第5話 不思議雲船ノア

 緑の粒子がふわりと舞う木漏れ日の中。

 男二人と狐耳の少女、という妙な一行は湖を目指していた。


「な、なあ……カグハ……様。一体どれくらい歩けば湖に着くんだ?」

「はあ……はあ……も、もうちょっと……もうちょっとじゃ……!」

「それ……さっきからずっと言ってませんか……?」


 肩で息をしながら進む俺達。

 目を覚ました森の中の草原を出発し、すでに日は傾いて来ている。


「神様なんだってんなら……ひとっ飛びできたりしねえのか……」

「そ……それが、できたら……妾だけ先に行っとる……わ……!」

「えぇ……」


 そもそも神様だと言うのにどうしてこんなに大息をついているのか……。

 3人の中で一番額に汗を流し、しんどそうな顔をしている。


 そんな彼女の神様らしくない発言にげんなりしていると、視界をさえぎっていた木々の向こうがにわかに開けてきた。


「ほ、ほれ……いったじゃろ……はあ……はあ……」

「お、おお!……ようやくか……!」


 最後の力を振り絞るように木々に手を付き、森を抜けた俺達の前に広がったのは意識を失う前に見た湖。

 

 そこには茜色に染まった陽射しが反射し、美しい景色を見せていた。


「おお……綺麗だ」

「そ、そうじゃろ……はあはあ……妾の自慢じゃ……!」

「自慢って……ふう……カグハ、様の持ち物なのか?」


 呼び捨てにしそうになったタナーが『様』を付け足しつつ聞く。

 当のカグハ様は乱れた息を整えながら頷いた。


「はあ……ふう……始原樹レブレは、妾の管轄なのじゃ。じゃから当然ここも妾の領土じゃな」


 小柄な体系に見合わない大きめの胸を揺らし、彼女は誇らしげに言う。

 一瞬視線を奪われそうになってしまったが、そこは紳士の気合で堪え気になっていたことを聞いてみることにした。


「あの、カグハ様。管轄っていうのはどういうことなんですか?」

「ん?……ああ、お主らはそういうことも知らんのじゃったな」


 カグハ様はそこで曖昧に笑う。

 その表情は今まで見せたものとは打って変わって儚げで、せつなそうなものであった。


「神にも色々あるってことじゃな」


 あまり立ち入らないほうが良い話題なのかもしれない、俺達が言葉に窮していると。


「その『様』というのはやめよ。神はそんなものじゃないのでな……『カグハ』と呼ぶことを許す」


 見た目とは裏腹な到底少女らしくない笑みを浮かべ、彼女は穏やかに頷いた。


「さ、ノアじゃったか。とりあえずそこに行くんじゃろ?暗くなってしまう前に見つけるほうが良いと思うぞ?」

「あ、ああ……」


 物怖じしない態度を見せていたタナーも、そんな彼女の雰囲気に戸惑ったらしい。

 俺も困惑はしたが、カグハさ……カグハの言う通り、ノアを見つけてその状態を確かめたほうがいいには違いない。


「お、あれじゃないか!」


 改めて周囲を見渡すと、ほど近くに見覚えのある構造物が転がっているのが見えた。


「ど、どうやら木っ端微塵ってわけじゃなさそうじゃな。ま、まあ分かっとったのじゃが」

「その割にはほっとしてるように見えるけど……」

「ひ、人の子への慈悲の心じゃな。主らがほっとするなら、神もほっとするのじゃ」


 よくわからない理屈をこねるカグハ。

 その彼女も興味がある、というので結局一緒にノアを確認しにいくことにした。




 陽が完全に落ちた後、俺達はノアの周辺に集っていた。


「こりゃあひでえな……」


 そこでタナーは改めてため息まじりに零す。


「一応細かいところも見て回ったが、カグハさ……ああ、いや様はなしだったな。ニセ幼女の魔法が推進機に直撃した影響はでかそうだ」

「ニセ幼女ってなんじゃ!?」


 失礼な!!妾可愛いじゃろ!!と子供みたいに憤慨するカグハをなだめつつ、俺は話の続きを促す。


「推進機に大穴が開いたってだけじゃない?」

「わかりやすいのはそこだが、内部のイテル蒸気機関部分にもかなり痛みがある。おそらく大量のイテルを浴びた影響だろうな。鉱石部分が軒並み変形しちまってた」


 タナーはそこでじろっとカグハを見る。

 

