第41話
「夏休みが終わるまでの一ヶ月弱。俺の闘いが始まった」
これは先日、小説を書くと誓った俺が心の中で呟いた言葉だ。
熱い決意である。
普段は冴えない俺でもついに重い腰を上げ…………なかった!
そう、俺はあれから一文字も小説を書いていない。
それどころかストーリーも全く考えていなかった。
だって仕方ないだろう?
ラノベを書くことは決まったとは言え、具体的にどんな話を書くのかは決めなかったのだから。
ライトノベルの中でも物語のジャンルは多様である。
流行っているのは異世界ファンタジーだが、ミステリーやラブコメなどもラノベレーベルから多く出版されている。
ラノベを書くと決めただけでは、何も決めていないことと同義なのだ。
「俺でも書ける物語ってないかなあ……」
「先輩、そんなこといいですから、次はレースゲームをやりましょう!」
「小夜子はいつでも気楽だなー」
俺たちは携帯ゲーム機を持ち込み、部室で遊んでいた。
気楽なのは俺も同じである。
小説の内容を考えることから逃避するように、俺はゲームにのめり込んでいた。
やらなければならないことがあると、やる必要もないゲームが妙にやりたくなるものだ。
試験前にやたらと部屋の掃除をしたくなるのと同じ現象なのだろう。
こんなことをしている場合じゃないのに……と思いつつ、俺はダラダラと小夜子に付き合っていた。
「先輩、私に赤甲羅を投げないでくださいよ!」
「勝負の上だ。別にいいだろ」
「ひどいですっ! えいっ!」
「おい! 現実でぶつかってくるのは卑怯だろ! ゲーム内で勝負しろよ!」
レースが白熱してきたとき、突然後ろから声がした。
「盛り上がっているところすまない。さっきからノックしていたんだが……」
「うわっ!」
「きゃっ! な、何ですか急に!?」
ばっと後ろを振り向くと、そこには冴えない眼鏡の男が立っていた。
フェニックス……もとい、芦沢くんだ。
「全然返事がなかったから勝手に入らせてもらったよ。驚かせてすまない」
「ああ、いや、いいけど……芦沢くん、日焼けしたな」
俺は彼の全身をまじまじと見た。
いくら夏だからってそこまで焼けるのかよ、と言いたくなるような黒さである。
「拙者はサーフィンが趣味だから、夏はすぐに焼けるんだ」
「またもや意外な趣味!」
「都会に住んでいたらナイトプールへも行ってみたいんだが、あいにくこの街にはないからなあ」
「……芦沢くんって内面はパリピなんだな」
彼はギャルが好きだったりと、とにかく意外な面が多い。
人は見かけによらないものだ。
「で、芦沢くんは何をしに来たんだ?」
「ああ。拙者、月野さんに一言お礼を言いたいと思って……」
「私にですか?」
きょとんとしている小夜子に、芦沢くんは真剣な顔で頭を下げた。
「うん。橋立さんにアプローチするにあたって、色々とアドバイスをしてくれたことに感謝したい」
「ええっ! いいのに、そんな……。むしろ、成功させてあげられなくて謝りたいくらいですよ……」
「いや、月野さんが謝ることじゃない。拙者の魅力が足りなかったんだ」
そう言えば、小夜子は芦沢くんと灯里がくっつくように応援していたんだっけ。
その恋は実らなかったが、芦沢くんはわざわざお礼を言いにここまで来たようだ。
随分と律儀な男である。
「それで、月野さんの方は? もう伊集院くんと付き合ってい――もがっ!?」
「な、何言ってるんですか芦沢さーん? ちょっと黙りましょうねー?」
小夜子の態度が一変した。
後輩は何かを言いかけた芦沢くんの口元をがしっと掴み、ひねり上げるようにして黙らせた。
「もが、もがっ……! す、すまなかった。余計なことは言わないから離してくれないかっ……」
「はぁー、まったくこれだから友達のいない男の人はデリカシーに欠けるんですよ……」
「す、すまない」
「まあ、私の恋愛はいいんですよ。今は私たち、小説を書くことで精一杯ですし」
「小説?」
「はい、文芸部ですから!」
小夜子は胸を張ってみせた。
まあ、書くのは俺なんだけどな……。
「ちなみに芦沢くんは、小説を読んだりするのか?」
俺が問うと、彼は頷いた。
「それなりに読むよ。ネット小説だけだけどね」
「へえー、ネットだけなんだ。なろうとか?」
「いや、拙者はカクヨムしか読まない」
「カクヨムだけ!?」
「小説はね。雑誌はギャル男向けのものを愛読しているよ」
「めちゃくちゃ偏ってるな……」
やはり彼は意外性の男だ。
そうしみじみと思っているところに、またもや文芸部に来訪者が現れた。
「やほー! 太陽、小夜子ちゃん、いるー?」
現れたのは灯里だった。
彼女は俺たちの中に芦沢くんがいるのを確認すると、ぴたりと動きを止めた。
こうして、フラれた男とフッた女が顔を合わせるという、なんとも気まずい空間が出来上がったのだった。
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