第14話 そんな顔しないで

 湖面に美しく映り込む星々の明かり。

 樹上の湖よりも遠浅だからだろうか。

 鏡のように広がった夜空を見ていると、まるで宙に浮いているかのような気分になった。


「ふわあ……」

「キュルル……」


 そして手元にはもふもふ。

 

「んふふ……」

「キュ……」


 ふふ……幸せ……。


「……こら小娘」

「むふふ……」

「……キュウ……」


 暖かい……もふもふ……ふへへ。


「いい加減、離すのじゃ馬鹿領主っ!」

「あっ……!」


 そんな私の幸せを狐耳の女が邪魔をする。

 せっかくのもふもふも、そんな彼女の声と一緒に手元から去ってしまう。

 なんと無粋な……!


「ちょっと!私のよ!」

「妾の聖獣せいじゅうじゃ!勝手におもちゃにしおって!」

「キュルルゥ……」


 銀色の尻尾を振る子狐は、彼女に顔をこすり付けて甘えている。

 ……可愛い。

 あれが下僕しもべだなんて……羨ましすぎる。


「私の従者はじじいなのに……ずるい」

「……ほう」


 湖のほとりに座る私がこぼした一言に、後ろから声がかかった。


「お嬢様、今『じじい』とおっしゃいましたな……?」

「ひっ……言ってないわ……そんなこと言うはずないじゃない……!」

「そもそも。『じじい』という言葉の定義はですな――」

「わ、わかった!わかったから!ごめんってば!」


 ディエールの説教が始まりそうだったので、とにかく謝る。

 年齢のことを口に出すと、彼は面倒なのだ。

 ……その辺りが『じじい』っぽいんだけど……。


「大きな娘を子守というのも中々大変じゃの」


 可愛らしい子狐を抱えながら、カグハは苦笑いしていた。


「ええ、未だにお転婆でしてな」

「やめてよ……」


 これでも行儀の悪さは自覚があるのだ。


「しかもクレセアはすけべじゃしな」

「困ったものです。嫁に行くにも婿をとるのも苦労しそうですな」

「そ、そういうのは本人の居ない所で話をしなさいよ!」


 いや、居ない所でも辞めてほしいけど!


「なんだあ?また騒いでんのか、意外と元気だな」

「あはは。割とたくましいよね」


 とタナーとフォルの声が聞こえた。

 同時にとてもいい香りが辺りに漂う。


「おお!新しい料理じゃな!?」


 カグハは子狐を抱きかかえたまま、飛び跳ねるように立ち上がって声をあげる。

 ……ったく、どっちが子供よ。


「お嬢様。よだれが」

「……じゅる」


 し、仕方ないじゃない!

 だって……彼の料理はとにかく美味しいのだから……!


「仕方ないのよ……」

「まあ、同感ですな」


 ふふ、と柔らかく笑う執事。

 そこへ皿を持ったフォルがやって来た。


「お待たせ。暖かい内に食べて」

「あっ……ありがとう」


 未だに持ってきてもらうのが慣れないけれど。

 眼を見て渡してくれると、なんだか胸が暖かい気持ちになってしまって。

 未だに上手にお礼を言えていない気がする……なんか、情けないけど……。


「おお……!フォルくん、これは?」


 渡された皿の中には、昨日教えてもらった「ティッチ」というもの。

 それに赤色のソースがかかっている。


「昨日のは緑だったと思ったけど……」

「ジェバソースじゃったな!妾あれ大好きじゃ!」


 皿をもらって上機嫌な彼女は、嬉しそうに笑って言った。


「じゃが、今日のは初めてみたな。……赤いが食べても大丈夫なんか……?」

「カグハが採ってきてくれたトマの実だよ。あれ中は赤いんだ」

「あれびっくりしたな。外側は青いのに、不思議なもんだぜ」


 食べてみて?とフォルに促され、ディエールと一緒に一口食べてみる。


「ん……」

「ほう……」


 薄味のティッチに絡まったそれは、最初は甘い。

 しかし段々と口の中が熱くなってくるような感覚に襲われる。


「んんっ……!?」

「おっ……おお……!」


 けれどそれは決して不快ではなく。


「どう?美味しい?」


 ……美味しい!

