第49話

 小説を書くために徹夜した日から時は過ぎ、八月下旬。

 俺はあのまま順調に執筆を続け、名作を完成させて――――いなかった。


 もう、全く筆が進まない。

 全然書いてない。

 ずっと部室で、小夜子と二人でダラダラして過ごしていたのだ。


「先輩、ついに今夜は夏祭りですねー」

「お、おう……」

「どうしたんですか? テンション低いですね」


 いつも通りの文芸部の部室。

 きょとんとした顔で小夜子が俺を見上げる。


「いや、さすがにまだ小説が完成していないのはマズイと思ってな……」

「今さら危機感を抱き始めたんですか? 遅くないですか?」

「おっしゃる通りです……」


 俺はがくりと肩を落とした。

 夏休みが終わるまで、あとほんの数日。

 文字数で言えば八割ほど書き上がっているとはいえ、物語で最も重要と言える終盤が完成していない。


「ラストはびしっとイイ感じに書けばいいじゃないですか! こう、びしっと!」

「ざっくりしたアドバイスだな……。最後だから難しいんだよ」

「そういうものですか?」

「うん。ラストを決めずに書き始めちゃってるから、どう終わらせればいいのか分からずに困っているんだ」


 物語に出てくる陽太と小夜は、俺と小夜子がモデルになったようなキャラクターだ。

 どうやって物語は完結するのか?

 二人の関係はどうなるのか?

 その点に関しては、俺と小夜子に実際に起きたことをモデルにすることができない。


 なぜなら、俺たちはただの先輩と後輩だし、ただ部室でダラダラと時を過ごしているだけだからだ。

 俺たちをそのまま小説化しても劇的な事件は何も起きないので、ただの日記になってしまう。


「ラブコメだから陽太と小夜をくっつけたいんだけどな……」

「そうです! 二人は付き合うべきです! ラブラブな感じでお願いします!」

「ただ、一つ問題があるんだよ」

「問題?」

「陽太が小夜に惚れる理由は分かるんだが、小夜が陽太に惚れる理由がどうしても思いつかないんだ」

「…………えっ?」


 陽太が小夜に惚れるのは当然だ。

 友達もおらずモテない男が可愛い後輩に付きまとわれたら、好きになってしまうものだろう。

 だが、その逆はどうだろうか。

 何の取り柄もない男に、美少女の後輩が惚れるわけがない。


 陽太に何か一つでも男としての魅力があれば話は別なのだが、いくら考えてみても何も思い浮かばなかった。

 モデルになっているのが俺なので仕方がないことだろう。

 俺は自分自身に魅力があるなんて、これっぽっちも思えていないのだから。


「はぁー……先輩はダメダメですねえ……」


 俺が小説を書き上げられない理由を説明すると、小夜子は大きなため息をついた。


「陽太がどれだけモテない男子だったとしても、小夜からするとカッコイイかもしれないじゃないですか」

「そうかなあ」

「そうですよ」

「でも、現実では文芸部の男なんてモテないじゃん。女子が好きなのはどうせサッカー部とかバスケ部とか……」

「違いますー! 確かに運動部の男子はモテますけど、文芸部の先輩が好きな女の子だっていますー!」


 ぷくーっと頬をふくらませて、小夜子は拗ねたように言う。

 文芸部員を好きになる女子もいるものなのか。

 ぜひお会いしてみたいものだ。


「女子が男子を好きになる理由って、顔がカッコイイとか運動ができるとか、そのくらいだと思ってたけど」

「それは先輩の偏見ですよ」

「そういうものか」

「はい。小夜は陽太をそんな理由で好きになったわけじゃないと思いますよ」

「うーん……難しいな。どうすれば小夜は陽太を好きになるんだ……」


 俺が小説の展開で悩んでいると、小夜子はそっと言った。


「今晩、夏祭りに行けばその理由が分かるかもしれませんよ」

「えっ?」

「だから先輩、絶対に来てくださいね。小夜が陽太を好きな理由が分かれば、小説も完成するでしょうから」


 どういうことだ、と尋ねようとしたのだが、それより早く小夜子は立ち上がった。


「今日はもう帰ります。夕方に駅で待ち合わせですからね、先輩っ」

「あっ、小夜子っ」


 呼び止める俺を気にも止めず、彼女はさっと扉を開けて文芸部から出て行ってしまった。

 普段からとらえどころのない後輩ではあるが、今日の言動は特に意味が分からない。


 今、俺の頭の中はゴチャゴチャになってしまっていて、とても小説など書けそうになかった。

 とにかく俺は夕方まで待ち、彼女と約束した夏祭りへ行くことにした。

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