第48話

「えっ……小夜子が小説を読んでる、だと……?」


 俺は驚愕していた。

 めちゃくちゃ面白いからと俺が勧めたラノベでさえも、最初の数行で本を閉じた彼女が、小説を読んでいる……!?


「小夜子、文章が読めるのか?」

「何ですかその質問は……日本人ですから日本語くらい読めます」

「そういうことじゃなくて、小夜子って小説は読まないタイプだろ?」

「先輩が書いたものなら読みますよ。興味がありますからね」


 さも当然のように言って、小夜子はまた俺の原稿に目を落とした。

 それから彼女は「陽太はもっと後輩に惚れるべき」だとか「小夜をもっと可愛く」だとか、小説に対して意見を述べた。

 彼女は要するに、陽太と小夜をもっとイチャイチャさせたいらしい。


 女の子と付き合ったことのない俺からすると、小夜子の意見を取り入れて小説を書くことは難しい。

 どうすればイチャイチャを表現できるのか分からないのだ。


 小夜子の意見に頭を悩ませながらも、俺は嬉しい気持ちにもなっていた。


 自分の書いたものに対して、意見や感想をもらえることが嬉しい。

 そんな生まれて初めての気持ちを感じていたのだ。


 思えば俺は、ずっと脇役として人生を過ごしてきた。

 クラスの中での定位置は、教室の端っこ。

 今では陽キャ、陰キャなどという言葉があるが、俺は陰キャのグループにすら入れていない孤独な存在だ。

 当然、注目されることもなく、ただただ空気のように日々を過ごしてきた。


 そんな俺でも、小説を書けば誰かが読んでくれるのか……。

 熱心に原稿を読む小夜子を見ながら、俺は気分が高揚するのを感じていた。


「あっ、小夜ちゃんがエッチなことされてる! むー……やっぱり先輩は変態です」


 そんなふうに、小夜子は何度も俺をなじりながらも、書き上がっている原稿を全て読んでくれた。

 彼女は大きく息をつくと、俺に向き直って言う。


「先輩の私……じゃなかった、小夜ちゃんに対する愛情は感じました。私はこの小説、好きですよ」

「そ、そうか! ありがとう!」

「最後まで書き上げてくださいね」

「もちろんだ!」


 この小説、好きですよ。

 その一言をもらっただけで、小説を書き始めた甲斐があったというものだ。

 すごく嬉しい。

 嬉しいのだが……さすがに体に限界が来ていた。


「ふわぁ……眠い……」


 俺はぱたりと机に突っ伏した。

 昨晩、一睡もせずに集中して文章を書き続けていた疲れが、今になって一気に襲ってきたようだ。

 俺は睡魔に白旗を上げ、素直に眠ることにした。


「先輩、こんなところで寝ちゃダメですよ」

「ごめん、無理だ。仮眠するわ」

「えーっ、私とおしゃべりしたりゲームしたり映画観たりしましょうよー!」

「今日はそんな元気ないかも……」

「寝ないでくださいよー。先輩の寝顔の写真をたくさん撮っちゃいますよ?」

「そんなもんで良ければ、いくらでも撮ってくれ」

「えっ、いいんですか? じゃあ撮りますね、えへへ……」


 カシャカシャというシャッター音が何度も聞こえる。

 どうやら小夜子は、スマホのカメラで俺の寝顔を撮っているらしい。

 そんなもの撮ってどうるんだよ……。


 そう思いながら、俺は眠りに落ちていった。


 何時間眠っていたか分からない。

 目を覚ますと、ずっと椅子に座ったままだったせいなのか、腰がひどく痛かった。


「先輩、やっと起きましたね。寝顔いただきました」


 目の前には意地悪そうに笑う後輩の顔。

 彼女の手元には俺の書いた原稿。


 もしかして、もう一度小説を読み直してくれていたのだろうか。

 そう思うと、ちょっと気恥ずかしい。

 俺は照れ隠しに頭を掻いた。


「寝起きのところ悪いですけど、確認です。先輩、私と夏祭りに行く約束、忘れてないですよね?」

「もちろん覚えてるよ」

「えへへー、良かった! 浴衣を着ていくんで期待しててくださいねー」

「はいはい。楽しみ楽しみ」

「あっ! 全然嬉しくなさそうじゃないですかー」


 そんな取り留めもない会話が始まる。

 いつもの文芸部の光景だ。

 ちゃんと小説を書き上げて、この部室を守りたい。

 俺は強くそう思った。

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