 きっとすごく顔に出ていたんだと思う。

 嬉しそうなフォルに、私は何度も何度も頷いた。


「これは……素晴らしい。ぴりっとくるんですが、むしろそれが癖になりますな」

「うめえな!なんか妙な実を刻んで入れてたが、それの味か?」


 ディエールとタナーの感想に、フォルは軽く頷く。


「ペペロネっていう実を使うんだ。キャラバンの冒険者が疲れている時とかにちょうどよくて。身体が暖かくなる感じがするでしょ?」

「おお、確かに。冒険者向けの食事ということですか」


 トマというものを潰し、そこにこのペペロネを少しだけ混ぜて熱を通すことでこのソースを作っているのだそう。


「トマに熱を通すとすごく甘くなって美味しいんだ。それが好きな冒険者がだるそうにしてた日があって」

「……それで、このぴりっとするのを入れたの?」

「うん。それですごく喜んでくれたんだ。『辛い』っていう感覚らしいんだけど、気に入ってくれた?」


 特有の真っ直ぐな眼に少しだけ心配そうな色を浮かべるフォル。

 私はそんな瞳をさせたのが、申し訳なくなって再び何度も頷いた。


「ならよかった。慣れないところに連れてきちゃったし、疲れも出たかなってさ」

「ふふ……ありがと」

「はは、気遣いのできる誘拐犯ですな」


 誘拐を宣言した張本人の台詞にしては随分ずれているけれど。

 気持ちは嬉しいので、今度こそちゃんとお礼を言ってみた。


「フォルが作ったものは全部美味しいのじゃ。そんで、美味しいのは正義なのじゃ」

「俺はこの『辛い』っつうのか?これむちゃくちゃ好きだな。他にも色々つくってくれよ」


 雲海の下に来て、二度目の食事は和やかに過ぎていった。



「まさかこんな世界があったなんてね……」


 食事の後、私は改めて空を見上げる。


「驚きでしたな。雲の下にこうして大地があったとは」


 ディエールの言う通りだ。

 鏡のような湖に、見たこともない鳥が飛ぶ。

 真っ白な雲の下なのに、当たり前のように陽射しが差し込み、夜空も見える。


「……始原樹ってこんなに大きかったんだ」


 視界に納めるきることすらできない、圧巻の始原樹の幹。

 到底人間なんかじゃ太刀打ちできない荘厳さを感じる。


「上に行くほど細くなっていってるからの。下のほうが太いのは当たり前じゃ」


 そして、数匹の子狐に囲まれる狐耳の少女。

 自称神様、というのはともかく。

 多分普通の少女ではない、ということだけは納得できた。


「聖獣の様子はどう?」

「ふぃー。ったく次の片付けはカグハがやれよ」


 と、片付けをしてくれていたフォルとタナーが戻ってきた。

 彼らは私達が囲んでいる焚き火に、枝を放り込む。


 わかったわかった、と適当な返事をするカグハは続ける。


「大丈夫じゃ。こやつらは休憩中じゃが、他のがちゃんと仕事しておる」

「確かに黒曜獣を一撃で葬ってたな……とてもそうは見えなかったが」

「ふふ、可愛いね」

「キュル、キュル……」


 カグハが抱えていた一匹が、フォルへ寄っていって顔をこすり付けている。

 なんか気に入られてるみたい……。

 ずるい……私には一匹もこないのに……!


「どうかな。俺達が言ってること、信じられた?」

「……そりゃあまあ……ね」


 昨日の深夜にここへ連れ去られて。


 今日一日だけで、本当にあらゆるものを見た。

 沢山の黒曜獣も見たし、それをカグハと可愛らしい子狐が一瞬の内に倒すところも。

 それと……私が沢山落っことしてしまっていた愛読書達も……。


「フォルくん達は私どもにこれを見せて、どうしたいんでしょう」


 『とりあえず一日過ごして』と雑にお願いされた私達。

 彼らの真意はまだ聞いていない。


「知ってほしかったんだ」


 絶品を作る調理師は、ゆっくりと話を始めた。


「ここにいる全員がさ、向き合わなきゃいけないこと。跳ね返さなきゃいけないことが近いんだってことを」


 向き合わなきゃいけないこと……。


「始原樹レブレは雲海の下も上も。両方すごく良くない状況だってまずは見てもらいたくて」

「……」


 彼は確かめるように言葉を続ける。


「領は過疎化が進んで。大事にしてたノアを捨てなきゃならなくて。始原樹もゆっくりと終焉に向かってる。俺は大好きな料理をさせてもらえないし、領主はつらい状況をずっと押し付けられてて」


