第47話

 午前九時。

 眠い目をこすりながら、俺はフラフラとした足取りで廊下を歩く。


 昨日は朝方になるまで何時間も小説を書き続けていた。

 結局、徹夜をすることになり、朝まで一睡もしていない。


 本当ならば家のベッドで昼過ぎまで眠っていたいところなのだが、俺は文芸部の部室へと向かっていた。

 もはや部室で小夜子に会うことが夏休みの習慣になっている。


 怠惰な性格の俺が、どうして毎日早起きをしてまで部活に顔を出しているのか。

 去年までなら考えられなかったことだし、自分でも不思議に思う。

 もしかして、会いたい人ができたから、なのだろうか……。


 そんなことを思いながら部室の扉を開くと、すでに小夜子が到着していた。


「おはようございまーすっ。うわっ、目の下にすごいクマができてますよ?」

「おはよ……ちょっと徹夜してな……」

「ネットのやりすぎですね。またゲーム実況ばっかり見ていたんでしょう?」

「決め付けるなよ。小説を書いていたんだ」


 そう言って俺は、プリントアウトしてきた原稿を机の上に広げる。

 今まで書いた文字数は六万文字ほど。

 物語の三分の二くらいは書き終わったかな、という実感がある。


「うわー、すごい量ですねー」

「昨日の夜に、一気に進めたんだ。ゾーンに入った感じだった」

「一流のスポーツ選手みたいなこと言わないでくださいよ」

「いや、本当にそんな感じだったんだって」

「まあいいですけど……あんまり無理しすぎないでくださいね」

「そうだな。頑張りすぎてイップスになったら困るし……」

「だからスポーツ選手みたいなこと言わないでくださいって。それより、睡眠不足には気をつけなきゃダメですからねっ」


 小夜子は俺の顔を覗き込むようにして言った。

 彼女の髪からシャンプーの良い匂いがしてドキリとする。


「分かってるよ。今日はちゃんと寝る」

「本当ですね?」

「うん。今のペースなら夏休み中に余裕で書き終わるし、平気平気」

「さっすが先輩! じゃあ今日は小説のことは忘れて遊びましょう!」

「読みたいラノベが溜まってるんだけどなあ……まあ、いいか」


 俺たちはノートパソコンを使って、小夜子の持ってきたお笑いのDVDを見ることにした。

 二人して散々笑ったあとには、ダラダラとお菓子を食べたり、動画サイトで面白い映像を漁ったりして過ごした。

 怠惰の極みである。


 ただ、昨晩あれだけ頑張って執筆したのから問題ないだろうと、俺は甘く考えていたのだ。

 後にそのツケが回ってきて大変なことになるのだが……このときの俺は知るよしもない。


「先輩、部室でこうやって過ごすのも楽しいですけど、たまには外でデートもしたいですよね」

「何だよデートって」

「男女が二人でいればデートですよー? 今も、私たちは部室デート中です」

「はいはい」

「それで、デートのお誘いなんですけど……」


 小夜子が急に改まったように言った。


「夏祭り、一緒に行きませんか?」


 彼女は少し不安そうに両手をぎゅっと握り、上目遣いで俺を見た。 

 ……なんだ、この可愛い仕草。

 俺は心がきゅーん、としてしまった。


「オッケー、行こう」

「やった! 約束ですよ!」


 えへへ、と小夜子は頬を緩ませた。

 こんなに可愛い後輩からの誘いであれば、何だってオッケーしてしまう。

 我ながらチョロい男である。


「はぁー、断られるかもしれないと思って、ちょっと緊張してたんですよねー。良かったー」

「気軽に誘ってくれたらいいのに」

「私にとって夏祭りは特別なんですよ」

「どうして?」

「ふふっ、それは…………秘密です!」

「何だよそれ」

「まあいいじゃないですか。ところで、先輩の書いた小説、見せてもらってもいいですか?」

「ああ、もちろん」

「肩の荷が下りたところなんで、じっくり読ませてもらいますね」


 そう言うと、小夜子は俺の小説を熱心に読み始めた。


 じゃあ俺も読書でもしようと思って本を開いたとき、ふと違和感に気づく。

 ……小夜子が、小説を読んでいるだと!?


 本嫌いの後輩が熱心に文章を追っている姿に、俺は目を疑った。

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