第16話

「お帰りなさいませ、ご主人様っ」


 六月の雨の日。

 部室に入った俺を待ち構えていたのは、なぜかメイド服を着た後輩だった。

 黒を基調にしたワンピースの上に、白くてフリフリしたエプロンを身につけている。

 スカートは膝上10センチほどの短さだ。


「えっ……何してんの」

「ふふんっ、可愛いでしょう。……って、あれ? ちょっと引いてます?」

「うん」

「ひ、ひどいっ! 先輩が喜ぶと思って、恥を忍んでこんな格好をしてるのにっ……」

「ああ、恥だとは認識してるんだ」


 俺はカバンを机の上に置いて、椅子に腰掛ける。


「で、どうしてメイド服なんて着てるんだ?」

「ふふふ、よくぞ訊いてくれましたね。さすがです先輩」

「誰だって訊くだろ」


 突然後輩がメイド姿になっていたら、理由が気になって仕方がない。

 小夜子はオタク趣味があるわけでもないし、いきなりコスプレをするのは不可解なことだ。


「私がメイドになった理由は何と――、ここでコマーシャルです!」

「引っ張るほどのことかよ……」

「5秒経ったので広告をスキップできますよ」

「YouTubeかよ。スキップするわ」

「ズバリ理由は……先輩に美味しいコーヒーを淹れてあげるためです!」


 小夜子は得意気な顔で胸を張る。

 しかし俺には彼女の言っている意味がよく分からなかった。


 先月、お揃いのマグカップを買ったことをきっかけに、小夜子はよくコーヒーを淹れてくれるようになった。

 俺は既に、充分に美味しいコーヒーをいただいている身分なのだが……。


「ふっふっふ……私はさらに先を目指しますよ」

「さらに先?」

「コーヒーの味だけでは満足できません。くつろげる雰囲気作りも人気店には欠かせないのです」

「ここ、部室なんだけど」

「美味しいコーヒーを出す店といったらどこですか?」

「喫茶店」

「否! メイド喫茶なのです!」

「同じようなものだろ」


 従業員がメイドかどうかだけの違いだ。

 俺が呆れていると、小夜子は慣れた手付きでコーヒーを淹れる準備を始めた。


「少々お待ちくださいね、ご主人様」

「ご主人様は気恥ずかしいからやめてくれ」

「はい、太陽さん」

「名前はもっとダメだ」

「お待たせしました、こちらブラックコーヒー文芸部風味になります」

「あ、いただきます」


 ぺこりと一礼してコーヒーを一口飲む。

 すると、ほどよい苦味が口の中に広がった。

 文芸部風味の意味はよく分からないが、とにかくすごく美味しい。 


「コクがあって旨いよ、ありがとう」

「ふふーん、メイドですから」


 そう言うと小夜子は、自分の分のコーヒーを用意して席についた。

 静かに一服する彼女を、俺はまじまじと見る。


 ……メイド姿の小夜子、めちゃくちゃ可愛いな。


 俺はコスプレをした女の子が好きである。

 そして、多くのオタクがそうであるように、メイドさんが好きだ。

 見た目の可愛い後輩がメイドコスをしている今の状況下では、それはもう凝視するしかない。 


「先輩、すっごいジロジロ見ますね」

「おう」

「否定もしないんですか……まあ、いいですけど」


 小夜子は少し照れたようにもじもじしているが、嫌がっているわけではなさそうだった。


「ところで、メイド服なんてどこで買ったんだ?」

「ああ、これは買ったんじゃなくて演劇部の友達から借りたんですよ」

「借りた?」

「はい。演劇部の部室に舞台用の衣装がたくさん置いてあるんです。今使ってないものなら貸せると言われて……」

「へえー」

「ちなみに、メイド服以外にも何着か借りてきたんですよ」


 その言葉を聞いて、俺は激しく反応した。


「もしかして、他の衣装も着てくれたりするつもりなのか!?」

「ええっ、メイド服以外もですか……?」

「着てくれるよな!? 是非見たい!!」


 そう、俺はとにかくコスプレした女の子が好きなのだ。

 小夜子は目を泳がせてしばらく迷っていたが、小さくこくりと頷いた。


 こうして、俺は可愛い後輩にコスプレ姿を見せてもらえることになった。

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