第6話 大馬鹿者
「採ってきたのじゃ!」
ノアの食堂に、カグハの声が響く。
嬉しそうに耳を動かしながら、彼女は手一杯の茶色の実を差し出す。
目的のものは雲海の下にもあったらしい。
「おお!見つかったんだ、ありがとう」
「うむ。で、それはいいんじゃがこんな硬そうなのどうやって食べるんじゃ?」
彼女が持ってきてくれたのはムグの実。
こぶし大のその実は硬い殻に覆われ、一見食べられそうにないのだが。
「よっと……」
俺はノアの熱道具の上にそれらを並べ、火の魔法で軽く炙り始める。
雲海の下で、奇妙な三人暮らしが始まって数日。
男二人と神様は雲船を宿としながら、なんだかんだと生活を共にしている。
ノアの修理はタナー。
黒曜獣の調達はカグハ。
そして調理と、修理の手伝いを俺が担当している。
けれども毎日お肉ばかり、というのも飽きが来る。
黒曜獣の肉なのでとんでもない贅沢を言っている自覚はあるが、料理を任された調理師としては可能な限り変化を付けたいのだ。
というわけで、今日からはムグの実を使った料理を作ることにした。
「おお!開いたぞ!」
カグハが言う通り、ムグの実の殻に隙間が開いていく。
刃物で殻を剥くのが普通だが、キャラバンにいる時に試行錯誤を重ねた結果、これが一番簡単であるという結論に至った。
「これで、中の白いやつを取り出して……」
「おお!妾もやりたいのじゃ!」
殻の中にはほくほくとした白い実が詰まっている。
これを興味津々な彼女と一緒に取り出していく。
「ここを引っ張る感じ」
「おお……つるんと取れるんじゃな!」
雲海の下は栄養状態がいいのか、ムグの実もかなり大きい。
魔窟周辺にも自生するとは知っていたが、こんなに立派なものがあるとは。
カグハと二人、熱した殻は苦労することなく剥き終わる。
それでこのあとは……
「……あんまり味がしないのじゃ」
「神様は『待て』もできないのか……」
「なっ!?で、できるわ!年単位で待てるわ!」
調理を待たずして白い実を頬張った彼女に、思わず笑ってしまう。
それがカグハとしては不服だったらしく、顔を赤くしている。
やや数が減った白い実を、今度はノアの壊れた部品でつくった深めの皿に入れる。
「後はこれをすり潰すんだ」
「すり潰す?」
不思議そうな顔をするカグハの前で、俺はそこに塩をふりハクマツの棒を彼女に渡した。
「こ、こうかの……?」
「そうそう」
おっかなびっくり実を潰し始める彼女。
宣言通り彼女は料理経験が全く無かったが、最近は少しずつ興味が出てきたようだ。
「おいおいカグハにやらせて大丈夫かよ」
と、そこへタナーがやってきた。
どうやら今日の修理作業は切り上げたようだ。
「う、うるさいのじゃ!今集中しとるんじゃ!」
「だそうです」
「へいへい」
彼女の反応に苦笑したタナーは置かれているものに気付き声を上げる。
「な、なんだこれ?卵か……?」
「ウォボ
「あいつのか……夜中に鳴かれると眠れねえんだよな……」
ウォボ鳥は魔窟周辺に生息する鳥で、特徴的な鳴き声で有名だ。
キャラバンではこの声が聞こえたらいよいよ魔窟が近い、と判断する重要な指標でもある。
そしてその鳥は、魔窟と環境が近いこの雲海下の世界でも元気に生活していたらしい。
この卵が手に入ったのはとても大きい。
グラノよりもしっとりした口当たりのものを作れるし、卵というのは応用が効く。
「ふふふ……」
久しぶりのワクワク感に思わず含み笑いを零すと。
「おい変態が気持ち悪い顔してるぞ」
「お前さんら二人とも変態じゃから、どっちも気持ち悪い顔じゃ」
大変失礼な会話が聞こえてきた。
けしからん話ではあるが、対応は簡単で。
「二人の飯はなしで――」
「「ごめんなさい!」」
俺の言葉に二人はさっと地面に座り
