第53話
駅ビルの屋上は広場になっており、花壇やベンチなどが置かれている。
「先輩、誰もいないみたいですねー」
「みんな花火を見に行ってるからだろうな。貸し切りだ」
俺たちは屋上の端まで歩いて行って、転落防止用のフェンスに手をつく。
雲ひとつない夜空に星が瞬いていた。
「そろそろ花火が上がり始める時間ですよー。……あっ!」
小夜子が無邪気に声を上げる。
ずーっと向こうの方で、花火の光が弾けるのが目に入った。
数秒後、どん、という低い音が遅れて聞こえてくる。
「先輩! ここからでも見えますねー!」
「小さすぎるけどな」
「でもいいんです、夏の思い出ですよ」
横を見ると、小夜子はキラキラした目で花火の方を眺めていた。
まあ、彼女が楽しそうならばそれでいいか。
俺はそんなふうに思った。
「一年前の夏祭りの日、友達と待ち合わせをしていたんです」
唐突に、小夜子が語り始めた。
「待ち合わせ場所に向かうために、一人で駅前の交差点にいたんですけど……そこで後ろから押されて……」
「ああ、危ないところだったよな」
「はい。でも、先輩が助けてくれたんですよね。あのときは、お礼も言えなくてすいませんでした」
小夜子は突然ぺこりと頭を下げる。
急にしおらしい態度をとってきた後輩に驚きつつ、俺は言った。
「いやいや。小夜子がお礼を言えなかったのは、俺がさっさといなくなっちゃったせいだろ。小夜子は悪くないよ」
「確かに、先輩は逃げていっちゃいましたよね」
「抱きしめたからセクハラ扱いされるかなーと思って」
「ええっ!? 先輩って一年前からずっと自己評価が低いんですねー」
「ほっといてくれ」
「ふふっ……ねえ、先輩」
「んー?」
「あのとき助けてくれて、ありがとうございました」
まっすぐに俺の方を見て、小夜子は言った。
暗闇の中、かすかに花火で照らされる彼女の顔が可愛くて、俺の心臓がどくんと跳ねた。
「えへへ……お礼が言えなかったのが心残りだったんで、やっと言えて良かったです」
「そんなの別にいいのに」
「お礼が言いたくて、その後も結構駅の周辺を探したりしたんですからね?」
「律儀だなー」
「ある日先輩のことを見つけて、制服から学校を割り出したんです」
「……へー」
「私もそこの学校に行けば、私を助けてくれた人に接触できるかなーと思って」
「ちょっと怖いな! ストーカー気質っぽいよ!」
俺がツッコむが、小夜子は真剣な顔で首を横に振る。
「いいえ。そのくらい、私を助けてくれたときの先輩はカッコよかったです」
「そ、そうか……? ありがとう」
「あの……先輩って、いま書いている小説で、ヒロインの小夜ちゃんが主人公に惚れる理由が決まらないって言ってましたよね?」
「え? そうだけど」
どうして突然小説の話になったのだろうかと思い、俺は首をひねる。
「小夜は事故に遭いそうになったところを救われて、主人公に惚れたという展開は、どうでしょう?」
そう言う小夜子の顔は、驚くほど真っ赤になっていた。
「でもそれじゃあ、一年前の俺たちの経験そのままだし、小夜子は俺に惚れているわけじゃないし……」
「……いいえ、違います!」
ひと呼吸置き、小夜子はまた口を開く。
「先輩、好きです。……一年前から、ずっと」
その言葉を聞いて、俺は一瞬、これは本当に現実なのかと耳を疑った。
俺の目の前にいる後輩は、目を潤ませ、口をぎゅっと結んでいる。
時が止まったような二人だけの空間の中、遠くから花火の音だけが響いていた。
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