「わ、妾のせいだっていうのか!?」

「逆にお前以外の誰のせいだっていうんだよ……」

「ぐぎぎ……!」


 狐少女は耳を震わせつつ歯ぎしりをする。

 行儀の悪い神様である……。


 とはいえ、タナーもそれ以上追求する気はないようだ。

 むしろやや意地悪な笑みが浮かんでいたので、おそらく彼女の反応を楽しんでいるのだと思う。


「いずれにしろ大掛かりな修理は必要だろうが……」


 ううむ、と腕組みをするタナー。

 彼の言う通り、樹上じゅじょうへ戻るには現在のところこの船を直す以外に方法はない。

 カグハの力で……とも期待したが。 


「神だからといって万能というわけじゃないのじゃ。神にだって事情があるんじゃぞ!」


 と不機嫌そうに返されてしまった。

 すこし子供っぽいところのある彼女だが、わざわざ嫌がらせのために渋っているという様子でもない。

 おそらくいかんともしがたい理由があるんだろう。 


 しかしそうなると、いよいよ帰還の目処がたたない。


「主らの雲船というのは魔窟の素材でできておるんじゃないのか?その、イテルなんとかっていうのは」

「まあ一応そうだけど……あ!」


 ああそうか!


「ここは主らの言う魔窟みたいなもんじゃ。材料は採れるじゃろ?」

「それもそうか!それなら修理はできるかもしれねえな」


 考えてみればそのとおりである。

 イテル蒸気機関を構成する材料は、魔窟やその周辺で採れるもの。

 修理に使う素材には困らなそうだ。


「後は食べ物か……」


 今日、明日でノアの修理が終わるはずもない。

 食糧は不可欠だろう。


「本来なら黒曜獣の存在はうってつけなんだろうがな」

「俺達はキャラバンじゃないからね」


 さきほどみたいに囲まれてしまえば、どっちが食糧になるかは明白である。


「それならしばらくは大丈夫じゃろ。妾のあれはこの辺りの黒曜獣黒いのに向けて撃ったからな。不運な流れ弾があったみたいじゃが……」

「不運というにはあまりに悲劇……というか致命的だったけどね……」

「こ、細かいことを気にすると女子おなごに嫌われるぞ!」


 俺の指摘に耳を忙しなく動かしつつ、カグハは続ける。


「今の妾なら消滅はさせておらんはずじゃ。適当に拾いにでもいくがいい」


 彼女が言うには、あの光の雨は大量の黒曜獣の急所を撃ち抜いたらしい。


「それが本当なら嬉しい知らせなんだがな」


 確かに壮絶な魔法ではあったが、『流れ弾』の件もあるし……。

 という俺達の考えが伝わったらしい。


「ぐぬぬ……疑り深いやつらめ……」


 恨めしそうな表情になったカグヤは、ぶつぶつ言いながら両手を左右に広げた。


「特別じゃからな……!」


 彼女はこちらをじろりと睨むと、右足でノア近くの地面を踏みつける。

 見るからに軽そうな体躯通りその音は大したものではなかったが。


「な、なんだあ!?」

「おお……!」


 彼女のその仕草を合図に、ノアとその周辺をすっぽりと包むような青く透き通った壁があらわれたのだ。


「魔除けみたいなもんじゃ。この中なら黒曜獣は入ってこれん……というか壁に当たっただけで消滅するじゃろう」


 彼女は壁の外へふわっと移動し、そこから壁の中へ石を投げ入れてみせる。


「!!」


 するとその石は壁にあたった瞬間に、じゅっと音を立てて燃え尽きた。


「敵意をもった侵入物にはこうやって反応する結界じゃ。これなら満足じゃろ」


 やれやれ、と彼女は肩をすくめ軽くため息をつき続ける。


「妾は夕餉ゆうげの時間じゃし帰るのじゃ」


 そう言うと彼女は宙を切り裂き『聖書』を出した時のような口を開いた。

 というか奥に『聖書』の山が見える……どうやら取り出して見せたものがすべてでは無かったらしい……。


「せいぜい死なないようにするのじゃぞ、せっかく助けたんじゃしな」

「あ、えっと……ありがとう!」

「色々世話になった!」


 その不思議な空間を閉じようとする彼女に、タナーと急いでお礼を言う。

 色々あったとはいえ、ここまで案内してくれた上に結界というものまで用意してくれたのだ。

 お礼を言わないのはちょっと違う気がした。


「れ、礼を言えるのは良いことじゃ……」


 カグハは随分小さい声で返事をすると、今度こそ空間を閉じた。


「有り難い配慮ではあったが……ノアを壊したのもあいつなんだよな……」

「あはは……確かに」


 まあでも。


「善神っていうのはほんとだと思うよ」


 自分でも単純すぎるかな、と思う判断を口にすると。