やはり食の力は偉大なのだ。
「お、美味しいのじゃあ!!」
ノアの食堂にカグハの声が響く。
無言ではあったが、タナーも何度も首を縦に降る。
どうやら気に入ってもらえたようで、俺は胸をなでおろす。
「これ、なんていう料理だ?途中までグラノってやつと似たもんかと思ったんだが……」
「材料は似てるんだけどね。これは『ティッチ』っていうんだ。キャラバンの人に教えてもらった」
ムグの実をすりつぶしたものに、ウォボ鳥の卵。
これに塩を少し入れ混ぜる。
その後、それなりの時間をかけて捏ねていくとこれが生地になるのだ。
「教えてくれた人の国では、もうちょっといろいろな形にするらしいけどね」
今日は生地を細い帯状にし、適当に切って茹でただけ。
かの国では一晩寝かせ、細長い麺状に加工したりするらしい。
「へえ。それで、この上にかかってるのはなんだ?」
「これ、美味しいのじゃ!なんかこう、いい匂いがして……」
彼らが言っているのは、『ジェバソース』だ。
「『ソース』っていうのは、作った食事にかけるもの……?みたいな意味かな」
「それもキャラバンで教わったのか?」
「ううん……そこがちょっと微妙で」
何かをかけて食べる、という食べ方はキャラバンの中で思いついた。
『ソース』という言葉は、キャラバンの人に後から付けてもらったものだ。
「ティッチに最初は塩をかけて食べてたんだけど、たまたま『ジェバ』っていう草が手にはいったんだ」
「妾が拾ってきたやつじゃな。あともう一つ……なんじゃったか……ええと……」
「オリエの実ね」
それじゃ!と嬉しそうにするカグハは、やっぱり狐耳がついた少女であった。
すっかり神様だぞ!みたいな主張はなりを潜め、今は単純に食事を楽しんでくれているようでなにより。
ちなみにオリエの実も炙ることで柔らかくなり、中からは香り豊かな油が採れる。
量は多くないが、これとつぶした『ジェバ』を混ぜたものが今日のソースだ。
もちもちした食感のティッチに、香りと塩気があるジェバソースを絡めて食べる。
それが今日の夕食となった。
「ジェバって風邪に効くらしくて。キャラバンの人が結構持ってたんだよ。で、どうせなら一緒に食べられないか、って話になってさ」
「じゃあ、この美味いやつ食べれば風邪に効くのか?」
「ううん……どうかなあ。そもそも風邪になる人がいなくて余ったから入れた、みたいなところもあったし」
キャラバンの一人がジェバ農家出身らしく大量に持ち込んでいたのだ。
ただ幸いにも、彼らがそれを必要とするような事態が起きることはなかった。
「それで、なんとなく捨ててしまうのもったいなく思えてさ……」
「ははは!フォルはそういうところを親から継いだのかもな!」
『物持ちが良い』というのは裏を返せば、物をなかなか捨てられない、ということだったりもして。
そうでない人もいるだろうが、少なくとも俺はそうだったな、と思い至り苦笑する。
「これ他にもいい香りの草とかあれば、ソースっていうのになるんかの?」
「おお!いいな、色々作ってくれよ!」
黒曜獣の肉ばかり続いたので、新鮮だったのかもしれない。
賑やかな夕食はこうして過ぎていった。
「眠れんのかの?」
少しだけ波が立つ遠浅の湖。
そこに今は満天の星空が映っている。
タナーが眠った後、俺はなんとなくノアの外へ出て。
そんな景色を眺めていた。
「ん?……ああ、いや。別にそういうわけじゃないんだけど」
そんな俺に声をかけてきたのは、狐耳の少女。
ご飯を食べて満足したら宙空に入り口をつくり、眠そうに入っていく。
いつもはそんな彼女が、今日はまだ眠っていなかったようだ。
「……」
何を話すでもなく、湖のほとりに座る。
狐耳の彼女は、少し離れたところで同じようにした。
「……なんじゃ?妾が気になるのか?」
