66. 念のために聞くが、何に使うつもりだ?
サロン内の温室に入ると、天井から吊り下げられたベゴニアが出迎える。花の香りが満ちた温室には先客が一人。
温室内の中央にあるカフェスペースでは、黄薔薇の王子が読書をしていた。その背中には「誰も話しかけるな」というオーラが漂っている。
生誕祭での出来事から教訓を得たレオンは、サロン内でも壁を作るようになった。自衛のためらしいが、その圧力はハンパない。警戒心丸出しの動物のようだ。
しかし、それも無理からぬ反応だとイザベルは思っている。
(だって……ねえ? ルドガーお兄様が女性を蹴散らすために、男色疑惑の噂をばらまいて、うっかりその噂を信じた男子生徒が声をかけてくるなんて、普通思わないわよね……)
おかげで女子だけでなく、男子から声をかけられるたび、レオンは疑心暗鬼になっているのだ。サロンに避難しているのも、そのせいらしい。
学園で同性に迫られる事態は、さすがのルドガーも想像していなかったに違いない。ちなみに、女性たちは一歩距離を置いて見守ることを選んだらしい。
本当の意味での、彼の平和はいつやってくるのか、それは神のみぞ知る。
「レオン王子。ちょっとお伺いしたのですが……」
遠慮がちに声をかける。声の高さでイザベルとわかったのだろう。レオンは警戒を解いて振り返った。
「何だ?」
「王宮の書庫って、わたくしでも自由に入れますでしょうか? それとも、何か特別な許可が必要だったりします?」
「書庫? 禁書以外なら、申請すれば閲覧は可能だと思うが」
「まあ、本当ですか!」
思わず目を輝かせると、レオンは怪しむように目を細めた。
「……何を探しているんだ?」
「魔女の本です」
「まじょ」
「あ、あと解毒薬の本も」
「……念のために聞くが、何に使うつもりだ?」
いつもより半音低い声で追求され、とっさに返答に詰まる。
毒薬は魔女が関わっている可能性がある。しかし、その仮説は推測の域を出ない。
沈黙が答えと受け取ったのか、目の前でため息がこぼれた。
「確かナタリアだったか。解毒薬はまだ見つかっていないらしいな」
「……そうです。レオン王子の知り合いの中で、薬に詳しい方はいらっしゃいませんか?」
開き直って質問すると、レオンは渋面を作った。
「専門家がわからないという薬を知っている者など……いや、待てよ。一人いるな」
「それはどなたですか!」
レオンは背もたれに限界まで寄りかかり、食い気味に聞き返すイザベルと距離を取る。失言に気づいたような間が空いたが、観念したように答えが返ってくる。
「……ライドリーク伯爵だ」
「伯爵が……? 彼は薬に詳しいのですか?」
「詳しいというわけではない。そういった書物を保管しているという意味だ」
断言を避けるような言い方に引っかかりを覚えていると、レオンもそれを自覚したのか、こほんと咳払いした。
「ライドリーク伯爵家は代々、祭祀庁の長官を務めている家柄だ。争いがなくなった今では勝利祈願も必要とされず、もっぱら閑職呼ばわりされているが、彼らは歴史を後世に伝える者だ。一般に出回っていない書籍も彼らが管理していると聞く」
それは王族だからこそ、知り得た情報だろう。
イザベルが納得したように頷くと、レオンは補足して説明する。
「昔は薬剤師の卵を育てていたらしい。その名残で、薬の煎じ方や薬学面での貴重な資料が保管されているらしい」
「では、その古い資料に何か書かれている可能性もあるのですね」
「あまり期待するなよ。そもそも古すぎて読めないことだって考えられる」
釘を刺されたが、これは有力な情報だ。期待は膨らむ。
「ひとつ聞いておきたい。解毒薬はともかく、魔女を探しているわけではないよな?」
「え、レオン王子は魔女に会ったことがあるのですか?」
「あるわけがないだろう。そもそも、魔女や魔法使いはおとぎ話の人物だ」
レオンは読んでいた本をぱたんと閉じ、イザベルに席に座るように手で促す。尋問が始まりそうな予感を覚えながらも、真向かいの席に腰を下ろす。
「魔女に何か願い事でもするつもりだったか」
「いえ、怪しい薬がほしいわけではなくて。魔女だったら、見つからない解毒薬も魔法で作れるのではないかと……」
正直に答えると、なるほどな、と頷かれる。レオンは顎に手を当てて物思いにふけっていたかと思えば、不意にイザベルを見やる。
