第六話 混凝土の春
風車が時折吹く風を受け、緩やかに回る。
子供たちがランドセルを揺らして坂道を駆けていく。その脇では大きな荷物を載せた自転車が勢いよく走り、商店の店主は品物を並べて道行く人々に声をかける。
『この島の願いは一つだけなのです。蝶を、立派な蝶を、恵まれないこの国に捧げることだけなのです』
その中でも早朝から開いていた商店からはラジオの音声が聞こえている。百籠内でのみ聞くことのできる番組だ。初老の店主がつまみを回す。店の前を過ぎったのは四人の少年。学帽を被り、姿勢よく歩いている。
彼らが通り過ぎた頃、音量の下がったラジオ音声は、中学区で成績の優秀な生徒の名前を読み上げた。
出雲操、十六沢蜜、蘭切色
百籠は大まかに幼少学区、小学区、中学区など子供たちの年齢に合わせて住処が分けられている。住処とは、団地だ。男子用と女子用があり、大人が管理している。
学校は中学区の場合、一号校から五号校まであり、成績の優秀な子供から一号校、二号校と割り当てられていく。一号校に通う生徒と五号校に通う生徒では待遇が違う。例えば一号校の生徒には個人の部屋が与えられるが、五号校の生徒は共同部屋となる。
これもイツボが決めたことだ。理由は、子供たちの向上心を煽るため。第一に教養、学力が蝶となるのに必要なものだと力説した。
夕方。整備された階段に腰掛け、四人はそびえ立つコンクリートの隙間から差し込む夕日を眺めていた。蜜は駄菓子屋で買ったラムネの栓を抜く。色と暮は文庫本の貸し借りをする。
「最近、先生があの話ばっかするんだよな」
ラムネを傾けて蜜が呟く。声の微妙な抑揚からそのことか、と三人の間に少し緊張が走り、色が間を置いて返事をする。
「やっぱり……そっちもそうなんだ」
かっと照りつける橙の夕日が階段に濃い影を落とす。少年たちは目を伏せがちにした。思春期の彼らが習う、自分たちの未来のこと。
「……まあ、なるようにしかならないよね」
そう言って文庫本を閉じ、遠くを見つめる色。暮は首筋を掻き、操は帽子を被り直した。ラムネはなくなった。
四人はそれぞれの部屋へ戻る。彼らが習ったのは、羽化──精神器官が現れる頃の兆候と、その後の対処。
彼らは、羽化する一、二日前になると幻覚や悪夢に襲われ、特に精神器官として持つことになる種の虫が見えることがある。また、羽化した後に希望する姿になれなかったことによる精神的な負荷で自暴自棄になる者もいるので、思春期の子供には配慮が必要だ。
その授業は、蝶になることを期待されている一号校の生徒にとっては、最も敏感な部分に触れられることになるのだった。ましてラジオで報じられるほど優秀になった操、蜜、色の三人には周囲の目がある。彼らは不安を口にはしないが、少なからず重圧を感じて過ごしていた。
暮の成績は、上位四番だ。数字のきりの悪さから、彼らほど目立ちはしなかった。
「やめろ! 近寄るなゴミ虫共。俺はそんなものにならないぞ」
教室で突然生徒の一人が身を庇い始めた。操の学級の男子生徒だ。近寄るな、近寄るな。誰もが彼の傍から離れ様子を見るが、その生徒には何かが見えているらしい。
誰かが教師を読んだ。数人の教師が教室に入り、慣れた様子で彼に話しかける。落ち着け、肩を掴んだ瞬間、生徒の身体は突然仰け反った。
そして張り裂けんばかりの勢いで、茶色い翅を背中から突き出した。
人々は絶句した。その姿が、ゴキブリそのものだったからだ。
がくりと項垂れた生徒を抱き抱え、教師は道を開けろと他の生徒たちを退けて歩いていく。野次馬根性で集まった者も、元から教室にいた者も、皆黙ってその場に立ち竦んだ。恐れていたことが現実になった瞬間だ。彼が、操の学年ではじめて羽化した生徒だった。
その後、彼らの教室では次々と生徒が羽化していく。
蝿、バッタ、蟻……その未発達の身体にそぐわない大きな翅や脚を出現させると、皆どこか諦めたような表情になり、かえって安堵する者もいた。
しかし中には羽化して以来学校に来なくなった者もいた。
彼らは羽化した後、年老いるまでは自身の精神器官を隠して生活することができ、自分の意思で出したりしまったりする。そのため日常生活に支障は出ないが、人前で蝿やゴキブリなどに羽化した者は時々いじめに遭うこともあった。
教師ら大人がそれを見つけ次第止めているが、精神器官の容姿による差別は無くならないのが現状だ。
そして、未だに百籠で蝶になった子供はいない。
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