ちらりと視線を向けると、カグハはぼんやりと夜空を眺めつつ言う。
「ああ、いや……」
いつもと様子が違う落ち着いた声に少し驚いていると、彼女はこちらに視線を移した。
「妾はお主のことが気になるぞ?」
心の奥まで突き刺さるような金色の瞳がそこにあった。
なんと答えたらいいかわからず、しばらくその場には湖が立てる水音だけが響く。
「どうしてじゃ?」
「どうして……って?」
カグハは視線をそらすことなく、頷いて続ける。
「食べ物を作る仕事をしておったと言ったな。どうしてそれを辞めたんじゃ?」
ただの好奇心だけで聞いてきたとはとても思えない声色。
決して大きくないその声に、俺は関係ないだろ、なんてとても言えなかった。
「……どうして……か」
ただその答えをすぐには見つけることはできずに。
いや、わかりきった答えを話すことが
けれど、彼女は俺から眼をそらさない。
「……虚しくなったんだ」
だから、まとまりがつかない言葉を零すことになった。
「虚しく……?」
「ああ」
真剣な姿勢を崩さない彼女。
俺はついに追い詰められたような気持ちになって、諦めて。
情けない心中を話すことにした。
「キャラバンの話はしたっけ?」
「樹洞の黒曜獣を狩る集団じゃろ?お主が一緒に仕事しとったとかいう」
「そうそう。丁度一つ前の現場がそれでさ」
「羨ましいの、毎日あんな美味しいもの食べさせてもらって」
嘘偽りの無い言葉でそう言われて、俺はなんとなくむず痒くなる。
でも、だからこそ心がちくりと傷んだ。
「キャラバンの皆も同じようなこと言ってくれた」
「そりゃあそうじゃろ。神が美味いっていうんじゃからな、人の子が気に入らんわけないのじゃ」
何故か誇らしげにする彼女に思わず苦笑する。
「毎日、色々な料理ができないか。俺なりに知恵を絞って頑張ったつもりだったんだ」
今日夕食にしたティッチもそうだ。
オリエの実とジェバを合わせたソースも一朝一夕で生まれたものでは無い。
最初は全然食べれたものじゃなくて、本当に自分なりに頑張って形にした。
そしてそれが「美味しい」と言われるまでになった時、少し涙ぐむほどだったのだ。
でも。
「帰ってみたら降格さ。給料が三分の二くらいになった」
「……!」
金色の瞳が大きく見開かれる。
その素直な反応に俺は少し救われていた。
「キャラバンの皆が俺を延長で引き止めたんだ。その分、調理師組合は俺を別の場所へ派遣できなかった」
もちろんキャラパンの皆は延長料金を支払ってくれたけれど。
「じゃあ、問題はないじゃろ……?」
「延長料金はさ、他の現場に行くより時間当たりの儲けが薄いんだ。俺も後で知ったけど」
俺はあくまで使われる側の下っ端だ。
だからそういった知識はなかったし、当然次の現場が組合にとって儲かる案件だということも知らなかった。
組合側も後で損失に気づいたのだろう、最初からわかっていれば延長可能な契約にはしなかったはずだ。
結局損失がいくらだったのかは分からなかったけれど。
「もともとペッシェっていう干物さえ出してれば充分だったんだ。それをさ……俺が調子に乗って余計なことをした」
彼らが笑顔で食事をしてくれること。
その様子が、ずいぶん昔に置いてきてしまった感覚。
両親と笑って食卓を囲んだあの感覚そっくりだったんだ。
だから。
「調子に乗ったってお主……それは」
俺は首を横に振った。
「欲をかいたんだ。望んでたものがそこにあった気がしたから。少しでもあの時間が続けばいいって」
仕事をこなすんじゃなくて、あれは多分公私混同だった。
「だから『罰が当たった』んだ」
「……それで、腹がたったんじゃな?」
金色の耳がぺたんと倒れたまま、彼女は目線を下げた。
俺の代わりにしゅん、としてくれたようなそのしぐさに、俺は少し頬がゆるんだ。
