はじめては失恋とともに(恵7歳)

 メグミちゃんとケイくんを正式な俺たちの子どもとして我が家に迎え入れてまさか十日後に「男にフラれた」と報告されることになると世界中の誰が想像できるだろう。しかもメグミちゃんはぐずぐずに涙を流し、ぐしゅぐしゅに鼻水を吸っては出てを繰り返しながら帰ってきた。オレの中でそれはもう雷が百発撃たれたものだ。同じソファでオレの隣に座っていた諒太も同様に違いない。ひょっとして今日で世界が終わるのかと疑ってしまうくらいの衝撃だ。

 すかさずメグミちゃんに駆け寄りしゃがんで目線を合わせる。ぐしゃぐしゃの目がオレを見るだけで胸が張り裂けそうなくらい辛くなる。


「めめめめメグミちゃんフラれたって誰にどこの男にオレが今からぶん殴りにいくから」

「……メグミちゃん、ひとまず涙と鼻水を」


 オレの怒涛の焦りを見て逆に冷静になったのか、諒太はオレの隣にしゃがみティッシュをメグミちゃんの顔に持っていった。ぐしゃぐしゃの涙をふき、ぐしゅぐしゅの鼻水をぬぐう。そんな光景をケイくんは猫型お掃除ロボットを製作する手を止めてきょとんと眺めている。

 どれだけふいてもメグミちゃんの涙は止まらない。ぼろぼろと目からこぼれては、くしゃくしゃに頬を濡らす。


「『ぼくにはあいする人がいるから、キミとはケッコンできない』って言われた」

「誰だメグミちゃんを選ばない世にも不貞な輩は」

「カヤマくん」

「よし今から香山くんぶちのめしてくる」

「待て待て待て待て」


 立ち上がろうとするオレの肩を諒太が手で押さえる。ケイくんも「どうどう」と言わんばかりにオレのシャツを掴んでいる。


「なんで止めるんだよ諒太とケイくん!」

「この場合むしろオッケーされた方が大変だろうが向こう既婚者なんだから」

「諒太さんの言う通りだよ紘さん」


 ごもっともな意見にオレはぐぬぬと唸る。しかしメグミちゃんの心を盗んだ罪は裁かなければならない、いや、裁かせてほしいと思ってしまう親心は諒太も同じはず。

 オレと諒太には、香山くんと広瀬くんという友人がいる。二人は大変仲の良い恋人……今や夫婦なわけだけど、お金を溜めては海外へ旅に出て、お金が尽きたら日本に戻って来て金を溜めて海外へ、というのを繰り返しているファンキーな友人だ。メグミちゃんとケイくんが彼らに出会ったのは五日前。二人なら絶対メグミちゃんとケイくんを可愛がってくれるだろうと思い引き合わせ、見事予感は的中し、すっかり仲良くなって良かった良かったと思っていたのに。まさかメグミちゃんがこのような目に遭わされる結果となってしまうとは。


「くそう香山くんの野郎この野郎」

「紘さんカヤマくんの悪口言っちゃやだ」

「くそう!」

「堂々と悔しがるな」

「オレはメグミちゃんとケイくんに『将来はお父さんと結婚する』と言わせるのが第一の目標だったんだよわかるだろ」

「わかるない」

「下手な嘘つこうとすんな」

「AIと人間の結婚は法律的にも倫理的にもまだ難しいんじゃないかと思うよ僕は」


 いつのまにかケイくんがオレの隣に来ていた。メグミちゃんの顔を覗き込んで頭をぽんぽんと撫でる。すると涙がぴたりと止まる。ぐう、とメグミちゃんのお腹が鳴る。


「……おなかすいた」

「泣くのは体力を消耗するらしいから」


 涙を流す機能を使用したことがないと言っていたケイくんが呟く。「それより姉さん」「それよりじゃないよケイわたしは本気でプロポーズを」「例の件は?」

 例の件? オレと諒太は顔を見合わせる。どうやら諒太も心当たりはないらしく、鏡のように目を瞬かせる。「あっ」と思い出したようにメグミちゃんは声を上げる。


「カヤマくんにプロポーズする前に相談してたの忘れてた」

「え」


 ケイくんの耳元に口を近づけ、メグミちゃんがこそこそと何かを話している。そしてふたりはまっすぐにオレを見る。声が重なる。


「お父さん」


 それから諒太を見て、また声が重なって。


「パパ」


 息が止まる。時が止まる。そんな父親ふたりの顔を、子どもたちは覗き込む。


「諒太さんが『パパ』で紘さんが『お父さん』なのはケイと決めたんだけど、呼ぶタイミングに悩んじゃって。だから、カヤマくんとヒロセくんというダイサンシャの意見が聞きたくて」

「広瀬くんがいる場でプロポーズしたのか」

「うばうなら、正々堂々とうばいたかったから」

「漢気が溢れすぎだなあ……」

「それで、カヤマくんもヒロセくんも、『今日呼んであげたら絶対泣くほど喜ぶよ』って」


 でも、とメグミちゃんは首を傾げる。「ふたりとも、ちっとも泣かないのね。カヤマくんもヒロセくんも嘘つきだ」

 子どもたちを抱きしめる。その上から諒太に抱きしめられる。「んぐえ」と苦しそうな子どもたちの声が聞こえる。ぎゅううううって、いっぱい抱きしめて、抱きしめられてから、ゆっくり子どもたちを離す。


「……よし、カレー作るか」

「先週食べたばっかりだろなんでだよ」

「メグミが人生で初めて失恋した記念日ということで」


 メグミとケイと諒太が、立ち上がったオレを見上げる。瞬きふたつ分みつめてから、メグミはオレのズボンの裾を掴んだ。真似をするように、ケイももう片方の足の方を掴む。


「わたし手伝う」

「僕も」

「よしよし」


 メグミとケイの頭を撫でて、ついでに諒太の頭も撫でておく。「いやなんでだよ」という突っ込みは無視。


「ケイは初恋の経験ある?」

「初恋という感情なのかはわからないけれど、今思い浮かんだのはお母さん」

「なるほどなあ」

「だから失恋したも同様です」

「じゃあ四人とも初恋は失恋だな」


 そうなの? とメグミとケイが諒太を見る。いたたまれなさそうに諒太は目を細める。こほんと咳をして、それから、め、と言い淀む。


「メグミ」

「はい」

「ケイ」

「はい」


 諒太がメグミとケイの頭を撫でる。メグミはくすぐったそうに目をつむって、ケイは目標達成と言わんばかりに鼻を高くする。

 いつか笑って話せる日が来るだろうか。今日この日、メグミが傷つき泣いてしまったこと。ケイたちの最初のお母さんとお父さんのこと。オレと諒太の淡い初恋。本当は、オレも諒太も大声で泣き出したいくらい心の中ではしゃいでいること。

 いつかの未来を明確に想像できるほど、オレはまだきちんとした父親になれていない。


「お父さん」

「パパ」


 子どもたちの手を握る。小さな小さな手。

 初めて出会ったときより、メグミの手は大きくなっている。ケイの手は変わらない。

 父親になって十日目。オレと諒太は、この日のことを決して忘れないことだけは知っている。

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