第28話
「さあ先輩、早く何か描いてください」
「いや、急に言われても……」
小夜子は不機嫌そうな顔で促すが、俺は困惑していた。
普段絵を描いていない人間に「何でもいいから描け」と言ったところで良い絵が描けるわけがない。
好きなラノベキャラでも描けばいいのだろうか。
「私の絵を非難するくらいですから、先輩はすっごく上手なんでしょうね~」
皮肉っぽく言う小夜子に、俺は苦笑いをする。
彼女に比べたら、ほとんどの人が「絵がすごく上手い人」になってしまうだろう。
「俺、描きたいものとか特にないんだけど」
「今まで生きてきた中で、素敵だと感じたものくらいあるでしょう? それをモチーフにすればいいんですよ」
「素敵なものか……」
「かわいいものでもいいと思いますよ。例えば、うさぎとかどうですか、うさぎ!」
「それは小夜子が好きなものだろ」
「まあ、そうですけどね。うさぎ!」
「語尾にうさぎって付けるのはもういいから。うーん、可愛いものねえ……」
可愛いもの、可愛いもの……。
目の前にいる小夜子をまじまじと見つめて思う。
……この後輩、よく考えたらすごく可愛いんだよな。
だけどそんなことをハッキリと言うのは恥ずかしいので、俺はあえて冗談っぽい口調で言った。
「小夜子をモデルにして描こうかな~。なーんて……」
「ええっ!?」
小夜子はガタガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、俺の方を真っ赤な顔で見た。
「わ、わわわ私にヌードモデルになれと言うんですかっ!?」
「……は?」
「絵のモデルと言ったらヌードですよね!? 後輩にそんな姿を強要するだなんて、いくら芸術のためとは言っても……」
「いや、求めてないから」
ヌードモデルが必要な場面なんて、本格的に絵を学んでいる人がデッサンの練習をするときくらいだ。
ド素人の俺が落書きをするのに必要とするものではない。
一体どんな勘違いをしているんだ、この後輩は。
仮に彼女がこれほど簡単に裸を晒してしまうのだとすると、彼女の将来が心配になってしまう。
まあ、小夜子がヌードになってくれるなら、嬉しいと言えば嬉しいけどな……。
「普通にそのまま座っていてくれたらいいから。こんなの、ただの落書きだからさ」
「そ、そうですか……」
小夜子は胸を押さえつつ、赤面したままこちらを見ていた。
以前にバニーガールの衣装を着せたせいで、俺のことを「後輩をいつもエロい目で見ている人」だと思っているのだろう。
自らの招いたこととは言え、腑に落ちないものである。
そんなことを思いながら、俺は白い紙に向かって鉛筆を走らせる。
せっかく描くのだから、どうせなら上手に描きたい。
俺は小夜子の顔をじっと見つめ、絵に活かせる特徴はないかと観察する。
まずは綺麗な瞳と長いまつ毛を描く。
……ダメだ、繊細さが足りない。
本物の小夜子はもっと美しい。
じっと彼女を見つめ、どうすればその美貌を紙の上に再現できるのかを考える。
「先輩、そんなに真剣に見つめられると恥ずかしいです……」
「今は集中しているんだ、話しかけないでくれ」
「は、はい……」
俺が集中して彼女を描くこと、一時間。
そう、気付けばあっという間に一時間が経過していた。
「完成したが……ダメだな、これじゃ小夜子の美しさの三分の一も伝わらない」
「やっと終わりましたか? 私はこれ以上じっとしていたくないですよ……。うわっ、上手いですね!?」
彼女が俺の絵を見て感嘆の声を上げる。
確かに、客観的に見れば上手く描けているのだと思う。
だが、目の前にいる実物の小夜子と比べると……ダメだ! 全然美人じゃない!
こんなものでは全く納得がいかない!
「うーん……やっぱり布で体のラインが隠れているのが良くないのかな……」
「えっ、何ですって?」
「やはり女性の曲線美を描くためには、体のラインを直接見るしかないな。小夜子、ヌードになってくれ!」
「ふえっ!?」
「小夜子のことをもっと魅力的に描きたいんだ! 頼む!」
「い、嫌ですよっ! 先輩の変態!」
「エッチな目的じゃないんだ! 芸術のためなんだっ!!」
「む、無理です! 今日はもう帰ります、さよならっ!」
俺は必死に懇願したが、小夜子は怯えた目をして部室から飛び出していってしまった。
……今回は、本当にエッチな目的じゃなかったんだけどな。
そんなことを思いながら、俺は先ほど自分で描いた絵を見返す。
「うーん、本物の小夜子はもっと鼻筋が通っているな。描き直してみるか」
俺は新しい紙を用意して、改めて後輩の顔を描き始めた。
自分が美しいと思うものを紙の上に描き出すという作業は、純粋に楽しいものだった。
そうか、これが創作に没頭するという快楽なのか……。
俺は未知の感覚に感動していた。
その日から、小夜子の絵を描くことが俺の趣味の一つとして加わった。
まあ、彼女は面倒がってなかなかモデルを引き受けてくれないので、ただ記憶を頼りに描くだけなのだが……。
それでも俺にとっては我を忘れるほど楽しい時間が増えたのだった。
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