第42話

 うわぁ……これは気まずいだろ。


 芦沢くんは灯里にフラれたばかりである。

 フッた方も、フラれた方も、相手に対して顔を合わせづらいと思っているはずだ。

 俺がそう思ってヒヤヒヤしていると、芦沢くんが突然声を上げた。


「橋立さんじゃないか。フェニーックス!」

「あっ、フェニックスだ! うぇーいっ! フェニーックス返し!」


 二人は両腕を体の右側につき出すポーズを取りながら「フェニーックス!」と叫んだ。

 ……何やってんだ、この人たち。

 そう思って俺がぽかんとしていると、灯里が言った。


「これね、アタシたちの挨拶なの」

「挨拶?」

「そう! 両腕を右に出して、アルファベットのFを表現してるんだー。アタシが考えたんだよっ」

「へー……どうしてFなんだ?」

「分かんないのー!? フェニックスのFに決まってるじゃーん!?」


 フェニックスの頭文字はPである。

 あまりに偏差値の低い挨拶を目の前にして、俺はもうツッコむ気力すら湧いてこなかった。


 まあ、それはいい。

 それよりもこの二人、専用の挨拶を持つほど仲が良いのか?


「橋立さんとは友達になったんだ。フラれたけど、今ではそれで良かったと思ってる」

「そうそう! アタシとフェニックス、結構気が合うんだよねー」

「拙者は友達がいなかったから、嬉しいよ」

「こちらこそ嬉しいよー。フェニーックス!」

「フェニーックス返し!」


 意外すぎる組み合わせである。

 まあ、灯里は誰とでも仲良くなれるタイプの女子だ。

 芦沢くんの方が変な遠慮をしなければ、これからも友達でい続けられるだろう。

 フェニーックス! という挨拶だけはどうかと思うけどな。


 ――それから俺たち四人は、だらだらと雑談をして過ごした。

 話題が尽きることはない。

 小説を書かなければいけないとい現実も忘れ、俺は完全にリラックスしていた。


 何時間が経っただろうか。

 灯里と芦沢くんがそろそろ帰らなければならないと言った。

 帰り支度を始めた芦沢くんは急に真剣な顔をして「ちょっとこちらへ来て欲しい」と言って俺を部屋の隅へ呼び出した。

 そして、彼は小声で語り始める。


「今日は楽しかったよ、ありがとう。拙者は友達がいないから、こうやって雑談する時間が特別に感じるんだ」

「いや、こっちこそ。俺も普段は小夜子としか喋らないし」

「そうか。拙者と同じだな」

「おう、同類だ」

「ところで、キミの方の恋愛はどうなっているんだ?」

「えっ?」

「進んでいないのか?」

「いやいやいや、俺はそもそも好きな人もいないし」

「傍から見ているとバレバレだけど、もしかして自覚がないというのか……?」


 芦沢くんは難しそうな顔をして首を捻った。

  

「まあ、いい。キミは小説を書くんだったね?」

「おう。……全然進んでないけどな、頑張るよ」

「小説の方もいいけど、他の大切なもののことも、ちゃんと見落とさないようにしてくれよ」

「えっ?」

「拙者、橋立さんに告白して良かったと思ってる。付き合うことはできなかったけれど、後悔はしていない」

「……」

「告白しないままだったら、一生後悔していたと思う。……キミも、行動しないままの後悔だけはしないでほしい」

「行動しないままの後悔、か」

「うん。拙者から見ていると、どう見ても両思いだし成功率100パーセントだから、本当に羨ましいよ。ははは……」


 なぜか芦沢くんは自嘲的に笑い、俺の肩をぽんと叩いた。


「どちらかが踏み出さないと、ずっとお互いに片思いしているままだよ」


 彼はそう言って、部室を後にした。

 残ったのは俺と小夜子の二人。

 いつもの文芸部の光景である。


「先輩、私たちはもうちょっとおしゃべりしてから帰りましょうか」

「……うん、そうだな」


 相槌を打ちながら、俺は思った。

 俺の一番大切なものとは何なのか。

 その答えは、本当はもう自分でも分かっているような気がした。


 俺と後輩は他愛もないことを話し続け、笑い声が部室を満たす。

 夏の夕日が窓から差し込み、俺たちの横顔を照らしていた。

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