取りはほとんど美術室オンリーだ。

 珍しくメールボックスに毬雲雛鳴の文字が光っているのを観賞してから、内容を表示させた。

 件名……「槍振公園にいます」

 本文……「軌跡君今日は。まだ暗くないから今晩はじゃないのです。帰宅してお家にいますか? お家にいて暇だったら、槍振公園に来て下さい。場所はわかる? 軌跡君のお家の近くなんだけど」

「……ああ。毬雲、知らないのか」

 今日僕が学校休んだこと。

 別のクラスだしな……まぁ、仮病なんだが。にしても槍振……? 確か近所の公園がそんな名前だったか……最後にあそこで遊んだのはいつだろ。てか、毬雲の家はこの近所ではないはずなんだが……電車通学だったはずだ。なんだ、わざわざ会いに来たのか? ううん?

 何のために?

「まさか、砂場に作品を作ったから、見に来て――とかじゃないだろうな」

 だったら凄い。かなり見たい。尊敬する。しかしそれなら写メールよこせば良いだけだし、流石に撮り方や添付方法がわからない事はないだろう。

 …………。

 ま、行かない理由はない。

 火曜日の時のように、毬雲対応は早いほうが面倒にならないのだ。

 でも、しまったな。服装がパジャマのままだ。今から制服を着る気にもなれないし……近所だし、シャツにパーカーとジーンズでいいか。

 外に出る。



 *   *   *



 公園に着く。

 この間、十分。久し振りだったので、少し迷った。

 こじんまりとした公園だが、丸いジャングルジム、昨日の雨で湿った砂場、滑り台にブランコ、登り棒、街灯もきちんとある。子供の身体なら走り回る事も可能だろうし……もし公園と名乗るのに資格が必要だとしても、ここはその資格を十分取得できるだろう。くるりと見回して、学校の制服を見つける。

 毬雲はベンチに座っていた。

 鞄を抱えて、ちょこん、と。

 互いに目が合って、少しの逡巡。火曜日のこともあるので、どう対応したものか少し悩んだが、軽く右手をひらつかせる程度の挨拶を選んだ。なるべく何事もなかったかのように近付き、毬雲の隣に腰をかける。近すぎず、遠すぎず、言葉は届いても指先は届かない、距離。

 何の用か尋ねようかと思ったが、実は予想がついていた。

 予測――むしろ、予感か。

 毬雲の顔を見て、思い至ったというか。

 なので、先に口を開いたのは毬雲だった。

「私服姿の軌跡くンは初めてです」

 まずは無難な所から。

「私服っていうほど気合の入った代物でも、ないけれどさ」

「だらだら」

「だらだら」

「だらだーら。あ、今日学校に来てない……ン?」

「実はね」

 気付いたか。と言っても、隠すようなことじゃない。

「そっか」

「ちょっとだるくて。風邪かな? 熱はないんだが」

「いけないですねー。風邪は百獣の王っていうンですよ。医者の無愛想とか、図鑑速達とか、いいます。ほンとだよ」

「いや、嘘だろ」

 間違いだらけだ。そのうち、風邪は乾布摩擦で治しましょうとか言ってくるに違いない。

 それにしても、毬雲はいつもより大人しい。美術室というテリトリー外なので、静かなのだろうか? 絵を描いていないからだろうか? もしくは、だ。

「軌跡くンはほンとです?」

「いや、嘘だが。本当に具合が悪かったら、メールでそう返すからね」

「安心です」

「……ですか。…………」

「…………うン。………………」

 会話が、そこで途切れる。

 街灯は既に灯っていて、空の色も少し歪なオレンジ色。向こう側は黒く染まり始めている。

 予感。――ろくでもない、予感がする。

「…………」

「……ンー……」

 隣を見る気にもならない。ひたすらに星の姿を探す。

 だからさぁ、そーゆーのはやめてくれよ、と言いたい。苦手なんだよ。わかるだろう? 確かにありふれていて蔓延っていて珍しくもない当たり前のお話だけどさ、それゆえに対応が面倒なんだよ。面倒面倒、こんな感想を抱く奴はマイナーかもしれないが、僕は面倒としか感じないぜ? やっと方針も見つかったのに出鼻を挫くつもりか。ああそうなのか?