 でも。

 フォルは少しうつむきがちだった顔を上げる。


「俺達は全員、どうやら逃げ場がない」


 とても暗くなりそうな話。

 けれど彼の目は夜空の星々と焚き火の火を映して、とても暗い色には見えない。


「それなら……全員で立ち向かわないと駄目だって思った。俺やタナー、カグハだけじゃこの現実は動かせないみたいだし」

「……まあ、悔しいがそのとおりだな」

「わ、妾は本気を出せば……もうちょっとくらいは……」


 特徴的な耳をぺたんとさせながら強がるカグハ。

 全然神様らしくない振る舞いに、なんだか親近感を覚えた。


「貴女は俺達より学があるし、何より立場を持ってる。ディエールさんだってそう。けれど、二人だけでもどうにもならなそうに思う」


 私とディエールの目を交互に見ながらフォルは言う。


「だから俺達にも協力させてほしいし、知恵と力を貸してほしい。俺みたいなのが背負える責任なんて足しにならないかもしれないけれど、少なくとも一緒にもうちょっとやりようを考えてもいいと思うんだ」


――だからさ。



「一人で背負いこまないで。そんな辛そうな顔してるの、見てられないよ」



 困った。

 不意打ちの優しい言葉に、涙が溢れて困った。

 

 もう全然彼の顔なんて見えなくて。

 多分酷い顔してたと思う。

 流れ出した涙はどうやっても止まらなくて、もうぐしゃぐしゃだった。


「あーあ。泣かしたな」

さらうし泣かすし悪い男じゃなあ、フォルは」

「キュー!」

「ええ……」


 2人と数匹にからかわれて、フォルは困った声を上げているようだ。

 ……そうだ、もっと困ってしまえ。


 私なんかもうわけがわからなくなってるんだから。


「二人だって泣かしたでしょ!」

「あれはお前が煽れって言ってたからだろ?」

「そうじゃな。妾はフォルにそそのかされて止む無く悪女になったんじゃ」


 3人がそうして騒いでいる内に少しずつ涙が収まってくる。

 すると。


「……キュー?」


 子狐の一匹が足元にやってきてくれた。

 なんと人情にあふれる子だろうか……!

 膝に乗ってきてくれた彼を撫でていると、ディエールが穏やかな声を出した。


「お嬢様……援軍とはなんとも心強いですな」

「……うん」


 段々と涙が収まってきた所で、その援軍の一人。

 タナーが少し身を乗り出して話を始めた。


「まずはレブレが発展するために、うまく俺達を使ってくれ。そして稼がせてもらわねえと困る。身も蓋もねえ話だが、どう考えても金はいるよな?」


 そうじゃな、とカグハが更に続けた。


「フォルの料理は美味いじゃろ?素材も山ほどあるわけじゃし。これをなんとかうまくやれんのか」

「なんとか……って。もちろんなんとかしたいわよ……」

「とはいえ、税金の問題はありますからな……」


 飲食税に雲船税。

 彼らの強みを利用するには破格の金銭がいる。


「俺達を例の貴族に売ってもらったらどうか、とは思ったんだけどさ」

「それで別の領地につれていかれちゃ元も子もねえからな」


 確かにそれも手ではある。

 ただそれだと、あくまで税からレブレ領と彼らを逃がすだけにしかならない。


「カグハと離れてしまえば、黒曜獣とかもそう簡単には手に入んねえしな……」

「そもそも主らがどっかへ行ってしまったら、レブレの発展の芽がつぶれるじゃろ」


 そこも問題だ。

 レブレが発展しなければ、いつまで立っても黒曜獣を出すこともままならない。


「逃げるっていう発想が間違い……なのかもしれないわね」

「とはいっても、一般庶民にあの額は無理かな」


 苦笑いするフォル。


「庶民どころか……それこそ貴族の一財産ですからな、あの額は」 

「ったくむちゃくちゃだぜ」



 ……貴族の一財産……!



