77. 魔女の秘薬を求めて

 すべてを話し終えると、ジークフリートは思いつめたように目を伏せ、しばらく無言が続いた。

 静寂の中、外で鳥が羽ばたく音がやけに大きく響く。窓を見やると、明るかった空は宵闇に包まれていた。

 ふと薄く息を吐く気配に、意識を部屋の中へ戻す。

 ジークフリートは困ったように肩をすくめた。


「魔女の予知夢……か。リシャールが動くとなると、それは現実に起こりうる未来なのだろうな」

「わたくしたちが婚約破棄しなければ、回避はできないようです」


 絶望とともに述べると、ジークフリートは顎に手をかけて、慎重に言葉を選ぶように口を開く。


「それなら妙案がある。ただし、これには僕とイザベル、互いに多大なリスクが必要だ。しかし賭けに勝つにはこのぐらいしなくては、彼は納得しないだろう。……僕は自分の命の引き換えにしてでも、成し遂げたい思いがある」

「それは……なんですか?」

「君との結婚だ」


 さも当然とばかりに断言され、イザベルは一瞬呆けてしまった。


「……お気持ちは嬉しいですが、ジークが命を散らしてしまっては、本末転倒だと思います」

「そのとおりだ。だから僕は死なない。君も死なせないし、悲しませることはしない。だが、賭けに負ければ死ぬだろう。君はどうする?」


 賭けに乗る気はあるか、それをジークフリートは問いかけている。


(きっと何か勝算があるんだわ。でも、それにはお互いの命という大きなリスクがつく)


 頭脳明晰なジークのことだ。そうそう負けるはずがない。しかし、もしものことがある。

 不測の事態になったとき、彼の命はそこで燃え尽きることになる。

 この賭けは、そんな恐ろしい事態さえも招くかもしれない。危険な綱渡りを、愛する相手にさせていいのだろうか。


(けれど、ここで諦めたら、ジークは別の女性と結婚する……)


 せっかく晴れて両思いになれたのに、残酷な運命に引き裂かれてしまうのは嫌だ。

 そうなれば、きっと自分は死ぬまで後悔するだろう。あのときこうしていれば、と選べなかった未来をずっと心の中で思い描いていく。

 もしかしたら、ジークフリートも同じ思いなのかもしれない。だとすれば、彼にまで後悔の念を抱かせるわけにはいかない。

 ジークフリートには幸せになってもらわなければ困る。


「いいでしょう、その賭けに乗りましょう」


 たとえ、命の灯火が消えることになろうとも、もうこの人のそばを離れない。


      *


 翌日の放課後。オリヴィル公爵家の車に乗り込み、続いてジークフリートが腰を下ろす。

 静かに車が動き出したところで、ジークフリートが腕を組む。そのとき、きらりと反射するものが目についた。

 吸い寄せられるように見ると、彼の親指には、お昼のサロンにはなかったはずの指輪がはまっていた。


「……大きな宝石ですわね」

「ああ、これか。我が家に伝わる古い指輪なんだ。魔女に会いに行くから、おまじない代わりに持ってきた」


 初めて見る銀の指輪は、ゆるやかなウェーブ状になっており、少々太めのデザインだ。中央にはめ込まれた宝石は大ぶりで、彼の瞳と同じ空色だ。だが角度によって虹色にも見える。


(なんて不思議な色……まるで魔法みたい)


 きらきらとした輝きから視線をそらし、ダークブラウンの瞳を見つめる。


「魔除けか何かですか?」

「……まあ、そのようなものだ」


 曖昧に頷くと、ジークフリートは何かに気づいたように息を詰めた。


「イザベルも指輪が欲しいのか?」

「え? ああ、いえ。そういうつもりで見ていたわけではなくて。……いえ、欲しくないといえば嘘になりますけれど」


 何を言っているんだ。聞かれてもいないのに、つい口から出てしまった言葉を恥じるように口元を押さえる。


「これはまだ内緒にしておきたかったんだが……近い将来、イザベルだけの指輪を贈るつもりでいる」

「…………た、楽しみにしておきますね」


 庶民街は道幅が狭いため、車での通行は不可能だ。中央広場の外れで車から降り、イザベルが先導して歩く。

 しばらく歩くと、記憶に新しい建物が見えてきた。


「ジーク、目的の店はあちらです」

「……ずいぶんと寂れた町並みの中にあるんだな。王都に引っ越してきたというから、表通りで商売をしているのかと思った」

「リスクを最小限にするため、できるだけ人の目は避けたいのかもしれませんね」


 外の階段を上り、ドアの取っ手を引く。

 ドアベルが奏でる音が店内に響き、イザベルは目を瞬いた。

 前回は閉まっていたはずのカーテンは全開で、外の光が差し込んでいる。換気だろうか、窓も開いているらしく、白いレースのカーテンがふわりふわりと揺れる。


(今日は明るいのね……)