「……………………」

「……、……」

 沈黙が続く。公園は賑わっていない。

 誰かいてくれれば、まだ楽なんだけれどね。脇の道を通る奴等はいるけど、ベンチに着席中の若者二人を見かけて、余計な気を使ってくれる。全く皆様お優しいことで。流石に家に来られるよりはマシだったとはいえ、公園ってチョイスも精神的に辛いものがある。公園はその名の通り公共物、だから誰だって利用する。だから誰だって見物できて、見世物のような気分だ。

「……」

「………………………………」

 おいおい、いい加減進めてくれよ。星が数え切れなくなってきた。

 火曜日の事を思い出す。ああ、あの時はまだ良かった。べらべらと一方的に喋られるだけで、こっちはただそれを聞き流せばよかったんだから。五月蝿いとも思ったし突き刺さるものもなかったではないが、無闇に意味深で無意味に闇雲な、この無言空間よりはずっといい。あの時は自殺法の収穫もあったしね。今現在は、心苦しく息苦しいだけだ。

「…………」

「…………」

 どうしろってんだ。こっちから切り出すわけにもいかないし。

 あの部活の時、あの場で決着をつけておくべきだったか。放置された絵について卯生の奴と意見交換していたり、ビブの過去話をしている場合ではなかったか。今何をしてるんだアイツは。この状況、実は気付いてたんじゃないか? 女の子だしな。だったら何故言ってくれない。僕はことここに至るまで、まるで考えなかったぞ。とことん裏切り者め。根も葉もない逆恨みだけどさ。

「……あの」

 と。

「軌跡くン」

 毬雲が、やっと続きに入った。

 僕はなるたけ普通に返事をする。

「うん。何?」

「このあいだのこと……なンですケド……」

「……」

「火曜のビブの」

「ああ」

 ふぅ。

 来た来た。

 ま、そう来るか。

 火曜日の話から入るか。

 妥当なところではあるだろう。

 困るは困るが、沈黙よりもやはり会話だ。

 ゆっくり自分のペースでいいから、進行させてくれ。

「うん、それで?」

「好きです付き合ってくだ」

「はえぇぇー!!」

 焦るのもほどほどにしろよ!

 なんだその単刀直入っぷり!

 沈黙してただけだぜ僕たち!

「違うだろ! 色々違うだろ! 会話運びとか段取りとか文法とか間合いとか! ゆっくりでいいっつってんだよ! いきなり踏み込んでくるなよ! 一本取られちまう所だったよ!」

「うわ、軌跡くンからこンな突っ込まれたの、私服姿とおンなじで初めてです」

 叫んでしまっていた。

 くりっとした目をしばたかせる毬雲。

「いいから……! 仕切りなおせ。仕切りなおしを要求する!」

 読者が置いてけぼりだ。

「う、うン……」

 吸って。

 吐いて。

 深呼吸。

「だからね、好きで」

「切り込みなおすな! 順を追え!」

「軌跡くン、今日は律儀だな……」

「いつも突っ込み待ちだったのか……? 次はないと思えよ……」

「……はい」

 仕切りなおし。

 過去をキャンセル。

 僕も呼吸を整えて、ベンチに腰掛けなおす。

「あの、火曜日はごめンなさい。一方的に好き勝手意見言うだけ言って、返事も聞かずに飛び出して。でも、本音だよ。私は軌跡くンに、理由はどうあれ死ンでもらいたくない、です。死なないで欲しいと、思うンです」

「……ですか。まぁ、その意見は確かに伝わったな」

「うン。でも、あの後考えてみて、気付きました。軌跡くンはそれでも、自殺をやめるつもりはないンだろうな、って。私があの時言った言葉は、聞き入れるつもりないンだろ、って」

「…………、そうだな」

 それは、気付くか。一年間、雑談しあった仲だからな。

 だが、できる事なら気付いてもらいたくはなかったもんだ。

 毬雲からしたら、それはあまり気分の良い発見じゃないだろう。

「どれも私の感傷です。どれも私の言い分だもン、軌跡くンからしたら――」

「どうでもいい」

 先回りして、言葉を繋いだ。断言するように。

「うン……」

 ぐすっ。

 鼻をすする音。

 泣かせてしまったか、と毬雲を横目で見やったが……泣いてはいなかった。既に辺りも大分暗くなってしまったので細かい所までは見えなかったけれど、少なくとも泣いてはいなかった。まだ、セーフティゾーン。野外で壊れられると、それは手におえない。

「……で、どうしたらいいかなって、さらに考えたンです。夜も寝ないで絵を描いて、昼も寝ないで絵を描いて。何枚か絵を描いたけど、あンまり面白い出来じゃありませンでした。でも、クレヨンは素朴さを出すのに向いてるンです」

「そうか……絵を描いてたようにしか聞こえないな」

 お前は絵を描きながらじゃないと、他の事が出来ないのか。

 あと、授業を受けるという選択肢はないのか。

 さておき――わかりやすい回路ではある。その結果思い至ったのが、

「それ、で。お付き合いできませンか、って」

 と言う――結論か。

 成る程、理には適っている。

 この水梳軌跡にとって毬雲雛鳴が、同じ学校で同学年の生徒(加えたところで幽霊美術部員同士)以上の意味を持たないのであれば、それ以上の関係になってしまえばいいだけのことである。付き合ってる恋人同士であれば、互いにどうでもいいだなんてことにはならないだろう――と。

「…………さいですか」

「…………どうですか?」

「…………」

 理には適っている。

 だけどなぁ、それだけなんだよ! わかりやすけりゃいいわけじゃないだろうが!

