第40話

「さて、さすがにそろそろ小説を書かなければ」


 八月のある日、文芸部の部室で俺は呟く。

 危機感を持っている俺とは裏腹に、小夜子はのんびりと椅子に座ってアイスを食べていた。

 まったく、気楽なものである。


「そうですね、頑張ってください先輩」

「投げやりだな。ちょっとは手伝ってくれてもいいだろ……」

「だって手伝えることがないんですもん。小説って一人で書くものですし」

「正論すぎる」


 俺は一瞬で論破された。

 小説が途中まででも書きあがっていれば、小夜子に読んでもらって修正点を指摘してもらったりすることはできる。

 だが今のところ、俺は一文字も書いていない。

 それどころか何を書くかも決まっていない。

 これでは小夜子が暇そうにしていても無理はないという話である。


「あーあ、まずはジャンルから決めなきゃなあ……」

「ジャンルって何ですか?」

「小説のジャンルって色々あるじゃん。自分に書けそうなものは何かなーと思ってさ」

「へー、色々あるんですねー」

「……えっ? その段階から知らないの?」

「いや、何となく知ってますよ。人が死ぬのがミステリーですよね」

「知識がざっくりしすぎている! ミステリーでも人が死なないものもあるよ」

「そうなんですか?」

「うん。日常の謎を解くシリーズとかな」

「へえー」


 小夜子は目を丸くした。

 本を全く読まない彼女にとっては、意外だったのかもしれない。


「だったら先輩もミステリーを書けるんじゃないですか?」

「俺が?」

「ええ。人が死ぬような怖い話は先輩らしくないですけど、平和な話ならいいかなーって」

「怖い話は俺らしくないのか」

「はい。私は優しい先輩の方が好きです」

「……ははは、創作物と作者の性格はあんまり関連性がないと思うけどな」


 俺は少し照れて鼻をかいた。

 優しい先輩が好き、なんて面と向かって言われると気恥ずかしいものだ。


「ミステリーは俺には難しすぎるかもなあ。頭が良くないと書けないだろうし」

「じゃあ、他のジャンルにするんですか?」

「そうだなあ……。SFなんかは読むのは好きだけど……」

「SFって何ですか?」

「また知らないのかよ。サイエンスフィクションの略だ」

「科学が絡んだ話ってことですね」

「定義は難しいけどそんな感じだと思う。一方、科学の裏付けが必要ないのがファンタジーだ」

「剣と魔法! いいですよね!」

「おう! 俺も大好きなジャンルだ。ちなみに今月発売のラノベで面白かったファンタジー作品は……」

「あっ、アイス溶けちゃうから食べきらなくちゃ」


 ラノベの話をしようとした瞬間に、小夜子は話題を変えた。

 どうやら彼女は、俺がラノベを語り始めると話が長くなることを学習したようだ。

 最近では「ラノベ」というワードに反応して、彼女が話を切り上げてくることが増えた。


「分かった、ラノベの話はしないから。でも、SFなあ……」

「何か不満なんですか」

「難しいんだよなあ。科学の知識が必要だし、頭が良くないと書けない」

「では、歴史小説は?」

「歴史の知識が必要だし、頭が良くないと書けない」

「ファンタジーは」

「頭が良くないと書けない」

「全部同じじゃないですか!」

「そうなんだよ。小説って頭が良くないと書けないんだよ」


 俺ががっくりとうなだれていると、小夜子が優しく言葉をかけてきた。


「大丈夫ですよ。頭を使わなくても書けるジャンルがあります」

「なにっ!? 本当か!?」

「はい、ライトノベルです!」

「ラノベを舐めるなあああああ!!」


 思わず叫んだ。

 ……うん、まあ、ライトノベルが軽く見られている現状があるのは確かだろう。

 ライトノベルは読みやすい物語だから誤解されているのだ。

 読みやすい物語だからと言って、すなわち簡単に書けるということではない。


「ごめんなさい、舐めてないです」


 ぺこりと頭を下げて、小夜子は素直に謝った。


「でも、先輩にとってはライトノベルが一番書きやすいジャンルだとは思いますよ」

「俺にとって?」

「はい。だって先輩はたくさんライトノベルを読んでるじゃないですか。だから、どうやって書けばいいのかも分かるはずです」

「うーん……そういうもんかな?」


 確かに、俺は暇さえあればラノベを読んでいる。

 しかしそのせいで、俺は面白い作品を知りすぎているのだ。

 自分にもそれらの作品と同じように、面白いものが書けるという自信がない。

 無意識に自作に対するハードルが上がっていて、俺はできればラノベを書くことは避けたいという心理に陥っていた。


「ね、先輩。ラノベを書きましょうよ!」

「うーん……まあ、考えておくよ」


 そうは言ったものの、俺は彼女の言葉に従ってもいいかな、という気持ちになっていた。

 小夜子に言われて自然と「ああ、ラノベを書いてもいいんだ」と思えたのだ。

 ジャンル決めの段階で迷っていた俺の背中を、後輩が押してくれた。


 夏休みが終わるまでの一ヶ月弱。

 俺の闘いが始まった。

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