第9話 彼女の純粋なため息

 レブレ領の領主という立場に追いやられて何度目かの春がやってきた。


 やたらと爽やかな表情を見せるレブレが私は嫌いだ。

 なんだか他人事みたいな空が恨めしい。


「はあ……」


 質素倹約を地で行く木造の領舎りょうしゃの執務室。

 領主の部屋なんて言えば聞こえはいいけれど、実際には負け犬が押し込められる犬小屋だ。


 そんな状況じゃ、呑気な陽射しにため息の一つも出てしまうというもの。

 癒やしがなければやってられたもんじゃない。

 と、自らを正当化しつつ大切な本をめくっていると。


「クレセア様。よろしいでしょうか」

「!?」


 老朽化した扉の向こうから聞き慣れた声がした。

 執事のディエールである。


 至福の昼休憩が終わったことに、蒸気時計の音で気付く。

 ……まったく現実は残酷だ。


「お嬢様?入りますぞ?」

「ちょちょちょっと待って!!まだよろしくないわ!」


 催促するような彼の声に大きく返事をする。

 私は急いでお気に入りの蔵書を秘密の引き出しにしまい込む。

 

 これでよし……。


「いいわ。入って頂戴」

「承知しました」


 私の声にディエールは執務室へ入ってきた。

 建て付けの悪さもあり、開けるのに一工夫必要な扉。

 それを労せず開けたのは高い身長に白髪、ぴしっと伸びた背筋の執事。


 熟年女性に人気があるという整った顔立ちの彼は、目を伏せつつため息をついた。


「クレセアお嬢様。陽が高いうちからそのようなご趣味に興じるのは、執事として看過できませんな」

「え゛っ……!?な、なんのことかしらね。ディエール、熱でもあるんじゃないかしら」


 い、いやいや何を言ってるのかしらね。

 そのようなご趣味って何のことかしら。


「では、その執務机の中をあらためさせていただいても?」

「だ、だだだだ駄目に決まってるでしょう!?女性の机の中を調べようなんて!」


 『でりかしい』とやらに欠けるんじゃなくって!?

 最近覚えた言葉で応戦したけれど、それは無駄だったらしい。


「それではこの『上司と部下のみだらな昼下がり』は処分させていただいて……」


 ん……んん!?


「ちょ、ちょおおおっと待ったあああ!!!」


 彼の手に収まったその本を見て、私は執務机の上に飛び上がった。

 若い女性がやることでも、領主がやることでもないけれど、今はそんなこと言っている場合ではない!


「な、なんでそれ持ってるのよ!!首都でも売り切れって聞いたのに!」

「執事を見くびってもらってはこまりますな。独自の入手経路というものがあるのです」


 口元に悪徳商人みたいな笑みを浮かべるじじい。

 なんなのよ、独自の入手経路って……。

 私はつい恨みがましく刺激的な絵が描かれた本を見てしまう。

 

 首都で大人気の官能作家が出版した最新作。

 喉から手がでるほどに欲しかった本なのだ。


「『例の件』しっかりと進めて頂ければこちらを差し上げましょう」

「……はあ、結局その話をしに来たのね……」

「ええ、何度でも。それにもう少し身だしなみに……」


 やれ寝癖を直せだの、服装にも気を使えだの、執事の小言が始まった。

 当然椅子にも座らされた……まあ、これには異存はない。

 我ながら、ちょっと興奮しすぎたところはあるし……。


「『しっかりすれば』お美しいんですから、きちんとして下さい」

「……あんまり褒めてないわよね」

「だらしがないのは男女問わず魅力が下がるというもの。学院時代の最初は男性からよく声をかけられていたとお聞きしておりますぞ」

「好みでも無い男に言い寄られても嬉しくないわよ」

 

 ちなみに『例の件』というのは。

 近々このレブレ領にやってくるというな貴族の話だ。


「面倒なのは嫌だって言ってるでしょ。よりによって『ジョカトリはく』の関係者だなんて……」

「……確かに『ルデンツァ伯』は彼の兄だそうですが」


 アケル院国には二つの始原樹を中心とした大地が所属している。


 一つは始原樹アケルが支える島、アケル領。

 首都ロドラを擁する島で、本島ほんとうと呼ばれることも多い。

 イテル蒸気機関による発展が著しく、言わずとしれた都会ぶり。

 住居の家賃も上がる一方らしい。


 そしてもう一つは始原樹レブレが支える島、レブレ領。

 アケル院国のお荷物、流刑地るけいちにして過疎に襲われる用無しの土地。

 レブレ領内を区分ける必要すらないので、レブレという街があるだけである。


「そのルデンツァ伯も結局『ルコバ首国』出身でしょう?」


 一方今度やってくるという『ルデンツァ伯』。


 彼は始原樹ルコバが支える島を中心とした『ルコバ首国』の出身。

 幼い頃『ルコバ首国』で起きた大火災から逃れ、アケル院国へ渡ってきたらしい。

 難民として渡ってきた彼の才覚は本物で、貴族位を納税額によって得た成り上がり者である。

 