 まるで別の店のようだ。ほの暗かった店内はよく見渡すことができ、棚に陳列している商品も判別しやすい。先客はおらず、閑散としている。


「不思議な薬が並んでいるのかと想像していたが、割りと普通だな」

「そうですね。値札も低価格になっていますし、庶民向けのお店なのでしょう」

「こっちには頭痛薬や風邪薬も売っているな。雑貨店かと思っていたが、薬師としてもやっているようだな」


 雑談をしていると、奥から物音がして薄絹のカーテンがめくられる。


「いらっしゃい。……なんだ、あんたか。お代なら、この前のメイドからもらっているよ」

「今日は別件ですわ。わたくしたち、特別な薬を依頼しに来ましたの」

「……面倒な話のようだね。ひとまず奥の部屋で聞こうか」


 やれやれと腰を叩きながら、魔女がまた奥に引っ込む。

 その背中を追うようにカーテンをめくると、ツンと鼻孔を刺激する匂いに顔をしかめる。


「ああ、すまないね。調合中だったんだ」

「……調合はよくされるのですか?」

「そうだね。薬の調合は魔女の得意分野だからね」


 魔女はほとんどを魔法に頼っているのかと思っていたが、違うらしい。

 作業台にフラスコやビーカーが並べられ、青や赤紫の色の液体が入っている。すり鉢の中には薬草が細かくすりつぶされており、濃い緑の匂いがした。


「ご覧のとおり、今は取り込んでてお茶も出せないが、まあ座ってくれ」

「…………」


 椅子は二脚しかない。奥の椅子に魔女が腰を下ろし、残る椅子は一つ。

 どちらが座るのか視線で問いかけると、ジークフリートは椅子の横に立つことを選び、仕方なくイザベルは手前の椅子に腰かける。


「さて、用件を聞こうか。特別な薬とか言っていたが、何を作らせる気だい?」


 腕を組んで警戒する魔女の問いに答えず、イザベルは質問を返す。


「その前に、魔女殿はリシャールをご存じですよね?」

「……顧客に関することは何も教えられないよ」

「彼はわたくしの専属執事でありながら、主人に宣戦布告をしてきました。時には婚約破棄を迫り、数々の妨害をしてきました」


 今までのことを端的に語ると、魔女は胡乱げな瞳を向けた。


「仮にそうだとして、私には関係ない話だろう」

「いいえ。リシャールは魔女の予知夢を変えるため、と言っていました。このままわたくしがジークと結婚すると、将来、魔女狩りが行われるだろうと」

「…………本当にそう言ったのかい?」

「お疑いになりますか?」


 イザベルが尋ねると、魔女は数瞬の後に、いや、と小さく否定した。

 それから椅子に深く腰かけ、戸惑いを息とともに吐き出す。


「驚いたね。リシャールの他に予知夢を信じる人間がいるなんて」

「……わたくしたちは、その予知夢をひっくり返したいのです。決められた未来ではなく、自分でつかみ取った未来を選びたい。あなたには、そのために協力してほしいのです」

「魔女に何をお願いする気だい?」


 訝しむ反応が返ってきて、イザベルはジークフリートに視線で合図する。彼は心得たというように、胸元から小さく折った羊皮紙を出す。


「これを作っていただきたい」


 要望を書いたメモを机の上に滑らすと、魔女は無言でたたんだ紙を開く。

 文字を目で追い、青い瞳がすがめられる。


「作るものはこれで本当に間違いないか?」


 詰問するような口調に戸惑っていると、ジークフリートが頷く。


「無論だ。僕たちは、その覚悟でここまでやって来た。報酬は言い値で買い取ろう。これはあなたにしかできないことだ。どうか頼みたい」

「……わたくしからもお願いいたします」


 魔女は口を閉ざしたまま、イザベルたちを見据えている。

 このままでは引き受けてもらえない。そう悟り、自分の考えを伝えるべく口を開く。


「リシャールは一見、器用だけど、本当は不器用な子なの。あの子は、わたくしにとって弟のような存在。ずっと苦しんでいる彼を救いたいの!」

「……あくまでリシャールのためと申すか……まあよい。貴殿らは魔女の客人として、報酬分は働こう。完成するのは次の満月の晩になる。翌日、ここに来るがいい」

「ありがとうございます!」


 用事が済んだら長居は無用だろう、と魔女に追い立てるようにされ、そのまま店を後にする。


(あとは魔女に任せるしかない……)


 ジークフリートを見やると、彼も閉まったドアの向こうを気にしていた。だがイザベルの視線に気づいたようで、ふと目が合う。


「僕たちはできることをやった。あとはリシャールの説得だけだな」

「……納得してもらえるでしょうか」

「そのために魔女に依頼をしたんだ。きっと大丈夫だ。僕がついている」

「……はい……」


 彼の手に自分の手を重ね合わせ、来た道を戻る。安心させるようにぎゅっと握られた手は温かく、不安が小さくなっていくのを感じた。

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