第33話
「俺は一体何をしているんだ……」
夏休みの初日。
むせ返るような暑さの文芸部部室にて、俺は呟いた。
貴重な休日なのに学校に来ているだなんて、本当に馬鹿げている。
本来ならば昼頃まで寝過ごした後にダラダラとネットサーフィンを満喫していたはずなのに。
「先輩、どうですか? そろそろ五万文字くらい書けましたか?」
「書けるわけないだろ。小説を甘く見るな」
「うわっ、全く進んでないですね」
「そもそもストーリーが何も決まってないからな」
俺は椅子に座ったまま、ぐっと伸びをした。
目の前にはノートパソコンが置かれている。
小説の執筆はパソコンを使うのが主流らしいので、わざわざ家から部室に持ち込んだ。
適当なワープロソフトを起動して何か書こうとしてみたのだが、何も書けない。
そりゃそうだ。
何を書くのか決めていないのだから。
「先輩、ラノベをたくさん読んでるんですから何か書けるでしょう?」
「だから小説を甘く見るなって」
「十万文字くらい書けばいいんでしたよね? ちゃちゃっと書き上げちゃってくださいよ」
「無茶言うなよ。夏休みを全部使っても無理かもしれない量だぞ」
「えー、早く終わらせて私と遊びに行きましょうよー」
不満そうに口を尖らせる小夜子に対して、俺は少しだけむっとした。
誰のせいで小説を書くことになったと思っているのか。
まあ、彼女にバニーガールの衣装を着せた俺のせいでもあるのだが……。
それでも、何割かは彼女の責任だろう。
十万文字。
先ほど彼女がちらっと言っていたが、十万文字も書かねばならない。
それが長編小説一本のおおよその文字数らしいのだ。
途方もない量である。
どれくらいの時間がかかるのかさっぱり想像がつかない。
「ストーリーのネタが全く浮かばないんだよなあ。どうやって書けばいいんだろう」
「私が聞いた話では、他の物語からヒントを得る人が多いそうですよ」
「ほう」
「例えば映画を見て、良いところををパク……いえ、真似れば傑作が生まれると思いますよ」
「今パクるって言いかけたよな!? クリエーターが一番やっちゃダメなことだろ!?」
「全ての創作は模倣から生まれる……」
「分かったようなことを言うなよ!」
小説を全く読まないのに、この後輩は妙に上から目線だ。
「まあ私が何を言いたいかというと……一緒に映画でも観ませんか?」
「映画を?」
「DVDをレンタルしておいたんです。そのパソコンで再生できますよね」
「ああ、うん」
「もしくはどこか遊びに行きましょう。創作のネタが転がっているかもしれませんよ」
……ああ、なるほど。
この後輩、暇な時間を持て余しているんだな。
俺が黙ってパソコンに向かっている間、小夜子は何もすることがないのだ。
読書中には平気で話しかけてくる彼女だが、執筆中だとさすがに気を使って話しかけてこない。
俺が小説を書くことになった責任の一端は自分にあるのだと、少しは感じているせいだろう。
そんな思いから最初は大人しくしていた彼女も、ついに話し相手がいないことに飽きたようだ。
そして今、俺に執筆の一時中断を提案してきた、ということなのだと思う。
「ねえ先輩、私にかまってくださいよー」
小夜子が甘えたような声で言う。
彼女にかまいたい気持ちもあるが、俺は小説を書かねばならない。
そうしなければ、文芸部は廃部になってしまう。
ここは毅然とした態度で彼女の要求を断るのだ――。
「よし、映画を観るか」
「わーい。どの作品がいいですかー?」
……俺は映画を観る方を選んだ。
まあ、要するに、小説を書く辛さから逃げたのである。
映画を観るのは小説のネタを探すためだ。
決して執筆から逃げているわけではない。
そんな言い訳を心の中で並べて、俺は執筆を先延ばしにした。
このような先延ばしは、これから夏休みの間しばらく続くことになる。
その結果、俺は後で大変な苦労をすることになるのだが、それはもう少し先の話である。
ちなみに、小夜子と一緒に観たコメディ映画はとても面白かったが、小説のネタにはならなかった。
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