でも……彼女の言うことは少し間違っている。
「そうじゃなくてさ。むしろ絶望したんだ、自分に」
「なんでじゃ?組合とかいうのにじゃないのかえ?」
そうだったらまだ格好が付いただろう。
でもそうではない。
俺は自分が求めていたものを一度は手に入れたはずだった。
求めてやまなかったものを体験したのだから。
「給料が減った瞬間にさ、力が抜けちゃったんだ。料理も、なんだか惰性になって」
降格もある意味みせしめ。
『余計なことをしなくていい』『ペッシェ以外を出すという行動は好ましくない』という組合の姿勢を見せるためだった。
だから言及も一時的なものだ、という通達は上司から説明を受けていた。
その『一時』がどれくらいかはわからなかったけれど。
ただそれでも。
両親といつか囲んだような、暖かな食卓を再び共有できた。
キャラバンに随行した時にそう思えたはずだったのに。
『給与が下がる』という事態に直面した時。
その感慨が、もうどうでもよくなってしまった瞬間があったんだ。
それはなぜか。
「結局さ、見返りを求めてたんだ。両親との思い出を道具に、誰かに認められたい、誰かに褒められたい。それで金が欲しいって」
本当に求めているものが両親と囲んだ食卓であったなら。
俺はきっとまだ調理師をやっていたはずなのだ。
俺の料理で、誰かが笑ってくれたのだから。
それでも俺は自分の中にあった力が抜けていってしまうことを確かに感じた。
求めていた景色が目の前に広がっていたはずなのに。
欲しかった笑顔を間近で見れたはずなのに。
料理やあの食卓への情熱は、霞がかったようにぼんやりとして。
ゆっくりと冷えていくのを感じたのだ。
「はじめからお金目当てのやつのほうが、ずっとまともだよ。俺はそんな『まともじゃない』自分を見ていられなくなったんだ」
これ以上そんな
端的に最低だ。
両親もきっと悲しんでいる。
自分達の血を継いだ存在がこれでは、あまりに報われない。
今一度そのことを実感して俺は大きくため息を付き、空を見上げる。
そこにはそんな俺を馬鹿にするように美しい星空が広がっていた。
「……お主は馬鹿じゃ。大馬鹿者じゃ」
しばらく続いた沈黙を破ったのは、手厳しい彼女の言葉だった。
けれど、その表情はびっくりするほど優しいもので。
「馬鹿者じゃ」
気付けば彼女はすぐ近くに座り直し、もう一度同じことを言った。
「よいか、人の子よ。『罰を当てる』のは妾達の役目。人の子が勝手に
彼女は深遠な瞳をたたえて続ける。
「主らは元来とてつもなく不器用じゃ。自身が器用であると勘違いするほどにな」
いや、俺はもともと器用では……。
と口を開こうとすると、すっとそこに指が添えられた。
「そういう話ではない」
優しい眼をゆっくりと閉じ、彼女は先を話す。
「『自身の行動が、一つの欲求によって成されている』、そう勘違いするほど。あるいは、自身の心の動きさえろくに掴めないほど、不器用じゃと言うておるのじゃ」
「……!」
深く心に染み込むような声色の彼女は
「両親への気持ちはようわかった。それも一つの欲望じゃろう。でも同時に金だって欲しいじゃろうし、誰かに褒めてもらいたいとだって思うじゃろう?」
それを我慢できるわけがないのじゃ、とカグハは笑う。
「主らは、えっちな本をあんなに買うてしまうほど欲に弱い。違うか?」
「……あ、あれは俺じゃないって……」
知っておる、と悪戯っぽく片目を瞑る彼女。
「そういうものが
だから聞かせてみよ。
そう言ってカグハは俺の眼を覗き込む。
「料理を作り、妾達に『美味しい』と言われることは好きか?」
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