始まりを始めようと決めた金曜日にて(恵4歳)
子どもほしいな。
その七文字を口にした直後。隣でこっちを見て目を瞬かせる相方の存在でようやく気づく。オレ、べらぼうに悪いタイミングで言い過ぎじゃね? と。
花ある金曜の夜。多忙だったお互い仕事が落ちついて無事定時に終わった。久しぶりにふたりでカレーを作った。おいしかった。ソファに並んで座って溜めていたドラマの録画を見て、満腹感もあってどこかうとうとし始めて。サスペンスドラマはクライマックスに入り犯人がわかる。犯人が涙ながらに辛い過去を吐露する。しんみりした音楽が流れ始める。こどもほしいな。オレが言った。諒太が目を瞬かせた。自分でも、なぜ今このときにその言葉を発したのかまるきり検討がつかない。だから「あのえーとその」とあからさまに発言者のオレが動揺するというなんともいえない状況になっていた。
「そのですね柿本諒太さん」
「なんですか柿本紘さん」
「子どもほしいって、なんか、変な言い方だよな」
自分で言っておいて? という顔を諒太がする。テレビドラマはスタッフロールが流れ始めている。一方俺は手持ち無沙汰な自分の両手を握っては離す。
「『ほしい』って言うと、物みたいな言い方みたいじゃん」
「……言いたいことはわかるが」
「でも実際気持ち的にはそうっていうか、だけどそうじゃないっていうか」
「頭を整理しながら話すから、お前はいつも言葉が曖昧になる」
「子どもがほしいって言うけどさ、でも、子どもだって大人になるわけじゃん。ずっと子どもじゃないじゃん」
よくわからんという顔をしながらも、諒太はオレの話を聞いてくれる。いつだってそうだ。オレの言葉や気持ちを汲み取り、理解してくれようとする。オレもこいつの気持ちを、きちんと理解してやりたいと思ってる。
ドラマは終わりコマーシャルが流れる。最近よく見る、赤ちゃんたちがたくさん出てくるやつだ。赤ちゃんたちは「あー」とか「うー」とかしか言わない。だけどその音の高さはみんな違う。それが連続して流れるから、まるで赤ちゃんたちが歌っているようなメロディに聞こえるのだ。それがひどくかわいくて綺麗で、オレはこのコマーシャルがたいそう好きである。そしてオレは、このコマーシャルを見るたび、ああこどもほしいな、と口に出さず思っていたわけで。
「でもだからオレはつまり、子どもがほしいとは思うけど、たとえばこどもとキャッチボールがしたいだとか抱っこしたいとか、そういうことだけがしたいわけではなく、いやあわよくばしたいけど、それが最優先事項ではなくて」
「うん」
「オレとお前のふたりでもいっぱい幸せだし、これからも幸せになる予定満々だけど、なんていうか」
「うん」
「オレたちに新しい家族ができて、一緒に育てて……育てるって言い方もなんか、上からな感じがしてアレなんだけど。……生きる。そう、一緒に生きるっていうのが、やりたい。オレたちだけでもいいけど、でも、もし叶うなら、一緒に生きる家族を迎えて、その子が大人になるのを見守りたい」
「……うん」
「そういう、新しい未来に繋がる、幸せの形がほしい」
「うん」
「……オレ、ちゃんと今日本語話せてる?」
「話せてない」
「じゃあ頷くなよお」
「でも、わかる」
諒太の手がオレの手を握る。左手薬指の指輪を、そっと撫でられる。
「言いたいことは、ちゃんと、わかる」
手を握り返す。何度も握った手。慣れた温度。心ぜんぶがつながっている。そんな錯覚が、錯覚じゃないと願わずにはいられない。
でも、と諒太が目を細める。
「なんでサスペンスドラマの終盤でそれを言うんだよ絶対そのタイミングではないだろ」
「いやそれはほんとごめんて」
「謝罪ではなく理由を求めている」
「ずっと言い出すタイミングを見計らってたけど勇気でなくてああでもやっぱ子どもほしいよなああああって思ってたら言ってた」
「結局子どもほしいって言い方するのかよ……」
「他にいい感じの言い回しが思いつかない」
「いい感じの……」
「なんかある?」
諒太が一考する。テレビはニュース番組に映っている。政治家の話。犯罪の話。動物園のパンダの話。ぼんやり眺めながら、握っている手をにぎにぎされている。答えが返ってきたのはかれこれ十分後だ。
「養子縁組をしたい」
「露骨だあ」
「実際、方法としてはそうなるだろ」
「……もしかしていろいろ調べてくれてたりする?」
なんとなく聞いてみたつもりだけど、露骨に隣の顔が固まった。あまりにわかりやすい。あまりに変わらないオレの好きな人。思わず吹き出すと、諒太はばつが悪そうに目を細める。「笑うなよ」「ごめんごめん」「笑うなって」「ああ、なんだ、一緒だったんだなあ」
オレたちはまだ想像できていない。新しい家族ができること。子どもを育てるということ。子どもと一緒に生きるということ。子どもが大人になるということ。その方法や難しさ。それこそまさか双子の姉弟が家族になってくれるなんて、今のオレたちが一ミリも想像できるはずない。
でも、ここで「きっと大丈夫」なんて思うのは無責任だ。そんな簡単な話じゃない。簡単にしちゃいけない。もっと考えて、悩んで、向き合わなきゃいけないことだ。
「だから頑張ろう」
「どこと『だから』がつながった?」
「頑張りたいよ、お前と」
一緒に幸せになるために。お前との幸せを増やすために。
あきらめたくないと決めたあの日から変わらない気持ち。それさえあれば、お前と一緒なら。きっと、大丈夫にできるから。
手を握る。握り返される。いつかもう片方の手で、誰かの小さな手を握る日が来るかもしれない。小さな子が大きくなって、俺の背も超えるかもしれない。一緒に酒を飲んでくれるかもしれない。そんな日が来たら、オレは幸せすぎて泣いてしまうかもしれないとオレは想像する。
柿本一家のたびたび変わった平凡な日々 笹川チエ @tie_sskw
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。柿本一家のたびたび変わった平凡な日々の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます