76. 花束に隠されたメッセージ
突然の告白に頭が回らない。
(……え、やばい、何これ。白薔薇の貴公子に口説かれている?……なんでこんなことになっているの。意味がわからない)
ジークフリートはイザベルの顔に手を伸ばし、赤く染まる頬を優しく撫でる。そのうえ、愛おしむような視線を向けられ、呼吸がさらに苦しくなる。
混乱が深まる中、イザベルは必死に言葉を探す。
「で、でも、わたくしたちの間に恋愛感情はなかったはずですわ」
「そうだな。君は、僕の気持ちには微塵も気づいていなかった。だから隠していた。イサベルが僕を見てくれるまで、ずっと待つつもりだった」
「…………」
「だが、君がクラウドを目で追うようになって自分の気持ちを再認識した。君が頬を染める姿に胸が高鳴った。クラウドに軽々と抱き上げられ、恥ずかしげに潤む瞳を見て、その相手が自分だったらいいのにと嫉妬した」
白薔薇ルートに入ったはずなのに、フローリアはこの恋を諦めたというのか。だから今、こんな事態に陥っているということなのか。
(そんなまさか……あり得ないわ)
異常事態だ。これはもはや、天変地異の前触れかもしれない。きっと、そうに違いない。そうでなければ、理由がつかない。
(攻略ルートはどうなったの。エンデイングは……どうなるの?)
未知の恐怖に、イザベルの顔から血の気が引く。
ここは乙女ゲームの世界。攻略キャラとの駆け引き、選択肢、イベントの数々。
だというのに、何度もプレイしたからこそ知り得る未来が今、変わろうとしている。
(わたくしが、軌道修正しなくては……)
悪役令嬢が幸せになるなど、あり得ない。ヒロインの幸せを奪うことは、フローリアを悲しませることと同義だ。そんな真似はできない。
たとえ、両思いだったとしても、自分の幸せは望んではならない。
残酷な現実を前に胸が苦しくなったが、イザベルは最後の駄目押しにかかる。
「フローリア様の噂のことを気にして、いろいろ心配していたじゃないですか」
「……ああ、あれはフローリアというより、君の悪評を気にしていたんだ」
「え……?」
思ってもみなかった返事に首をひねると、ジークフリートは目をそらさずに答える。
「外部入学生の風当たりが強いのは知っていたが、結果を出せば、そのうち認められるだろうと傍観していた。ただ、僕の婚約者が嫌がらせの首謀者という、根も葉もない噂が流れていては、見過ごせないだろう」
「その…………わたくしのために?」
「当然だ。イザベルが、本当は気が弱くて優しい女性だということは、僕が一番知っている」
誇らしげに言われ、恥ずかしさより嬉しさが優った。自分を理解してくれる人がいることで救われたような心地になる。
「……でも、噂が本当だったら、どうするつもりだったんですか?」
「イザベル。君がもし、相手をおとしめるようなことしたとき、そのことをまったく後悔しないと誓えるか」
頭の中で想像し、そのときの自分は果たしてどう思うか、シミュレーションしてみる。
「……後悔するでしょうね、とても」
「そんな君が、悪質な嫌がらせを主導しているわけがない」
「どうして……そこまで信じてくれるのですか?」
まるで疑うという選択肢は最初から考慮していないようだ。けれど、そこまで信じてもらう理由が思いつかない。自分と彼は形式だけの婚約者だった。そのはずだった。
ジークフリートは困ったような笑みを浮かべた。
「君が好きだからだよ、イザベル」
聞き違いだと思った。
(……好き……?)
その意味を噛み砕き、イザベルは首を横に振る。
「で……ですが、わたし……わたくしには寝耳に水ですし。いきなり言われても、すぐには信じられません」
「君はそう言うが、意思表示はちゃんとしていた」
「どういう……ことです?」
言葉の続きを促すと、ジークフリートは唇を引き結んだ。目にかかったイザベルの前髪を優しく手で払い、穏やかな眼差しに射止められる。
「薔薇の花言葉は知っているか?」
「え、ええ」
「ならば、本数によって意味が変わるのも知っているだろう。一本の薔薇は『一目ぼれ』、三本の薔薇は『愛しています』、十一本の薔薇は『最愛』だ」
「…………」
固まったイザベルを見て、ジークフリートは嘆息する。
「もしかしなくとも、本数の意味までは知らなかったのか」
「その、花言葉は色で覚えていましたから」
「だとすると、僕の気持ちは伝わっていなかったのだな。やはり、言葉は口にしないと伝わらないか」
乙女ゲームのシナリオで登場した花言葉は、どれも色にちなんだものだった。花言葉の知識はゲームで得たものがすべてだ。まさか、本数で意味が異なるなど想像だにしていない。
(プロポーズに薔薇が使われる意味が、ようやく、わかった気がする……)
ドラマで使われる花束いっぱいの薔薇には、複数の意味がかけ合わされていたのだ。ただキザなだけかと思っていたが、あの赤い薔薇にはストレートなメッセージがこめられていたのだろう。胸の内を明かす、代弁者として。
「君は自覚がないようだが、あの笑顔は反則だ。醜い嫉妬心すら簡単に溶かしてしまうほど、愛くるしい。君以外は見えない。僕が妻に望むのはイザベルだけだ」
まるでトドメとばかりに、愛の言葉が容赦なしに降り注ぐ。
ゲーム画面越しと面と向かって言われるのとでは、雲泥の差がある。乙女の心が今、グラグラに揺れているのがわかる。
(だけど……それでも。ジークとは結婚はできない)
こんなにも一途に想ってくれて心から嬉しい。この人と一生を添い遂げられたらと思う。しかし、イザベルがその未来を選べば、少なくとも傷つく人が二人いる。
魔女はいた。彼女が煎じた薬の効能も確かだ。それが証明された以上、魔女の予知夢を軽視することはできない。
もし予知夢のとおりに現実で起こるなら、このまま結婚する道は選べない。
「ジーク……わたくしたちは結ばれてはいけないのです。結婚相手はどうか、別の女性を選んでくださいませ」
「どうして、そこまでかたくなに拒むのか、教えてほしい。それを聞かずに納得はできない。理由を教えてくれないのなら、僕は何度だって君に求婚する」
真摯な声音に、うつむいていた顔を上げる。
「それが突拍子もない理由でも……聞いてくださるのですか?」
「もちろん。君の話なら、どんな話だって聞くよ」
安心させるように、ジークフリートが微笑む。
(これが惚れた弱みというやつかしら。……こんな愛おしそうに見つめられて、隠し続けるなんて無理なんだけど……)
すでに白旗状態だ。彼に秘密にしていた話を明かすなら今しかない。
荒唐無稽だと信じてくれない可能性もある。だけど、ずっと内緒にしておくことは、もうできない。
イザベルは覚悟を決めて、震える唇を開いた。
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