75. さあ、誤解を解きましょう
「僕が贈った薔薇、飾ってくれたのだな」
「……せっかくきれいに咲いているのに、捨てるなんて真似はできませんから」
「君ならそう言うと思っていた。エルライン家の者は、植物を大事にする傾向にあるからな。それは使用人にも言えることだが」
イザベルは、応接室に招き入れた婚約者を探るような目で見つめる。
その視線に気づいたのか、ジークフリートは長椅子に腰かけ、すぐ横に座るように手で示す。
「立ち話もなんだ。座って話をしよう」
「…………」
「僕の横に座るのは嫌か?」
ジークフリートと長椅子を見比べていたイザベルは、観念したように彼の横に腰を下ろした。
(別に嫌っているわけじゃないもの……隣に座ることぐらい、いいわよね?)
心の中で、自分自身に言い訳を取り繕っていると、ジークフリートは真顔のまま切り出した。
「あれから考えたんだが、君との婚約は続けようと思う」
「なっ……どうしてですか」
「君は僕のことを頼りになる友人と言ったが、その言葉には偽りがあるんじゃないかと思ってね」
含みのある言い方に、つい焦りが顔に出てしまった。
それがいけなかったのだろう。ジークフリートは納得したように言葉を続けた。
「僕たちは付き合いが長い。だから直接言葉にしなくても、なんとなくわかることもある。君はフローリアとのことを誤解しているようだ」
疑問形ではなく肯定された。自分の考えを全否定されているようで、ついムキになって言い返す。
「薔薇の園遊会があった日、薔薇の花束を渡していたではありませんか。わたくしには一輪だけだったのに」
「あれはフローリアの母君に贈る花束だ。母の誕生日が近いからと、この白い薔薇が欲しいと言われたから用意したまでだ」
「…………」
「誤解は解けただろうか」
なんということか。なんと紛らわしい。
口調から察するに、ジークがフローリアに特別な想いを抱いている節はなさそうだ。
いや、そもそもあれは大事なイベントフラグだったはず。ともすれば、いつのまにか恋愛フラグが折れたということなのか。
(一体どういうこと? イベントはちゃんと起きていたはずなのに……。フローリア様のことを好きになっていないなんて、そんなことってある?)
沈黙を貫くイザベルを見て、ジークフリートは何か気づいたように声のトーンが変わる。
「イザベルも白い花束が欲しかったのか? ならすぐに用意させよう」
「……いえ、それはまたの機会で結構です。それより、学園内の東屋で密会なさっていたのは、ただならぬ事情があったのではないのですか。仲睦まじく寄り添っているようにお見受けしましたけれど」
そう、あれはまるで恋人のようだった。
婚約者がいる身にもかかわらず、別の女性に恋をしてしまった。秘めた恋心を抑えきれずに彼女を抱きしめ……いや、別に抱きしめてはいなかったかもしれない。
前世からの妄想癖がつい出てしまったが、ともかく、二人が人目を忍んで会っていたのは事実だ。
だがジークフリートは恥ずかしいことは何もないと言わんばかりに、淡々と答える。
「密会ではないが、東屋で会ったことは一度だけある。しかし、ただならぬ事情というか、君のことを相談していた」
「わたくしですか?」
話の先がわからず、小首を傾げる。
ジークフリートは額に手を当て、どこか遠くを見ながら口を開く。
「君が婚約者にまったく興味を示さず、クラウドにご執心のようだったからな。彼の幼なじみでもあるフローリアに恋の相談に乗ってもらっていた。誰かに見られるとお互い困るから、内密に呼び出すことになったが」
「はあ、恋の相談ですか……なるほど……」
「イザベル。君の無頓着ぶりには参るよ。君の話をしているというのに」
ため息とともに言われ、その言葉を反芻した。
(わたくしの話? ジークは恋の相談をしていたのよね……恋……恋!?)
