6

 小さな頃から、気が付けば自分の思考が他人に伝わってしまうチカラを持っていた真尋は、小学生のときにはすでに友人から何となく距離を置かれていた。真尋はもともと視力が悪いわけではないので、この頃はまだ眼鏡を持っていない。

「楠見、俺がだいぶ前に超人消しゴムの首折ったのずっと根に持ってんだって。そんなの今言う?」

「そういえば私、こないだ楠見くんに『漫画持ってきてるの内緒にして』って言ったのに秒で『断る』って頭の中で聞こえてさー」

 これらは、もちろん真尋が直接口にしたわけではない。それぞれの当事者に対しそう思ったのは確かだが、口にすまいとして黙っていたのに、そのまま漏れ伝わっていたのだ。

(何で、俺の考えることは人に伝わってしまうんだろう。こんなチカラ、いらないのに)

 そして中学校に上がった真尋は、3年間誰とも話さず、目も合わせることなく過ごそうと決めていた。目を合わせないくらいでチカラがコントロールできるとは限らなかったが、何もしないより多少の気休めにはなる。

 この真尋の頑なな態度のせいで、1年生の頃は学年中でずいぶんと変わり者扱いされた。それでも、真尋にとってはその方が都合がいい。しかし、その均衡を破る人物が現れた。

「……まひろ、っていうの?可愛い名前だね」

 中学2年生の春、そう話しかけてきた唯人に、真尋は眼鏡のない素顔で振り向く。

 唯人は、周囲から敬遠されて過ごしてきた真尋に、こうして声をかけてきたのだ。

全く気負わず自分に話しかけてきた唯人に、真尋は答えまいと無言でふい、と横を向いた。

それでも唯人は、

「ね、これからボクたち仲良くしよ?ボクはみんなの話なんて気にしないから。だってキミは、ボクの言葉に横を向いて反応してくれるもん」

と言って笑いかける。

「よろしくね、真尋ちゃん」

そう言う唯人に、真尋はなるべく目を合わせないように黙り込んだ。


 それから、唯人は事あるごとに真尋についてくるようになった。

「真尋ちゃーん、移動教室一緒に行こー!」

「ねぇ、今日は学食?お弁当?」

「真尋ちゃん、帰りこっちだよね?じゃ、ボクも一緒に行くね」

唯人は、変わり者と揶揄されている真尋に臆することなく接してくれる。そして唯人がいることで、真尋はどこか今までには感じたことのない安心した気持ちを抱くようになった。

しかしこの安心感が逆に、これまで真尋が押し込めていた感情を認識させるきっかけになる。

その感情は、真尋は自分がこれまで気付きたくないと思っていた苦しいものだった。

それが、寂しさだ。

(寂しい……俺が……?)

 人に距離を置かれてしまうこと、そして自分から人に接するのを避けること、それが真尋は寂しかった。でも、そんな感情を持っても自分が人に近づくことはできない。だから、その感情をないものとして胸の奥底に沈めていた。

そんな、今まで押し殺していた感情を認識した途端、真尋は激しく戸惑う。その寂しさが今まで自分を苦しめていたことを、やっと真尋は痛感したのだ。

しかし、唯人がそばにいてくれることで、寂しさは少しずつ埋まっていった。まだ唯人に対して素直な態度は取れないが、唯人が隣にいるときだけは、心が休まる感覚を覚えた。唯人は、どんなときも自分のことを気にかけてくれる。離れたりしない。そう真尋は思った。

 こうして、真尋が唯人に対して特別な感情を抱くのに、そう時間はかからなかった。

 それでも、そんな感情を人に、しかも男子に抱くことは真尋にとって戸惑いをもたらすものでしかない。

(だめだ……。こんな気持ち、唯人にバレたら俺は……)

真尋は、そうして日々唯人への気持ちが膨らむのを必死で抑え込み、できるだけ唯人と目が合わないようにした。自分のチカラが発動しないように、と真尋は毎日のように祈る。

一方で、唯人の話に相槌を打つくらいはできるようになった真尋は、その唯人との時間が心地いいとも感じてしまっていた。

ある日の放課後、ほとんど言葉を発しない真尋に、唯人はいつものようにたわいもない話をしてくれる。今日の社会の先生の言い間違いが面白かったとか、帰ったら何のテレビ番組を見ようとか。

そんな唯人に対して、真尋は思った。

(もっと、一緒にいたい)

そして、クラスメイトが皆帰って2人だけになっても、日が暮れる直前になるまで教室に残って話をしていた。

 そのとき、夕焼けに照らされながら真尋はなぜか、チカラを持っている自分を唯人なら受け入れてくれるかもしれない、と思った。それは、もしかしたら夕暮れの教室に漂う異空間のような感覚が手伝ったのかもしれない。