 そして問題のルコバ首国。

 アケルの島と丁度逆側に位置するこの国だが……不穏な噂しか聞かない。


「金の亡者とか、成金島とか……ひどい噂ばっかりの国よ?元首の『ジョカトリ伯』なんて島の女を全員金で抱いた、とか言われてるじゃない……」

「ま、まあ人の噂には尾ひれがつくものですからな……」


 尾ひれの範疇を超えてると思うけどね……。

 

 ともあれそんな噂が耐えない国を率いる元首の兄なのだ。

 面倒でない人のわけがない。


 だからこそ穏便に済ませたいし、何なら来ないでほしい。


「大体何をしにこようってのよ」

「旅行、ということだそうですな」

「それが怪しいじゃない」

 

 有能でやり手な貴族。

 私とはわかりやすく正反対の種類の人間だ。

 こんな旨味の無い土地に、一体何の旅行をしようっていうんだか。


「それに接待なんて。そんな道楽貴族に使うお金なんてないわよ、ここ」


 レブレ領の税収はアケル領の1割にも満たない。

 自前の雲船で旅をするような人間に出せるものなんてないのだ。

 建て付けの悪い扉一つ直せない領地に、何かを期待されても困る。


「そういうことではありません。国は違えど国家元首の血縁者。それを抜きにしても相当な大物には間違いありません。この機会を逃さず私どもからお迎えに上がって、接待をするべきだと申し上げているのです」

「何?いやらしい事でもしろってこと?ったく官能小説の読みすぎよ」

「読みすぎてるのはお嬢様でしょうが!!」

「ほ、本当のことを言うのやめてよ……傷つくでしょ……!」


 ディエールの喉に血管が走るのを見て、ちょっと心配になる。

 もういい歳だし、あんまり頭に血を昇らせないほうがいいと思う。


「仕方ないじゃない、それくらいしか楽しみがないんだもの」

「言ってて悲しくなりませんか……」

「そりゃもうびっくりするくらい切ないわよ」


 好きでこんなのになったんじゃない。

 なんて、情けない言葉を吐き出しそうになって慌てて飲み込んだ。


「領民のいこいの場であった『ノア』を手放す。それくらいのことをしないといけないほどに、この領地が危機的状況にあることはよくご存知でしょう?」

「……それはそうね」


 そんなの毎日実感しているに決まっている。

 先週も領舎ここで働いていた若い職員を送り出したばかりだ。

 なんとか手を尽くして就職先を見つけ紹介はしたが、元気でやっているだろうか。


「アケル院でもレブレの処遇については厳しい意見も多いのです」


 ディエールの言う通りだろう。

 なにせ領主の成果は税収なのだ。

 アケル領は区に分かれているが、その区のどれと比べてもレブレの税収は最低水準。

 厳しい意見が出ないほうがおかしい。


「だからこそ、これは挽回の機会なのです。やり手貴族にこの地を気に入ってもらえれば、支援の芽もあるかもしれません。加えてそれほどの大物貴族が動いたとなれば、院からの関心も高まります」

「……はあ。そんな上手くいくわけないじゃない」


 アケル院国を実質動かしているのは、特定の貴族達が集う『アケル院』という議会だ。

 厳しい監視、厳しい審査を乗り越えた貴族にしか所属することが許されないだけあって、彼らは優秀だ。


 だが、そうだからこそ。


「無能領主が嫌いな連中の巣窟そうくつよ?安易に私の評価をくつがえしたりはしないわ」


 彼らは慎重であり、冷静だ。

 そして何より冷酷である。

 価値のない領一つあっさり切って捨てられるほどに。


 けれどそれは悪ではないとも思う。


 多数の国民をかかえるからこそ、迅速な判断はもちろん、時には酷な判断もくださなければならない。

 聞こえのいい政治だけでは人の暮らしを保てないのだから。


「入念な魔窟調査で黒曜獣の期待ができない、ってなった時点で終わりよ。彼らはいつ切り捨てるのが国にとって最善なのか、それしか考えてないわ」


 私がわかりきっていることを口にすると、ディエールはため息をつく。


「……仰るとおり、魔窟のイテル変化を見ても黒曜獣に期待することは難しいでしょうな」


 領を支える自然資源、黒曜獣。

 とにかく人を集められ、地域を活性化できる特効薬だ。

 