「どうだかな。俺は邪神説をもう少し推そうと思うぜ」


 タナーも笑いながら彼女への考えを述べたのだった。




「う、美味え!!!」


 タナーがそう言って顔を綻ばせる。


「これ食ってる時だけは落ちてきてよかったとホントに思うぜ。貴族共がとんでもない金額で欲しがるのも分かるってもんだ」

「キャラバンが儲かるのも当然だよなあ」


 雲海の下へ落ちてきて約一週間、ノアの修理を続けながら俺達は暮らしていた。

 カグハによって急所を撃ち抜かれた黒曜獣も手に入り、食事はかなり贅沢なものである。


「にしてもフォル、お前本当に色々な料理ができるんだな。毎日違う味がするぜ」

「キャラバンだとどうしても手に入る食材が偏るしね。毎日同じ味じゃ飽きるし、つまらないからさ」

「こんな贅沢覚えたら帰れなくなっちまいそうだ!」


 今日は樹上の魔窟周辺に生えている香草を見つけたので、それを使って味付けをした。

 簡素な料理ではあったが、タナーは気に入ってくれたようだ。


「本当は穀物系の食材と合わせて食べると美味いんだけど、まだ見つかってないからなあ」

「あ!グラノってやつだっけか、あれまた食いたいな」

「ムグの実があればね。塩は結構手に入ることがわかったし」


 遠浅の湖の水は蒸発させることで塩が手に入ることが分かった。

 その上イテルの濃度も高く、『イテル水』としても優秀なようだ。


「一応全部の道具を持ってノアに乗り込んでよかったぜ。もし工具が一切無かったら修理なんてどうにもならなかったからな」

「イテル水も手に入るし、鉱石の加工もできるみたいだし……不幸中の幸いってやつだったね」

「まあ取りに行くのは命がけだけどな。フォルに火の魔法を教えてくれたやつには感謝してもしきれねえ」


 素材を取りに行く際には、黒曜獣までとはいかないまでも、好戦的な動物に出会うこともある。

 そんな時、料理のために習得したはずの火魔法が彼らを追い払うのにとても役立った。


「にしても、この雲船。よくわからねえ機構が山程隠してあった。俺が触ってた部分はほんの上っ面だけだって分かって自信を無くしそうだぜ」

「隠してあった……?」


 苦い表情のままタナーは頷く。


「ああ、普通に浮上するための部分の機構の裏。そこに例の変形する機構が巧妙に隠されてやがった。イテル蒸気機関として動いている部分が、船の変形に合わせて組み変わるようになってる」

「見た目だけじゃなくて、動く仕組みも変わってるってこと……?」

「そうだ。外見と一緒に中身も変形してるってことだな」


 中身も変形……?

 俺は今ひとつ掴めず、頭をかしげてしまう。 


「イテル蒸気機関は『イテル水』開発の前後でかなり構造が違う」

「あ、それは聞いたことある。第一世代と第二世代だって」


 そのとおりだ、とタナーは頷いた。


「ノアは第一世代初期の雲船だ。だからこそ今出回ってる『濃縮イテル水』では効率が悪くて使われなくなったわけだな」

「そんな理由が……」


 古いから使われなくなった、という話だったけれどそれは技術形式が古かったから、ということらしい。

 

「だから当然イテル水も抜いてあったが、ノアは変形して動いた。この時、どうやらこいつは周囲のイテルを吸引していたようなんだ」

「き、吸引?」

「そう。空気中のイテルを吸い込んで、それを動力としたらしい。変形機構を動かした時、この船は落下を始めただろ?」


 そう言えば落下が始まった時は、タナーが妙な引き出しを押し込んだ瞬間だった。


「あの時、おそらく内部機構の切り替わりが始まったんだ。そうなるとノアが普段浮力を維持するためにもっている構造が無くなって、イテルを吸い込んで動くまったく違う機構に変わる」

「それで落ち始めた……ってこと?」

「ああ、それでこの雲海の下ってのは空気中のイテルが濃いだろう?」


 なるほど……それで。


「そう。イテルを吸い込む機構を動かすことはできて、船自体の変形もできた。ただ機構そのものが使われてなかったせいで、ところどころ穴が開いててな」

「もしかしてやたらうるさかったり揺れたのは……」

「ああ、単純に故障してたってわけだ」


 ノアにそんなとんでも機能がついていたとは思わなかった。

 趣きのある古い船……どころか、実はとても貴重なものだったのかもしれない。


「内部構造がいまいち分かってないものもあるが、幸いその手の部分は無傷だ。むしろよく分からん素材でできてたが……それが良かったのかもしれん。いつかしっかり検証しなきゃならないが、とにかく浮上できればいいからな。そこまでは頑張ってみるさ」