「夕焼け、きれいだね。真尋ちゃん」

 そう言って窓の外を見てから自分の顔を覗き込んできた唯人を、真尋は見つめた。その瞬間、

『唯人……好き』

という声が、唯人の頭に流れ込んでいく。

「……」

 すると唯人は、真尋に顔を近づけてにっ、と笑い、こう言う。

「……知ってる」

「!」

 真尋は、自分が声として言葉を発しなかったのに唯人が返事をしたことで、自分の思考が伝わってしまったのだ、と気付いて全身が震えるのを感じた。そして唯人の「知ってる」とという言葉。

 唯人は、焦る真尋の揺れる目を覗き込んで、

「真尋ちゃんの気持ち、ずっと聞こえてたよ。喋ってるときもご飯食べてるときも、一緒に帰ってるときも」

と言って、真尋の頭を撫でた。

「……!!」

 その唯人の言葉に、真尋は恥ずかしさと罪悪感のようなものに耐え切れず、顔を覆って俯いてしまう。そして、

「お前、それずっと黙って……」

と真尋が上ずった声で言うと、唯人はゆっくりとうなずいた。

 唯人はずっと前から自分の気持ちを知っていた。自分の思考が図らずも漏れ出てしまうチカラがあることも。真尋はその事実に愕然としながらも、唯人ならきっと自分を避けたりしない、と、どこかに自信も持っていた。

 真尋はぐっ、と唾を飲み込み、自分の口ですべて唯人に打ち明けようと、ゆっくりと顔を上げる。

「唯人、聞いてくれ。――」

 ひとしきり話終えた後、唯人は今まで真尋に見せたことのない不敵な笑みを浮かべた。

「……やっと言ってくれた」

その唯人の目は鋭い光を宿し、真尋をようやく捕まえた、というように真尋の姿を映す。

今までの優しく暖かなものではなく、どこか獣のようなぎらつきを持っている唯人の目。それは、真尋の背筋ににわかに戦慄を走らせた。


 唯人に真尋の気持ちが図らずも伝わってしまったこと、そして勇気を出して唯人に秘密を明かしたことは、真尋にとって世界をひっくり返すくらいの大事件だった。しかし世界はいい方向にはひっくり返らず、真尋を救ってはくれなかった。

「ねぇ真尋ちゃん。心配しなくていいよ。キミの秘密を知ってるのはボクだけ。キミが秘密に怯えることなんかない。キミは、ボクだけと一緒にいればいいんだ」

「他のやつと関わるなんて許せない。だって、真尋ちゃんの秘密、バレちゃうよ?そんなことになってもいいの?」

「真尋ちゃんは、ボクの後ろで守られていればいいよ。それができるのはボクだけだから。秘密、みんなに知られたくなかったら、そうしてくれるよね?」

「だって、真尋ちゃんはボクのこと好きなんだもんね?ボクの手から離れるわけなんてないよ……絶対にね」

 毎日のように、唯人は真尋にこんな言葉を投げかける。これまでは優しく真尋に接してくれたのに、あの日を境にまるで自分を精神的に幽閉するかのような唯人に、真尋は違和感とある種の恐怖を覚えた。そして、唯人への純粋な気持ちが日を追うごとに曇っていってしまうのを感じ、真尋は戸惑いを隠せないばかりか罪悪感さえ生まれていく。それと同時に、好きだった唯人に真綿で首を絞められるように追い詰められていく気がして、どんどん心はきしんでいった。

(俺は、唯人の何が好きだったんだろう。いったい、どうして欲しかったんだろう)

 そう自問自答するが、真尋にはその答えは出なかった。気が付けば、ただ唯人から逃げたい、その一心しか残らなかったのだ。

 そして高校受験を控えた中学3年の秋、「一緒に穂村学園を受けよう」と言ってきた唯人に内緒で、真尋は成沢高校への進路希望を出した。

年を越した冬、唯人の目をかいくぐって真尋は成沢高校を受験する。合格発表の日、成沢の校舎の壁に張り出された合格者一覧に、自分の番号があることを真尋は確認して、安堵のため息をついた。

(唯人……さよならだ)

そして、成沢の校門を出ると同時に携帯電話を手に取り、唯人の連絡先を着信拒否した。

その次に真尋が足を伸ばしたのは、街の眼鏡店だ。

(……やってみる価値は、ある)

そして真尋は、店頭に置いてあった黒縁のブルーライトカット眼鏡をかちゃり、と手に取った。

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