 確かに予想はしていたし予測もしていたし予感もあったが、対応に困るんだよ、本当に! お付き合いとか今時どんな告白の仕方だよ! しかも告白の理由が不純っていうか、見当違いだろ! なんでも恋愛に結びつければ受けると思うなよ! 高校生してますねぇ!

「……高校生と光合成って似てるよな……」

「え? うン、確かに似てますね。小中学生と焼酎が臭え、みたいな……。え、ンぇ?」

「ごめん、超関係なかった……」

 心の声が暴走した。

 しかし、どうしたものか。

 スカートを握りしめてる毬雲の手が見える。コイツのことが好きか嫌いでいえば、どちらでもないが回答だ。面白い奴だとは思うが、それ以上でもそれ以下でもない。面倒な奴だとは思うが、それ以下でもそれ以上でもない。毬雲の方からしてもそうなんじゃないのか。僕たちはそういう『なんでもない』関係だろう。友達止まりだろう。勢いあまって勘違いするんじゃない。お前はそんな、ありきたりの展開を望むようなキャラじゃ、ないだろう?

 …………、…………。

 沈黙が続く。

 今度は僕が待たせている。

 何故僕は悩んでいる?

 心音はこんなにも静かだ。

 つまり、ドギマギして返答に窮しているわけではない……なら、何故?

 きっと、それは。

 きっとそれは、やっぱり思い知ったからだろう。僕が死を選んだだけで、自殺の選択を知られただけで、こんなにも他人に迷惑をかけている。もし僕がこんな選択をしていなかったとしたら、毬雲は間違って思い違えた告白など選択しなかっただろうし、『なんでもない』間柄を望んで、きっとそのままでいられただろう。けれどこの思考に意味はない。既に起こっていることで、既に選択は済んだことだ。

 なら、今一度選択をしなくてはいけない。

 思い直して諦めるか、傷つけ直して疲れるか。

 笑顔を見るか、泣き顔を見るか。

 面倒だ……。卯生の奴はなんて相手しやすいんだろう。アイツのせいだとはいえ、そう思わずにいられない。

「……ふぅ」

 ここで結論は出せないな。雰囲気的タイムリミット、次回持ち越しだ。

「ごめん、一週間」

「ンぁえ?」

「一週間、貰えるか。返事を考えるから、時間が欲しい」

「……ぅぅ……」

 ああ、泣きそう泣きそう。眉を震わせるな。

 唇をひくつかせるな。

「だから、一週間は死なないって言ってるんだって」

「死なない……」

「一週間はね。毬雲に返事をきちんと言うまで、勝手に死んだりしないから、それで今は勘弁して欲しい。大体方法も思いついたからそろそろ実行に移そうかとしていたところなんだけれど、毬雲の告白は僕にとってそれだけの価値があったということで、やっぱり色々考えたりしたいことが出てきたわけで、だから」

 おおお、口が勝手に無責任な言葉を紡いでいる……。

「だから、一週間貰えないか」

「……ン」

 少ししてから。

 毬雲は、頷いた。

「わかった。わかりました。一週間、だね」

「ああ」

「あうぃーく、待ちます」

「……さんく」

 とりあえず安堵に胸を下ろした。今日のところはこれにて決着……。

 どうにか毬雲を泣かせずに断る方法を模索しないとな。考えることが増えてしまった。一週間、七日、百六十八時間。分以下に直す気はしないけれど、猶予はそれだけ、ね。充分とはいえないが、不充分ではないだろう。

 毬雲が立ち上がるのを待って、僕もベンチから立つ。

「帰る?」

「ン。軌跡くン家に泊めてくれるンです?」

「断じて断る。駅だろ? 送るよ」

「あンがとです。……ンへへ」

 へらへら笑いやがって。お前と話している間に、夕方からすっかり夜に食い込んじゃったよ。沈黙時間の長いやり取りだった。無駄、無駄、無駄、だ。

 公園を出る。

 駅に着く。この間十分弱。

「また明日学校で?」

「別のクラスだろ。会うかどうかわからない」

「うーン、じゃ。また明後日、ビブでね」

「おう」

 互いにあらん限り気軽な風に、手を振った。

 その後、振り返るそぶりすら見せずに帰路へつく。


 残り、一週間。

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