「……売るわ、あの家」


 あるじゃないか。

 一財産の宛が。


「まさか……お嬢様!ご実家ですぞ……?」


 そう。

 腹の立つアケル院の連中が欲しがってた家があるじゃないか。


 あれを売れば、代金に加え補助金も入る。

 

「い、家を売るって……?」

「私の生家よ。もうほっとんど帰らないし、売れってうるさいやつが一杯いるのよ」


 ただ私の妙な意地を通してきただけなのだ。

 でも、今日まで意地を張った甲斐があったのかもしれない。


「ちょ、いや……産まれた家を売るって……!」

「それにアンタの懐が暖まったところで、俺達が金がねえのは一緒だぞ?」

 

 実はそうでもないのだ。

 

「貴方達に投資するのよ。地域発展の可能性を賭けて」

「ですがお嬢様。あくまで代金はお嬢様個人のお金。今の立場で領内の店へ投資すれば不正になりますぞ……」


 私は思わず口元を歪める。

 ふふ、ディエールに勝ったわ。


「かなりの額の補助金がついてくるでしょ?あれは領のお金。それをフォル達に投資するわ」

「……!」


 補助金名目の慰謝料が、ここで役に立つとは思わなかった。

 ただただ腹が立つだけの提案だったけれど、今は好機と捉えるべきだろう。


「いや、しかし。それだと雲船税か飲食税のどちらかしか払えませんぞ……」


 確かにその問題は残る。

 額が足りないのだ。


「だから、やたらこっちに来たがってる貴族に投資をしてもらうわ」


 こうなったら利用してやる。

 何をしに来るのかしらないけれど、ここはフォルの提案を使うべきだ。


「それだとフォル達がここを離れないといけんのじゃなかったかの?こやつらが居なくなってしまえば元も子もないぞ?」

「それは貴方達だけで解決しようとしたからよ」

「ん?どういうことだ……?」


 彼らだけの時と、今での大きな違い。

 それはまとまった初期資金がある、ということ。


「レブレ領とその貴族からの共同出資を持ちかけるわ。利益を折半せっぱんする代わりに、貴方達の行動をレブレ側で管理する条件にしてやるのよ」


 利益が多少向こうに傾いたっていいだろう。

 それより彼らにここで商売させることが、今後の領地にとって大事なのだ。


「なるほど……それで貴族から出資してもらった分を飲食税に充てるってわけですな」

「そうよ」


 しかも領地が投資した分は雲船税として領に戻り、国へ一定額を納めた残りはレブレに還元される。

 領舎の建て替えなんて後で良い。

 ここへ客を寄せるために、死に物狂いで情報を広めるのに使うべきだ。


「し、しかしお嬢様。かなりの茨の道といいますか……」


 ディエールが難しい表情をする。

 

「そうね。まずは貴方達はしばらく無給生活になるわね」

「む、無給かよ!」


 私の言葉にタナーは驚くが、フォルは苦笑し頷いていた。


「投資してもらった分はなくなっちゃうし、領地で商売する分の税金納めなくちゃだし……頑張って稼いでも残らないだろうなあ」

「お主らはほんっとに税金、税金。面倒な世の中じゃのお」


 まあでも、と彼は明るく続ける。


「手間は凄いかかるけど、仕入れに現金はかからない。だよね?」

「ああ……そうか。売ってるイテルじゃ動かねえからな、ノアは」

「そこは助かったわね」


 手で汲んだ天然のイテル水じゃないと動かない、面倒な船。

 それは逆にお金を使う必要はない、ということでもある。

 何しろ、ここは過疎の進む田舎領。

 誰も天然のイテル水など売り買いしようとしないのだ。


「そして一番の問題は、投資してもらえるかどうか。これは完全に賭けになるわ」


 結局は商談だ。

 しかもほとんどこちらの言い値を呑んでもらわなければならない。


「相手の頭をぶっ飛ばすくらい、美味しいものを提供しないとじゃな」


 他国の貴族相手に。


 これならどうしても欲しい。

 投資以上の益を見込める。


 そう判断させるだけの『美味しい食事』、それが不可欠。


「……やれる?」


 『やって』と言うべきかも知れなかったけれど。

 私はあえて聞きたかったんだ。



「もちろん」



 照れくさそうな。

 でも力強い彼の返事が。


 けれどすぐに彼は寂しそうな表情になった。


「本当に……いいの?」


 実家の件だろう。

 ディエールも何も言わなかったが、私を見ているのがわかった。


「ふふ……私達って逃げ場がないんじゃなかったの?」


 フォルが言い始めたことじゃない。

 なんだか子犬みたいな瞳に笑ってしまう。


 だから言ってやったのだ。


 貴方の作る料理は、貴方達がくれる時間は。

 間違いなく美味しくて、暖かくて。

 比べるものが無いほど、素晴らしいんだって伝えたくて。



「もう少し自信を持ってよ。そんな不安そうな顔してるの、見てられないわ」



 参ったな、と苦笑いする彼を。

 キューという可愛らしい鳴き声と、私達の笑い声が包んだ。

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