ジークの恋の相手は婚約者に興味を示さず、クラウドに夢中だった。それはつまり、他ならぬイザベルのことだ。
「ご、ご冗談を……。現に、舞踏会に向けて、彼女に個人レッスンをしていたではありませんか。わざわざ公爵令息が自ら手ほどきをするなんて、好き以外に何の理由があるというのです?」
個人レッスンのイベントは、ゲームのシナリオにはなかった。彼とて暇ではない。限られた時間の中で、レッスンをするのは大変だったはずだ。
ジークフリートは記憶を思い起こしているのか、少しうつむく。
「……ああ、あれか。レッスンを申し出たのは、学園で練習している姿を偶然見たからだ。指導者がおらず、自己流の礼儀作法は荒削りで見ていられなかった。彼女が愚弄されることは、友人であるイザベルを愚弄すること。君を守るために、僕はフローリアにレッスンを提案した」
すらすらと答える様子からは、嘘を言っている感じはしない。
これは一体、どういうことだ。
イザベルはのろのろと片手を挙げ、次なる質問を繰り出す。
「待ってください。星祭りが終わるまで、フローリア様の警護をなさっていたではありませんか。特別な関係ならいざ知らず、ただの友人にそんな必要はないでしょう」
前代未聞の事件があったとはいえ、公爵家が警護する必要はなかったはずだ。
それを引き合いに出すと、ジークフリートは逡巡するようにイザベルを見つめた後、いささか低い声で答える。
「フローリアの身を守ることは、イザベルを守ることにつながるからだ」
「……どういうことです?」
「君はフローリアのことを特別な存在だと思っているだろう。だからこそ、彼女が誘拐されたときも、いてもたってもいられなくなって、屋敷を抜け出した。違うか?」
詰問調で問われ、簡単にはぐらかせないことを悟る。
「違い……ません」
「そうならないように、伯爵家で目を光らせるつもりだった。しかし、気づいたときには君の姿はすでになかった。結果として二人とも無事だったからよかったが、一歩間違えればどうなっていたか、君は本当に考えたことがあるのか」
これは確実に責められている。しかも、かなりお怒りのようだ。
「も、申し訳ございません。その節はご心配をおかけしました」
「あんな思いはもうたくさんだ。フローリアに警護をつけることは、おかしいことだろうか?」
いいえ、正しいと思います。イザベルは心の中で白旗を揚げる。
「……どうして……そこまでして……」
「友人を傷つけられて、イザベルが悲しむ姿は見たくないからな」
「……っ」
「すぐには信じられないかもしれないが、これが真実だ。どう言葉を尽くせば、この気持ちが伝わる?」
まっすぐな言葉が届いて、イザベルは泣きたくなった。
予想外の理由が判明して頭はパンク寸前なのに、ジークフリートは潤んだような瞳で見つめてくる。
泣きたいのはこっちだというのに、自分が悪いことをしている気分になって、婚約者の目を直視できない。
「で、ですが! 婚約は親同士が決めた形式だけの関係ですし、わたくしたちはどの道、結婚できないのですから」
「それはどういうことだ?」
「…………あ」
「結婚できない? したくないのではなく、できない? 何か他に特別な事情があるということか」
ジークフリートは厳しい表情で腕を組む。
失言した以上、もう言い逃れはできない。とはいうものの、この場合はなんて言えばいいのだろうか。いきなり、魔女云々の話題を出すわけにもいかないだろうし。
当たり障りのない言い訳を探し、とりあえず神妙な顔を作ってごまかす。
「……ジークはフローリア様と熱愛中だとばかり思っていましたから。いずれ婚約は解消されるものと」
「わかった」
隣にいた気配が急に消える。
立ち上がったジークフリートは膝立ちになり、イザベルの左手を恭しく取る。混乱のあまりに瞬きを繰り返していると、彼の唇が左手の甲に触れた。
瞬間、甘い痺れが全身に広がる。思考回路が完全にフリーズした。息継ぎすらままならない。
「最初からこうすればよかったのだな」
余裕のある笑顔はどこか大人の色気を感じさせ、鼓動が跳ねる。なんとか声を絞り出すも、語尾が少しかすれてしまう。
「あの……ジーク?」
「僕は君に恋をした。知らなかった君の一面を知るたび、僕の心は君で埋め尽くされた。僕の景色を変えてくれたのはイザベルだ」
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