第五話 集結
船を降りた少年たちは、まずその壁の高さに息を呑んだ。
島を覆う形でそびえ立つコンクリートから、上空に八本の橋が架けられている。これは戦時中に使われていた通称"蜘蛛の手橋"。全ての橋が島の中心に集結しており、その姿が宛ら蜘蛛の巣のようだからだ。
島には団地がいくつも並び、商店などを構える長屋も所狭しと軒を連ねている。坂道はまだ階段が完璧に整備されておらず、歩きづらい箇所がいくつもある。彼らのすぐ側では工事が行われており、建築物が足場に囲まれて金具の打ち付ける音を響かせていた。道路は狭く、車が走るほどの幅もない。
そこをぞろぞろと少年たちが案内されながら歩いていく。真新しい小学校の前に、一人の壮年が立っていた。
彼こそがこの島の主、イツボだ。
百籠はほぼ完成し、孤児を含む多くの子供を受け入れている。また、新たな職を求めて島を訪れる大人も少なくない。そうして、"蝶を生み出す"ための島、百籠島はとうとう産声をあげた。
本土の養護施設から百籠に移った操は、ここでもある程度の威厳を保っていた。元八丁目のガキ大将が同じ施設にいた少年たちを率いる横で、常にバットを持ち目を光らせる少年がいる。蜜だ。最初は彼のことを気に食わないという数人に喧嘩を売られた蜜だったが、その破天荒さ、時に狂気じみた行動が彼らを萎縮させ、結局、操によって丸く納められたのだった。
一方同じく百籠に送られた色は穏やかな性格で、誰に対しても当たり障りのない対応をしていた。まるで、かつての悲劇など無かったかのように。
しかし本来の彼はそうではない。ある夜、用を足しに便所へ向かった色は、一人の少年にからかわれる。辺りは不穏な風が吹いていた。
「お前、女物の髪飾り持ってるよな?あれ何だよ。もしかして女装の趣味でもあるんじゃねえの?」
色の目が大きく開かれる。女物の髪飾り。それは、決して他人に触れられてはならないものだった。
おい、カマ野郎。
下品な笑い声と罵声で嘲る少年の前にかざされたのは、ギラリと夜月を反射する草刈り鎌。
思わず後退する少年を追い詰め、便所の壁まで来たところで、色は思い切りその鎌を振りかざした。
ところが、切られたのはその少年ではなかった。
少年を庇ったのは普段、危険と思い無意識に避けていた蜜だった。彼の左腕には長くて薄い切り傷が刻まれている。蜜はすぐに後ろを振り返り、少年を睨みつけた。「口外するなよ」少年は震えながら頷き、及び腰で逃げて行った。
唖然とする色。しかし蜜の左腕を見ると我に返り、その場に鎌を落とす。蜜は左腕を軽く振ってなんて事ない、という仕草をした。
腕の手当てをしている最中、自分には幸いなことであったかもしれないけれど、何故こんな不利益なことをしたのか、と色は聞いた。いつも巻いている包帯の下には大きな火傷痕があるなんてことは当然知らなかった。蜜はため息混じりに笑って、
「お前、いつも真面目で優しい奴だろ。こんなことが広まったら大変だろうから。おれは問題起こしてばっかだから、いいんだ」
「え……何がいいの!?」
吃驚して思わず手を止める色。蜜はその様子が面白かったらしく、再び笑う。
「いいんだ、おれは……」
蜜の瞳の色は寂しかった。
それから、二人は嘘のように仲良くなった。最初は抵抗していた蜜だが、色の"普段通り"のお気楽な態度で雰囲気も和らぎ、いつしか危険人物だった蜜は彼の仲間ともよく遊ぶようになった。
暮はその頃周囲に怯えて暮らしていた。
親の代わりとなってくれていたウカを亡くし、頼れる大人もいないまま月日が経った今、彼の心の拠り所は蝶の標本にあった。自室には小さな財産がたくさん散らばっている。ウカから貰った標本の中で気に入ったものを、百籠に持ってきていたのだ。
今日も新たな標本を作るために、暮は網を持って百籠に迷い込んだ蝶を追いかけ回す。無我夢中だった。そのため、目の前がまだ整備されていない雑木林であることに気づかない。
彼は大きな穴に転落してしまった。
それほど深くはない穴なので大きな怪我はないが、鬱蒼として草木が生い茂る中での窪みは、彼の大嫌いな暗闇を作る。右も左も分からなくなった暮は混乱し、草木を握りしめて助けを呼ぼうとした。が、それはただの乱れた呼吸となって彼の喉から捻り出されるだけだった。
それに、悲鳴をあげたところでこんな雑木林に誰が来よう。彼は絶望した。友達もいない自分なんか、もう何日も見つけてもらえないかもしれない。瞳に涙が溜まり始めた時、穴の外からがさがさと草木を分ける音がした。人の足音だ。
暮はその音に向かってうめくような声で助けてと呟いた。足音が止まり、間を置いて聞こえる「人の声だ……」それは少年の声だった。
一筋の光が差す。その先には三人の少年がいた。差し出された手をしっかり握りしめ、暮はようやく助けられた。
三人も暮と同じように昆虫採集をするために雑木林を訪れていたという。背の高い短髪の少年、茶色く癖のついた髪の毛の少年、小柄で前髪を二つに分けた少年。操、蜜、色だ。暮はその後彼らに加わって遊んだ。四人は仲間として無意識に集まるようになった。
蝶の標本を作っているという暮に、蜜は興味を示した。
「お父さんがよく作っていたんだ」
その顔に暮は妙な懐かしさを感じたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます