我が名はこしあんである(恵9歳)

 我が名は『こしあん』である。世界で最も優れた猫である。

 なぜそう断言できるかというと、我ほど猫らしい猫はいないと自負しているからである。人間が家にいない間は部屋の片隅まで散歩をし、ご飯を食べては昼寝をし、また散歩をしてはご飯を食べて眠る。人間が帰ってきた矢先には奴の膝に駆け出し、颯爽と飛び乗り、体を丸めて眠る。ときに「暑い」とどかされるときもあるが、それもまたなんと猫らしいことだろう。我は自分を褒めたたえることで大変忙しい。

 そしてこの家に住んでいる人間が、我の「んにゃあ」という鳴き方を好んでいることもしっかりと把握している。特に主人の一人で人間の女の子は、決まって「ん」から鳴き始めるのが好きらしい。我が「ん」と鳴いた時点で、人間はきゃっきゃと嬉しそうに笑う。猫として気まぐれに生きながら、人間の機嫌を損ねず、至極円満な生活を自ら保つ。なんとクレバーな猫であろう。人間たちは褒美として我を三時間は撫でまわすべきであるが、未だその褒美が完遂されたことはない。


 今日も今日とて人間が家から出ていった後、我は日課である散歩を行う。まずはリビング。次は玄関。次は風呂場にトイレ。更に人間たちの部屋にも入り、隅々まで歩いては座り。ぽんぽんと尻尾で床やタンスやベッドやらを叩く。猫として当然の行為であり、毎日欠かさないルーティーンである。

 一通りの散歩を終えると、我はリビングからベランダに続く窓のそばへ向かう。午後四時はほどよい日差しが入り込み、体を休めるにはもってこいの場所なのである。これも重要なルーティーン。世界で最も優れた猫として、昼寝をしないわけにはいかない。窓のそばで寝転がり、身体を丸め、いざ目を瞑ろうとしたそのときだった。

 ぺん、ぺんと。ベランダ側から、窓を叩く肉球の音。


「やいヘンテコ猫。なにノンキに寝てるんだ」


 最も優れた猫のチャームポイントがもう一つ。我は猫語と人間語のどちらも熟知しているのである。

 窓越しにいる彼は、お隣さんのタマちゃんである。『タマ』などと五十年以上も前から流行している名をつけられただけで自慢げに鼻を鳴らす猫ちゃんだ。いつものように我は窓のふちに前足をひっかけ、ぐいと押す。容易く窓は横に動いて開き、タマちゃんは当然のようにリビングへ入ってきた。


「我はヘンテコ猫ではない。『こしあん』という立派な名があるのだ」

「ふん、何を偉そうに。あいかわらず変な毛の色しやがって」

「我の名と同じこしあん色だ」


 どや、と胸を張ると、タマちゃんは「二本足で立とうとする猫ほど気障ったらしいものはない」と吐き捨てた。昼寝のときに後ろ足どころか前足もおっぴろげて眠るタマちゃんは、可愛いの分類に入るのだろうか。


「そんなところで寝てないで、外に行くぞ」

「断る」

「なんでいつも断るんだよ!」

「外に行くメリットを感じられない」

「めりっと?」

「どうしてタマちゃんは外に出ようとするんだ。キミの主人は、キミが勝手に窓から脱走するのを嫌がっていると聞いているぞ」

「だって家つまんないんだもん」

「テレビをつければいい。たいていは人間が喋ってくれる」

「人間の言葉わかんないし」

「我が教えてやると言っているじゃないか」

「あたしはアンタに外の楽しさを教えてやるって言ってるのに」


 にゃにゃ、と睨み合っても埒が明かない。というか、このやりとりは既に何十回も繰り返されているのだ。毎日のようにタマちゃんはこちらにやってきて、我を外の世界へ誘おうとする。よほど外がお気に入りで、よほど我がお気に入りらしい。


「だが、我がいなくなれば主人はたいそう困ってしまう。それはキミも同じだろう?」

「あたしは人間があたふたとあたしを心配してくれるのが好き」

「すばらしく猫らしい猫ちゃんだ」

「ふふん」

「それに、」

「それに?」

「我はすこぶる可愛いから、他の人間に誘拐されかねない」

「自意識過剰!」


 ぷぷすー、とタマちゃんは鼻で笑う。我は首を小さく傾げる。


「ただの事実だろう。我もタマちゃんも、人間を悩殺してしまうほど可愛いのだから」

「は?」

「ん?」

「今なんて」

「我もタマちゃんも人間を悩殺してしまうほど可愛い」

「『我も』を抜いて」

「タマちゃんも人間を悩殺してしまうほど可愛い」


 にゃ、とタマちゃんが言葉に詰まる。くねくねと身体をよじらせる。「にゃーにをまたそんなバカなことを、」

 まるでその言葉を遮るように、がちゃん、と音がした。玄関の扉が開く音だ。人間が入ったり出て行ったりする音だ。背筋を伸ばす。タマちゃんはびくりと体を震わせて、尻尾をピーンと伸ばす。


「あー、また勝手にタマちゃん連れ込んでる」


 人間の声。タマちゃんと我が振り返ると、リビングに入ってきた人間の男の子がひとり。正真正銘、我が主人の一人である。見た目は人間年齢で約十二歳。猫で換算すればすっかりお爺ちゃんだが、人間にとってはまだまだチビっ子に値するらしい。


「仲が良いのはわかるけど、お隣さんがまた家出したって心配しちゃうよ」

「にゃっ」

「んにゃあ」


 許してやってくれ彼も悪気があるわけじゃない。という我の言葉を無視して人間はタマちゃんを慣れた手つきで持ち上げた。タマちゃんは逃げようとしたけれど、すっぽり人間の腕の中に収まってしまう。そして「ばいばい」と無情にもベランダに優しく置いて、窓をバタリと閉めてしまった。にゃああ、と窓越しに寂しそうな声でタマちゃんが鳴く。


「ごめんね。お隣さんに今度タマちゃんが来たら、確固たる無情さで追い返してくれって言われちゃったんだ」


 早くお家にお帰り、と人間が手を振ると、タマちゃんはぐぬぬと我と人間を睨み付けてからお隣へ戻っていった。なんだかんだで、人間にはそこそこ素直なタマちゃんなのである。

 人間は我の隣にしゃがみこむと、最初は我の頭を撫でた。それからうなじ、背中、尻尾を次々と撫でてくる。


「ほんとにこしあんはタマちゃんがお気に入りなんだね」

「んにゃ」

「もうすぐで姉さんとパパも帰ってくるからね」

「んにゃ」

「帰ってきたら、一目散に姉さんの膝の上に乗ってあげてね」

「んんにゃ」


 この男の子の名前は『ケイ』という。我が二番目に知った人間の名前である。一番目に知ったのは、今ケイが『姉さん』と呼んだ人間の名前だ。

 そこで、ケイとは違う人間もリビングにやってくる。『お父さん』と呼ばれる大人の人間だ。どうやらケイと二人で帰ってきたらしい。


「なにしてるんだ?」

「こしあんを撫でまわしてあげてる」

「えー、ケイだけずるい」


 オレもオレも、とお父さんも我を撫でまわし始める。「んにゃああ」と鳴けば、やはり嬉しそうにお父さんはケラケラと笑う。「かわいいなあ、こしあんは」と当然のことを言うので、「んにゃ」と肯定しておく。


「……なんかたまに、こいつは人間の言葉がわかっているんじゃないかと思うよオレは」

「わかるよ?」

「えっ」

「僕お手製の最新猫型お掃除AIロボットだからね。人間の言葉ぐらいヘッチャラに理解できる」

「初耳ですけど」

「あとね、フリーで配布されてた猫語の翻訳ソフトをインストールしてる。こしあんの中で、タマちゃんの言葉は英語に翻訳されて、そこから更に日本語に翻訳して」

「マジです?」

「マジです」

「じゃあ、こしあんは人間語をしゃべれる? お隣のタマちゃんが何喋ってるか教えてくれる?」

「しゃべれないよ」

「なんでえ」

「猫だからね」

「そうかあ」


 残念そうに肩を落としたあと、お父さんはふと気づいたようにケイを見る。


「……もしかしてケイも猫語を理解している?」

「どうして?」

「人型AIロボットだから」

「んにゃー」

「うわ誤魔化したコイツめ」


 お父さんは我から手を離し、ケイの頭を撫でまわし始めてしまう。こうなっては、いくら我が本家の「んにゃー」と鳴こうと効果はない。残念ながらこの世のお父さんとパパというものは、我を撫でまわすことと同じくらい自分の子ども撫でることが好きらしい。

 またがちゃんと音がする。人間たちが玄関へ振り返る。


「あ、姉さんたち帰ってきた」

「案外早かったな。もう少し時間かかると思ったけど」

「姉さんはポテトチップスの選別、パパは和菓子の選別にね」

「どうせまたいつの饅頭だろ、こしあんの」


 ケイは我に視線を戻すと、ぺこりと頭を下げてきた。鼻先を上げる。主人を見上げる。


「お仕事お願いします、こしあん」


 んにゃ、と返事をしてやる。ぱたぱたとリビングへ走ってくる人間に足音が聞こえる。


 我が名は『こしあん』である。世界で最も優れた猫である。

 なぜそう断言できるかというと、我ほど猫という仕事を全うしている猫はいないからである。こまめに部屋を掃除し、汚れを舐め、埃を食べ、日差しを浴びて眠れば充電完了。人間が帰ってくれば一通り撫でさせてやり膝にも乗ってやる。こしあん、と呼ばれれば、んにゃあ、と十回中七回は返事をしてやる。

 掃除もできれば人間も笑顔にすることもできる存在として生み出された、とてつもなくすばらしい猫なのである。


「ただいまー、こしあん」


 頭を撫でさせてやる。膝に乗ってやる。んにゃ、と我は鳴いてやる。

 人間の笑顔を確認してから、我は目を閉じるのであった。

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