「でも一方でお嬢様はずっと主張されていたではないですか。自然資源に過度に入れ込んだ領経営は不安定で危険だと」

 


 確かにそんな妄言もうげんを恥ずかしげもなく披露していた頃もあった。

 そして、それは私にとっては消したい過去である。


「雲海の下へ身を投げたくなるから辞めて頂戴……」


 ロドラの学院で随分と馬鹿にされたのだ。

 口先女、でしゃばり女史じょし

 そんな風に言われるのはもう御免である。


「首都ロドラを見れば分かることよ。自然資源に入れ込んでもしっかりと発展を遂げた。税収は最高額を毎年更新、誰から見ても領地経営は成功。一方、私が就任した領地はこの状態じゃない」


 院の人間はその結果を持って判断を下している。

 多角的に可能性を検討する必要はある、という正論を述べるのは簡単だ。

 だがそれ以上に発展した街を動かすのは大変なはずだろう。


「その考え方そのものが暇人が思いつくそれなのよ。学院生だったり、過疎が進んで仕事が減っている領主とかね」


 ……悔しいけれど。


「お嬢様……」


 だから今できることは、悪あがきではないのだ。

 できるだけ大きな衝撃なく。

 可能な限り穏やかに。


 この領を終わらせる。


 それが私の仕事。

 妄言をぶちまけたどうしようもない女ができる唯一のこと。


「私はお嬢様の考え方に賛同しています。多角的な魅力を領地にもたらし、いくつもの柱で大地を支えるのだ、というのは決して無視されるべき論ではありません」


 ディエールは一歩執務机に近づく。


「となれば、その主張を持つ領主も多角的に可能性を検討すべきです」

「うっ……!」


 それを言われるとちょっと弱い。

 で、でも私は無能だし多くを期待しないでもらいたいんだけど。


「何を仰る。数十人の部下に再就職先を斡旋できる人間を無能とは言いませんぞ」

「いやいやいや、私は領主なの!そこを褒められても困るのよ!」


 そんなところを評価されたってまったく嬉しくない。

 それは経営を持ち直せなかった上司の責任を果たしただけなのだ……。

 税金もかつかつだし、私とディエールは辞めさせてはもらえないし。


「百歩譲って閉領を視野に入れるのは構いません。けれども閉領を視野に入れるのは、執事として、領民の一人として決して認められませんな」

「そりゃまあ、領民はそうは思うでしょうけど……」


 生まれた土地に愛着の無い人間などいないだろう。

 とはいえ、愛着だけでお金が湧くのなら苦労しない。


「愛着をお金にするのが貴女のお仕事では?」

「……じゃあ官能書籍の本屋とか」

「では未来の店主の趣味を、領民に広く知らせないとですな」

「じょ、冗談だって!や、やめなさい!!」


 ディエールは口論を放り出し、執務机の引き出しに強引に手をかける。


「こ、このっ!すけべじじい!」

「すけべはどっちですか!?まったく!」


 引き出しを巡る攻防は一段落。


 まあ、ここの本が処分されても秘密の隠し場所がある。

 黒曜獣がいないことを逆手に取った、我ながら最高の蔵書場所だ。


 それでも一冊一冊大切にするのは、夢をもらった読者として当然の礼儀だろう。

 それが……読者の挟持ぷらいどというやつなのよ!


「どっちにしても、私はその道楽貴族の接待なんかしないわよ。どうせ出ていっても笑われるだけだもの。何にもない土地だなって。それを領民に見せたくなんかないわ」

 

 おそらく私が迎えにいけば野次馬的に見に来る領民もいるだろう。

 彼らが地元を卑下ひげすることは多いだろうが、それを他国の貴族に言われたら腹も立つはず。

 ジョカトリ伯の血縁だ、きっとロクでもない人に違いない。

 

「院に目を付けられてるんだから、これ以上目立つことなんてしたくない」


 目立ってしまえば何が起きるかなんて目に見えてる。


「それでノアの送別式にも顔を出さなかったと」

顰蹙ひんしゅくを買うだけの場所に行けって?」


 私だって人間だ。

 むしろ……とても弱い人間なのだ。

 そしてノアを修繕係に押し付けた酷い女だ。


 どうやら船は最近解体したらしく、あの雲船も今や跡形もない。

 とはいえ、衛兵が減ったので島全域に目が届かなくなっているし、実際にはどこかに難破している可能性もあるけど……。


「でしたら一つだけ。『何もない』というお考えは改めたほうがよろしいかと」


 静かな、しかし強い光をともした目で彼は私を見た。



「最近とある弁当屋が新しい品を売り出しましてな」

「弁当屋……?」



 朝晩の食事の用意が面倒な人間が使う店だ。

 かくいう私も学院時代は毎日といっていいほど利用していた。


「これが驚くほど美味なのです」


 ディエールが柔らかな表情になる。


「もちもちとした食感の白いものと、塩の効いた肉……でしょうな。それが合わさったものでして。小キャラバンが毎日列を成しております」

「列を成すってそれは弁当屋だし、当然じゃ……ないか」


 小キャラバンの承認を下したのは先月くらいのこと。

 黒曜獣は出ないが野生の動物は少なくない。

 春は特に増えがちなので、国からのお情けで冒険者がやってくるのだ。

 

 そしてまさに今、その冒険者向けに弁当屋が張り切る季節ではあった。


「他の弁当屋はどうしたの?列をなせるほど客もいないでしょうに」

「どうやら各地を周遊しゅうゆうしている冒険者達が合流してきているようです」

「え?嘘でしょ。周遊するなら今はアケル方面か、もっと遠くの島じゃないの?」


 周遊というのは、言ってしまえば自由に島を巡っている冒険者達だ。

 腕が立つ者たちが多いため、稼ぎの良いところを選んで仕事を探す。

 そのため国が雇い、定期的に各地を回る小キャラバンとは金払いが違う。


「詳しい事情はわかりませんが、長い列ができているのは事実です。そもそも私も相当並んでようやく一人分確保できたぐらいですから」

「それは早速食べてきたってわけね」

「ええ。引きこもり領主の分なんてありませんよ」


 くそじじいめ……。

 領主に献上するつもりは毛ほどもないらしい。

 毛もないけど……と馬鹿にできないくらいふさふさなのも腹が立つ。


 けれど、レブレ領で人が列を作る……。

 長らく聞いたことがない現象である。


「私は一度確認に行かれることを強く進言します」

「……貴方はそれが『何か』になると思ったの?」


 年齢と経験を重ねた彼の見識は広い。

 だからこそ、感じたことを聞いてみようと思った。


「今の所は何とも」


 ディエールは首を横に振る。

 しかしその眼の光は失っていない。


「ただ、一つの事柄だけで問題が解決できることはありません」


 それはその通り。

 世界がそう単純にできていたらみんな苦労しないのだから。


「けれど一つの事柄を見逃したことで、大きな損失に繋がることもあるでしょう」


 彼はそこで間を置いて、いつもより更にはっきりした口調で言った。



「そしてこの世には。一人で成せないことのほうが遥かに多いのです」



 身に沁みてわかってるわよ、と口に出そうとしたけれど。

 なんだかそれを言うのは無粋な気がして、言葉にはしなかった。


 代わりに負け惜しみのため息を吐く。

 私はディエールに二通の手紙を見せた。


「おや……またご実家の件ですか」

「一通はね。どうしてもあの土地が欲しいみたいだわ」


 一通目の内容はいつもどおりだ。

 アケル領の中心地にある実家を国へ売れ、というもの。

 

「立地がよろしいですからな……」

「代金だけじゃなくって領に補助金まで付けてくれるそうよ?」

「なるほど……補助金を使ってこちらに住め、ということですか」

「ま、領舎は簡単に建て替えできそうね……やらないけど」


 帰ることもできず、今や空き家状態のアケルにある私の生家。

 思い入れもそこまで無いけれど、アケル領に売り渡すのが負けのような気がしてならない。

 だからもう年単位で断っている。


 つまらない意地だということも知っているけれど、この件だけはディエールは文句を言わない。


「……どうしてこう残酷なのかしらね」

「残酷……とは?」


 そしてもう一通。

 無言でそれを受け取った彼は、内容に眼を見開いた。


「なんと……これは……」


 私は明日に視察予定を入れながら、大きなため息をついた。



「……嫌な仕事よ。やっぱり」

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