「そういえば、イザベルの魔力は……」
「幼少の頃に検査されましたが、限りなくゼロです」
この世界に魔女や魔法使いはいない。いたとしても、架空の物語に登場するか、はるか昔に住んでいたとされる遠い存在だ。
けれど、魔力量は調べることができる。魔力が強い子どもは魔界にさらわれやすいため、幼いうちから保護することが国の規定で決められている。
とはいえ、そういった子どもは何百年に一度いるかいないか、といった確率で生まれるので、ほとんどの者は関係ない話だ。
検査も魔力が強い人が目視で検査するため、検査の基準も曖昧だ。そして、この検査も任意なので、貴族の子どもが形式的に受けるのが慣わしだった。
「エルライン伯爵家は、魔力適性はほとんどない家系だったか。オリヴィル家は魔力持ちがたまに生まれるらしいが」
「……そうなんですか?」
「ああ。王家に連なる者は少なからず持っていることが多い。俺もそうだが、ジークフリートも多少持っていたはずだ」
初めて聞く事実にぽかんとしていると、レオンが疑うような目を向けた。
「婚約者なのに、そういう話はしないのか?」
「聞いたことがありません。でも、魔力が多少あるといっても、魔法が使えるわけではないんでしょう?」
魔力を持っていても、何か特別なことができるわけではない。
訓練をすれば、少しは魔術が扱えるかもしれないが、そういった文献や教える者はこの国にはない。たとえ持っていても、活用する場がないのだ。
レオンは鷹揚と頷き、温室の中に紛れ込んだ蝶がひらひらと舞う姿を目で追う。
「そうだな……魔法が自在に使えるのは魔女だけだ。魔力持ちは、たまに精霊や妖精が視認できるだけで、直接彼らの力を使役できるわけじゃない。契約の術式は複雑になっているため、魔女じゃないと難しいといわれている」
要するに、この世界でいう魔力とは霊感のようなものだ。普段は見えない存在がたまに視えるようになる。
だがしかし、魔女の場合は違う。おとぎ話のような魔法を使うこともできる。
「もし、魔女がまだ生きているとしたら、どうしますか?」
「……魔女の住み家がわかっても、会いに行くことはないだろうな」
「なぜですか? 魔女に依頼すれば、不可能を可能にすることも造作もないでしょう?」
魔法が身近にあれば、当然その力に頼りたいと思うはずだ。
ところが、レオンはそうではないようだった。渋い顔で肘を突き、イザベルを試すように言葉を投げかける。
「では聞くが、魔女が無償で力を貸してくれると思っているのか」
「あ……」
「失われた魔法を巧みに使う唯一の存在。そんな貴重な存在が、簡単に頼みごとを聞いてくれると?」
「…………無償では無理でしょうね」
魔女は神様ではない。なんでも願い事を叶えるだけの存在ではないのだ。
それ相応の対価を払わねば、まず無理だろう。
そのことに気づき、血の気をなくすイザベルに、レオンは冷めた目で答えた。
「そういうことだ。魔女を頼ることには代償がつく。どういった見返りを求められるかはわからないが、ただお金を積むだけではだめだろうな」
「……レオン王子が危惧していることがわかりました」
「理解してくれたか。お前が今、どんな危ない考えを持っているかということが」
諭すような口調に、イザベルはおとなしく口を噤んだ。
レオンは目元を少しだけ和らげ、腕を組む。
「安易な気持ちで、魔女に会おうとは考えないことだ。それに、毒薬を飲んでしまった令嬢と、そんなに親しい仲でもないんだろ? イザベルがそこまでする必要はないと思うが」
「それは、そうなのですが……」
言葉を濁していると、レオンの向こうに王宮の尖塔が見えた。
ラヴェリット王国の王族が住まう深紅の宮殿。
サロンの周囲にあるカエデの葉は紅色に染まっている。王立学園に植えられている樹木は赤く色づくものが多い。
(紅の国なんて架空の話かと思っていたけれど、これは偶然……?)
おとぎ話と思っていたが、もし過去に起こった出来事だとしたら。
白薔薇には魔女の悲しみが宿る――。
そう言っていた声を思い出し、イザベルはハッとした。
(ルーウェン様なら、きっと知っている気がする)
確かめなければならない。彼の口から真実を。
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