 樹上までいければそこからは通常の機構に切り替えればいい、ということらしい。

 内部構造を確認できたことでその辺りの操作方法もわかったようだ。


「まあ、ノアのほうはそれでいいとしてだ……」


 そう言って彼はちらりと視線を動かす。

 その意図するところは、俺にもすぐに分かった。



、どうにかなんねえのか」

「そうだなあ……」



 そちらへ顔を向けると、宙空にできた裂け目はささっと閉まる。


「監視のつもりなのか?あいつ、ずっと見に来てるよな」


 裂け目が閉じた場所から目を離し、しばらくするとちょっと横にずれた宙空にまた動きがある。

 すうっと裂け目が現れ、なかから金色の瞳がちらちらと見え隠れするのだ。

 というか場合によっては『聖書』が数冊落ちてることすらある。


「あれでバレてないと思ってるとすれば、相当なアホだよな……」

「あはは、不敬だって言われるよ?」

「敬意も消え失せちまったよ」


 タナーと二人、少し呆れ混じりに笑ってしまう。


 当然ながら、宙空に裂け目を作れるのも、そこから覗く金色の瞳も一人しか心当たりがない。


 間違いなくだ。

 

 こそこそしているつもりらしいが、あまりの脇の甘さに少し心配になる。


「まあ特に何かしてくるわけでもねえし、いいんだけどよ」


 タナーはそこまで言って、何かに気づいたらしく声をあげた。


「あ!そういや、回収できた黒曜獣の肉って今日が最後って言ってたか?」

「ああ。一応火を通したり色々やって保たせたけど、量的にも衛生的にも限界かな。ムグの実があったからグラノでも――」


 と、明日以降の献立について説明を始めた瞬間。



「なんじゃと!!!!?????」



 俺達の眼の前に神がにゅっと顔を出した。


「うわあっ!?」

「うおおっ!!」


 可愛らしい顔立ちとはいえ、生首が浮いているように見える絵面はさすがに驚いてしまう。

 だが、狐耳の神はそんなことは気にもとめず俺の胸ぐらを掴む。

 手が震えているのは、必死につま先立ちしているからみたいだ……。


「あの美味しそうなやつ、もう終わりなのか!?妾まだ食べてないんじゃぞ!」

「い、いや、食べてないっていったって……!」

「おかしいじゃろ!!普通美味しそうなものって神に捧げるじゃろ!!なんか大地の恵み、とかいって並べたり拝んだりするもんじゃろ!?!

「お前からいうのかよ……」


 その様子にタナーが呆れたような声をあげる。

 確かに捧げ物という文化はあるが、まさか神ご本人から要求されるとは。

 

 俺達が呆れている様子などどこ吹く風。

 生首状態をやめ、ついに全身を見せた善神?は地団駄を踏んでいる。


「ずるいのじゃ!美味しそうな匂いをさせるだけさせておいて!妾も食べたいのじゃ!」

「自分で作ればいいんじゃ?」

「妾、あんな美味しそうに肉を焼いたりなんだりできないのじゃ!」

 

 彼女が倒したと思われる黒曜獣はどれも一撃で事切れていた。

 それだけの魔法を使えても肉が焼けないとは驚きである。


「じゃあお前普段何食ってたんだよ」

「その辺に落ちてる木の実じゃ」

「えぇ……」


 想像以上に酷そうな彼女の食生活に、俺は肩の力が抜けてしまう。


「なんだその眼は!木の実はいっぱい落ちてるから楽なんじゃ!」

「ま、まあこの間まで俺もペッシェでいいとは思ってたが……神も似たような思考だったとはな……」


 楽さを優先させる感じが、相変わらず神様らしくない。

 でも、愛嬌がある……というか。

 欲に正直なカグハという少女を、俺はどうにも嫌いになれそうになかった。


 そしてそれは多分タナーも同じ。

 呆れてはいるが、邪険にはしていない。


「カグハ、それなら明日から黒曜獣をとってきてもらえないかな。そしたら今日みたいなものなら作れるし、俺達も肉が食えて助かる」


 ずるいのじゃ!と連呼していたカグハはぴたりと動きをとめ、金色の瞳を輝かせた。


「ほんとか!!じゃあ、いますぐ取ってくるぞ!!まっておれ!」


 今の話は一つもしていなかったのだが、どうやら相当嬉しかったらしい。

 彼女はすごい速さで森の方へ走っていった。


 嵐のような神様がいなくなると。


「あいつ、ほんとに神なのか?」

「ううん……かなり怪しくなってきた」


 威厳とあまりに縁遠い神の姿に、俺達は笑い合うのであった。

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