第50話

 夕刻。

 待ち合わせの駅前に到着した俺は、こう呟いた。


「帰りたい……」


 とにかく人が多すぎる。

 以前、日曜日に灯里に誘われてパンケーキを食べにいったことがあるが、そのときの比ではない。

 祭りなんて滅多に行かないから、こんな人数が押し寄せるとは想定していなかったのだ。

 うんざりした気持ちになっていると突然、俺の視界が真っ暗になった。


「だーれだ?」


 後ろから、ぱっと目隠しをされたらしい。

 不意打ちだったので俺の体がびくりと跳ねる。


「うーん、誰かなあ……? って、待ち合わせてるんだからバレバレだろ」

「えへへ、ちょっとイタズラしてみました」

「まったくしょうがないなあ小夜子は……って、誰?」


 目の前にいるのは淡い水色の浴衣を着た少女。

 しかしいつも部室で見ている小夜子に比べて、ちょっと身長が高いし顔も大人っぽいような……。


「いやいやいや! 私、小夜子ですよ! 後輩の顔を忘れますか、普通!?」

「本当に小夜子か? いつもと様子か違うぞ」

「薄くお化粧してますからね。あと、髪型も」

「あー、確かに髪型が違う! いつもは下ろしてるのに、今日は結んでる」

「そのくらい真っ先に気づいてくださいよ! 言われなくちゃ分からないんですか!?」

「ははは、ごめんごめん」


 俺が謝ると、小夜子はむすーっとした顔になった。

 女の子は小さい変化に気づいてほしいものだし、変化に気づいてくれた男に対して好感度が上がってドキドキするものだ。

 ラノベにそう書いてあったので間違いない。

 髪型と化粧の変化を指摘できなかった俺はラノベ主人公失格である。

 ところで、もう一つだけ小夜子には普段と違う部分がある。


「小夜子、背が伸びてないか?」

「えっ?」

「いつもと目線が違う気がするんだけど」

「あー、下駄を履いてるからでしょうね。ちょっと歩きにくいんですよ、これ」


 小夜子がその場で足踏みをしてみせると、下駄がからんからんと鳴る。


「下駄か。よし、今のは俺が指摘したことになるよな。ポイントゲットだ」

「……一人で何のゲームをしているんですか?」

「そんなに白い目で見るなよ。小夜子の変化に気付けば、好感度が上がるかなーと思っただけだ」

「ラノベ脳ですねー」

「ほっとけ」

「先輩は鈍感ですから、無理しなくてもいいと思いますよ。ほんと、鈍感ですけどー」


 なぜか小夜子は、拗ねたように顔を背けてしまった。

 鈍感、か。

 確かにそうかもしれない。 


 俺自身、何か大事なことに気付けていないようなモヤモヤした感覚を抱いていた。

 その感覚は先ほど、小夜子と会って彼女の浴衣姿を見た瞬間から俺の脳に付き纏っている。


 ――この子とどこかで会ったことがあるような気がする。


 目隠しを外されたとき、俺は真っ先にそう感じた。

 一瞬、浴衣の少女が小夜子だと分からなかったのはそのせいである。


「なあ、小夜子。俺たちって、昔どこかで会ったことがあったっけ?」


 俺が問いかけると小夜子は、


「先輩、ほんとに鈍感ですね。……さ、行きましょう」


 と言って、さっさと歩き始めてしまった。

 向かう先は花火大会の会場がある河原沿いだ。

 たくさんの人の流れに揉まれるようにして、俺たちは進んだ。


 その最中も俺は、小夜子の姿を横目に見ながら考える。

 会ったことがあるのか? でも何処で?

 どうやら、俺は本当に鈍感なようだ。


 駅前の交差点、信号が赤に変わったので俺たちは立ち止まる。


 目の前には横断歩道。

 後ろには信号が青に変わるのを待つたくさんの人たち。

 左右から爆音で通り過ぎていく車やバイク。


 いつかの記憶が、フラッシュバックしてきた。


 人ごみに押されて、一人の少女が横断歩道に押し出される。

 転んで膝をついた彼女の顔を、猛スピードで走ってくる車のヘッドライトが照らす。

 クラクションと、悲鳴のような急ブレーキの音が辺りに鳴り響く。

 たまたま彼女の隣りにいた俺は、咄嗟に手を伸ばして――。


 ぱしっ、と、何かを掴んだ。


「……先輩?」


 はっと我に返ると、小夜子が困惑を顔に浮かべていた。

 俺は、無意識に彼女の手を握っていたのだ。


「そうか、あの時に初めて……俺は小夜子に出会っていたのか」


 彼女と手を繋いだまま、俺はそう呟く。

 その目の前の道路では、たくさんの車が行き交っていた。

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