63. 必要ならば乙女も嘘をつきます

 翌日の学園はあらゆる憶測が飛び、ざわついていた。

 学生議会の厳正なる取り調べのもと、フローリアに嫌がらせをしていたナタリア一派はまとめて自宅謹慎となった。ナタリアはまだ声が戻らないらしく、自宅療養を兼ねているという話だ。


「大変なことになっちゃったわね」


 ジェシカの言葉に、イザベルはうなだれるようにして同意する。


「そうね……」

「イザベルは昨日、ナタリア様と話をしたって聞いたけど……」

「ええ。だけど、犯人捜しはしないでほしいみたい」

「それって……共犯者に裏切られたってこと?」

「さあ、わからないわ」


 もう少し、ナタリアから話が聞き出せれば候補も絞れただろうが、本人が口を噤んでしまったため、それも不可能になった。

 なだめるように肩に手を載せ、ジェシカは時計を見やる。イザベルもつられるようにして時計の針を確認した。

 もうすぐ授業が始まる。ジェシカは話を終わらせるためか、やや早口で言う。


「今回のことで、フローリアさんの風当たりは和らいだみたいだけど。何だか後味が悪いわね」

「せめて、解毒薬が早く見つかればいいのだけど」

「それもおかしな話よね。どれか一つぐらい効果が現れそうなのに」

「……そうなのよね」


 落ち込んでいると、ジェシカが励ますように口を開く。だが言葉になる前に、予鈴がそれを打ち消した。

 視線を横に転じれば、廊下から教師が歩いてくるところだった。

 ジェシカは早足で自分の席に戻り、イザベルものろのろと教科書とノートを用意した。その日の授業はどれも身が入らなかった。


      *


 夜空の星が瞬く。

 一筋の流星は、まるで星々の涙のようだ。

 イザベルはひとり、星明かりの中を歩く。オリヴィル公爵家の薔薇園には負けるが、エルライン伯爵家の庭園も凝った作りだ。

 秋風に吹かれ、腰まである蜂蜜色の髪がふわりと舞う。

 今は紅葉が赤く色づく途中で、黄色や緑、赤みがかったオレンジのグラデーションなど、絵の具の試し塗りのような色合いとなってる。ただし、夜ではその色もほとんどはくすんで見えないが。


「……イザベル。待たせてしまったようで申し訳ない」


 声の方を振り返れば、学園の制服ではなく、私服姿のジークフリートがいた。

 首元にはクラヴァット、高級な生地を使ったフロックコートをまとった婚約者はまさしく公爵令息にふさわしい格好をしていた。

 対するイザベルは水色のドレスだ。腰から足元にかけて黒いレースが縫い付けられている。

 ピンクに大ぶりのリボンのドレスは卒業した。かといって、いきなり路線変更してもしっくり来ないだろうと思い、少しだけシックな方向で調整した。


「いいえ。お忙しい中にこうして時間を作ってくださって、ありがとうございます」

「思ったより遅くなってしまった」

「ですが、この時間だからこそ、星の輝きがよくわかりますわ。もちろん、新月だからというのもあるでしょうけれど」


 ジークフリートも空を見上げ、なるほど、と首肯した。


「確かに、今宵は星がより輝いて見えるな」

「でしょう?」

「それで、大事な話というのは?」


 すぐに本題に踏み込まれて、心臓が早鐘を打つ。心構えはできていたはずなのに、いざ本人を目の前にすると気後れしてしまう。

 だが、このままずっと膠着状態でいるわけにもいかない。

 イザベルはジークフリートを見上げ、淑女の微笑みを貼り付けた。


「……あなたの婚約者になれたこと、誇りに思いますわ」


 心からそう感じるからこそ、心苦しい。

 彼との未来を選べない自分が悲しくて憎らしい。


「ですからどうか、わたくしとの婚約、白紙にしていただきたく存じます」

「すまない。……もう一度言ってくれないか」


 ジークフリートは嘆息し、片手を挙げた。どうやら聞き間違いがあったと思ったらしい。

 ならば、とイザベルは今度こそ聞き間違いだと思われないように、はっきりと宣言した。


「では、申し上げます。婚約を破棄してくださいませ」

「……僕のことが……嫌いになったのか」

「いいえ、そうではありません。ジークは頼りになる友人ですわ。それ以上でもそれ以下でもない。あなたにふさわしいのは、心から愛して尽くす奥方です。それはわたくしではありません」


 ジークフリートは瞬きすら惜しいというほど、熱心に見つめてくる。全力で目をそらしたい衝動に駆られるが、懸命に耐えた。


(ここは我慢……! ひたすら我慢よ、イザベル!)


 心の中で自分に言い聞かせていると、ジークフリートが真面目な顔で問いかける。


「つまり、これから先も僕を愛することはできないと?」

「…………」

「否定しないのだな」


 本当は言いたくなかった。今からでも嘘だと言ってしまえれば、どんなによかったか。


(だけど、冗談でこんなことは言えない……)


 イザベルは無言を貫く。しばらくして、ジークフリートが諦めたように声を出す。


「一度、考えさせてくれ」

「……もちろんですわ」

「今日はこれで失礼する。夜風は体によくない。イザベルも早く戻るように」


 いつもなら部屋までエスコートしてくれるのに、ジークフリートは言葉だけを残してそのまま屋敷を後にした。


(……言ってしまった。これでもう、後戻りはできない)


 庭園に一人残されたイザベルは、紺碧の夜空を途方のない気持ちで見上げた。

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