第56話

「約束の時間よ。完成した小説を見せてもらうわ」


 山之口さんが仁王立ちをして言う。

 彼女との約束は、二学期になるときを期限に、文芸部の活動実績を見せるというものだった。

 活動実績とはつまり、部員の書いた小説のことである。


「まあ、怠惰な文芸部のことだから、小説を書いているなんて嘘でしょうけどね」

「嘘じゃない。ここに完成した原稿がある」

「あら、本当に書いてはいたのね。ふうん、確かに文字数は多いようだけど……」 


 俺が小説の原稿を差し出すと、山之口さんは目を丸くした。

 彼女はパラパラと紙の束をめくって難しそうな顔をする。


「中身を読んでもいいかしら、伊集院くん? 不健全な内容だったら、風紀委員として見過ごすわけにはいかないわ」

「中身、ですか……うーん、まあ……」


 俺は思わず言葉を詰まらせた。

 この小説には、ちょっとだけエッチなシーンも含まれている。

 そこが風紀委員である彼女の気に障る可能性がある。

 小説の文字数だけを確認して活動実績を認めてくれたらラッキーだと思っていたのだが、考えが甘かったようだ。


「どうしたの? もしかして、読まれて困る内容なのかしら?」

「いや、そういうわけでは……」


 山之口さんの追及に俺が困っていると、小夜子が突然椅子から立ち上がり、

「読まれても全く困りません! 名作ですから読んでください!」

 と、言い切った。


 こうして、山之口さんが俺の小説を読むことになった。

 そして、十分後。


「……」

「……」

「……」


 気まずい。

 山之口さんがひたすらページをめくる様子を、俺と小夜子がじっと眺めている。

 人が小説を読んでいるのを見ているだけの時間とは、これほど手持ち無沙汰なものなのか。


 しかも先ほどから、山之口さんの顔が赤くなってきている気がする。

 これは恐らく怒りのせいだろう。

「なんて低俗な小説なの!? こんなものを書く作者は変態よ! 文芸部は廃部ね!」

 と、今にも言い出しそうである。


 俺が戦々恐々としていると、隣りにいた小夜子が俺のシャツの裾を引っ張った。


「先輩、千景さんが読み終わるまで、部室の外に出ていませんか?」

「……そうだな。まだ時間がかかりそうだし」


 俺たちは小声で言い合うと、文芸部の部室を出た。

 中庭まで歩いて行き、自販機でジュースを購入する。

 二人並んでベンチに腰掛けると「ふぅー」と、どちらからともなくため息をついた。


「千景さん、先輩の小説を気に入るでしょうか」


 小夜子が呟く。


「いや、無理だろ。怒ってたように見えたし」

「あっ、やっぱり怒ってたんですかね」

「きっとそうだろ。顔が赤くなってたし」


 俺たちは顔を見合わせると、またもやため息をつく。


「文芸部がなくなっても、私たちは一緒にいられますよね」

「まあ、恋人同士だからな」

「えへへー、そうですよねー。でも……」

「うん」

「あの部室には思い出もたくさんあるし、失いたくないなぁ……」


 小夜子が寂しそうな声で言った。


 そうだ。

 俺だって文芸部の部室を失いたくない。

 小夜子と一緒にいられるのならば、どんな場所だって、どんな時間だって楽しい。

 それは間違いない。


 だけど、俺がその中でも最も好きなのは、小夜子と文芸部の部室で過ごしている時間なんだ。


 二人でダラダラと過ごす日も、灯里や芦沢くんがふらりと訪ねてくる日も、全てが楽しかった。

 これからもそんな時間が続いて欲しい。

 俺は、文芸部を失いたくない。


「そろそろ部室へ戻ろうか、読み終わっている頃だろう」


 どれだけ中庭のベンチに座っていただろうか。

 よい頃合いを見て、俺たちは部室へと戻るために立ち上がった。


 部室の扉を開くと山之口さんがいて、紙束をトントンと揃えているところだった。

 ちょうど小説を全て読み終わったところだったのかもしれない。


「全て読ませてもらったわ」


 彼女は目を細め、顔を真っ赤にしてそう言った。

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