第36話

「へえー、まさか太陽が小説を書くなんて。びっくりだねー」

「まあな。成り行きでそうなったんだよ」


 驚いた顔の灯里に、俺は相槌を打つ。

 俺たちは流れるプールの中で浮き輪につかまり、ぷかぷかと漂いながら話していた。

 自分で泳がなくていいのでとても快適だ。


「で、どんな話を書いてるの?」

「何も書いていない」

「えっ?」

「まだ何も書いていないんだ。ネタが何も浮かばなくてな」

「ネタなんて何でもいいでしょ。適当にぱぱっと書いちゃえばいいんだよー」

「小夜子と同じようなこと言うなあ。まったく、小説を書くことは簡単じゃないんだぞ?」

「アタシなら書けると思うよー。今プールに来ていることだけでもネタになるし」

「ずいぶん自信満々だな。どういう話にするんだ?」

「七月二十五日。今日は幼馴染みの太陽と一緒にプールに行きました。とても楽しかったです」

「小学生の日記じゃねーか!」


 全く小説になっていない。

 ……そういえば灯里はほとんど本を読まないのだった。

 小夜子ほどではないが、文章を読むことが苦手なタイプだ。


「若者の活字離れは深刻だな……」

「なにオジサンみたいなこと言ってんのー、もうっ」


 灯里がわざとらしく頬を膨らませる。

 彼女が不満を抱いたときによく見せる、子どもの頃から変わらない仕草だ。


「まあそれはいいけどさー。後で写真撮らせてね」

「写真? 何の?」

「アタシたちのツーショット! まあ、小夜子ちゃんも入っていいけど」

「そんなの撮ってどうするんだよ。SNSに上げるのか?」

「それもあるけどー、友達に写真を送ってあげようかと思って」

「へー」

「フェニックスに送るの」

「ん?」


 フェニックスって、灯里が芦沢くんにつけたあだ名だったよな。

 芦沢くんは灯里をデートに誘って断られたって話だったはずだが……。


「灯里、芦沢くんからの誘いを断ったんじゃなかったっけ?」

「そうだよー。恋愛対象って感じじゃなかったからねー」

「で、彼にツーショット写真を送りつけると」

「うん」

「灯里……酷いことするんだな」


 自分に好意を持ってくれている男に対して、別の男とのツーショット写真を送りつけるというのか。

 鬼畜の所業である。


「でもフェニックスとは友達になったから」

「そうなのか?」

「うん! 彼にはちゃんと『ごめんなさいお友達でいましょう』って伝えたから。これでもう友達だよね、いぇいっ」

「その言葉を返しておいて本当に友達になる気だったのかよ!?」


 常識的に考えて、友達ですらいられなくなるパターンの断り文句である。

 だが灯里はその常識を持っていなかったらしい。

 告白を断った相手と普通に友達になれると本気で信じているようだ。


「ツーショット、送っちゃダメかなあ……」

「芦沢くんのことを考えるなら、やめておいた方がいいと思うぞ」

「まあ太陽がそう言うなら……。インスタに上げるだけにしておこうかなー」

「あっ、SNSには上げるのか」

「嫌だった?」

「別に。どっちでもいいよ」

「ふーん」


 灯里が載せたいのなら載せればいい。

 まあ、俺の顔なんて載せても面白くないだろうけどな。

 インスタ映えから最も遠いものの一つだと思う。


「ところで、俺はずっと気になってたんだけど……」

「んー?」

「小夜子が全然喋ってないよな」

「確かにそうだねー」


 小夜子は浮き輪に入った状態で、灯里の肩の辺りをぎゅーっと両手で掴んでいる。

 ずっとうつむいたままで、その表情をうかがうことができない。

 この様子は、まさか……。


「小夜子ちゃん、もしかして泳げないの? 水が怖いの?」


 灯里のストレートな質問に対して、小夜子の体がびくっと跳ねた。

 図星だったようだ。


「あっ、やっぱり泳げないんだ。かわいー!」

「か、からかわないでくださいっ」

「私じゃなくて太陽の体を掴めばいいのにー」

「そ、それは……は、はずかし……」

「恥ずかしいんだ! かっわいいー!」

「ち、違います! やめてくださいっ」


 小夜子がいつも以上にいじられている。

 それでも彼女は灯里の体から手を離すことはない。

 よほど水が怖いらしい。

 意外な一面である。


「小夜子、水が怖いならもうプールから上がるか?」

「それほど怖くはないですけど……そうですね、上がりましょう。怖くはないですけど」


 彼女は水から上がれると聞いた瞬間、安堵に満ちた表情を見せた。

 強がりなところも可愛い後輩である。


「もうちょっと流れるプールにいたかったけどなー。まあ、いっか。太陽、次はあれで遊ぼうよっ」


 そう言って灯里が指差したのは、この施設の一番の目玉である、超大型ウォータースライダーだった。

 楽しそうな俺の幼馴染みとは対照的に、小夜子は「あんなもの絶対に滑りたくない」と言いたげな、愕然とした表情をしていた。

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