第51話

 ちょうど一年前の今日。

 俺は花火大会の会場へ向かう人たちの中に混じって、交差点で信号待ちをしていた。


「夏祭りの日なんて聞いてないぞ……人が多すぎて嫌になるな」


 ぼそりと愚痴を口走る。

 多くの人にとって一大イベントである夏祭りも、友達のいない俺にとっては関係のないものだ。


 俺はただ、駅前のアニメショップにライトノベルを買いに来ただけだった。

 数冊のラノベとその特典を青色の袋に入れて帰る途中に偶然、花火大会へ向かう人ごみの中に飲まれてしまったのだ。


「おっと……危ないな、まったく」


 俺の目の前には横断歩道があるというのに、後ろから背中を押された。

 むっとして後ろを振り向くと、思った以上に多くの人が密集してひしめき合っていた。

 どうやらその人ごみの最後尾に、厄介なヤツらがいるようだ。


「うぇーい! 詰めろ詰めろ! うぇーい!」


 祭りのせいでテンションの上がったヤンキーたちが、横断歩道に並ぶ人たちを煽って前に押していたのだ。

 信号待ちをする人々は皆、迷惑そうな顔をしている。

 まったく、黙って待っていればいいのに……。

 ああいう奴らが煽り運転をして事故を起こしたりするんだなあと思っていたその時だった。


 ヤンキー集団の中の一人が、わざと人ごみに向かってタックルをした。

 人が押されて前に倒れ、そのせいでさらに人が押されて前に倒れ……という風に、ドミノのように次々と人がバランスを崩していく。

 そして、俺のすぐ横で小柄な女の子の背中が、ドンッ、と押される。


「あっ……」


 俺は思わず声を漏らした。


 倒れ込みそうになる少女。

 そこに向けて猛スピードで走ってくる一台の車――。


「危ない!」


 俺は咄嗟に少女の手を掴み、引き寄せた。

 彼女を抱くようにして後ろに倒れこむと、俺たちのすぐ目の前を、クラクションを鳴らしながら車が通過する。

 数秒後、信号は青に変わった。

 俺たちを避けるようにして、花火会場へ向かう人々は歩き始めた。


「なに座り込んでんだよ! 通行の邪魔になるだろーが! うぇーい!」


 タックルをしたヤンキーが俺たちに向かって叫んできた。

 誰のせいで倒れたと思ってんだよ! 人が轢かれるところだったんだぞ!

 そう言い返そうと思ったときには、ヤンキーたちはさっさと花火の会場の方へ去ってしまっていた。


 その場には、俺と見知らぬ少女だけが残された。


「あの、大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 ――と慌てて彼女に問いかけた瞬間、俺は固まってしまった。

 うわあ……この子めちゃくちゃ可愛い……。

 しばらく見惚れていると、彼女がおずおずと口を開く。


「は、はい……あの……大丈夫です。……ただ、その、放していただけるとありがたいです……」

「えっ?」

 

 そういえば、俺は彼女をぎゅっと抱きしめたままだった。

 女の子特有の良い匂いが俺の鼻腔をくすぐる。


「わーっ!? す、すいません! 抱きしめるつもりはなかったんです、ただ車が来て危なかったのでっ!」

「は、はい。分かってます。その、危ないところを――」

「じゃあ俺はこれで! お気を付けて!」

「えっ!? あ、あのっ……」


 俺は彼女に怪我がないことを知ると、さっさとその場を後にした。


 なぜ俺は名乗りもせずに去ったのか。

 その理由は、人助けをすることなど俺にとって当然の行動であり、感謝など求めていないから――なんてカッコイイものではない。

 単純に、抱きしめてしまったことを責められるかもしれないと思ったからである。


 どんな女の子でも、俺みたいな男には抱きしめられたくないし、触られたくないし、助けられたくないだろう。

 最悪、セクハラで訴えられる可能性すらある。


 ……今思えば、酷い被害妄想だ。

 だが、この頃の俺は女性に対する苦手意識が強かったので、何も言わずに逃げてしまった。


 俺があの日、助けて抱きしめた少女の姿を思い出す。


 水色の浴衣。

 可愛らしい顔立ちと、一つに結んだ黒髪。

 猫のようにくりっとした大きな瞳。


 一年前に抱きしめた少女と、いつも一緒にいる後輩の姿が、やっと俺の頭の中で一致した。


 長い回想から時は戻って、現在。

 俺はあの少女と同じ浴衣、同じ髪型をした小夜子に、問いかけるように呟く。


「一年前の夏祭りの日、俺は小夜子に会っていたんだな」

「…………もうっ、やっと気付いたんですね。本当に、先輩は鈍感です」


 小夜子は拗ねたような、あるいは照れたような表情で俺の言葉に応えた。

 俺は「一年前にも思ったけど、やっぱりこの子はめちゃくちゃ可愛いなあ」なんてことを考えていた。

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