64. お宅訪問の時間です

 授業が終わって下駄箱を後にすると、校門前でリシャールが出迎える。


「お帰りなさいませ」


 後部座席のドアを開けられ、イザベルはその奥の席に座る。ドアが閉まる前に、行き先を告げておく。


「アムール男爵邸に行ってちょうだい」

「ラミカ様の様子を見に行かれるのですか?」

「ええ。彼女に聞きたいことができたの」

「承知しました」


 ドアが閉まり、助手席にリシャールが乗り込む。それを確認してから、車がゆっくりと発進する。車を走らせること数十分。

 郊外にあるアムール男爵邸は、花壇に色とりどりの花が植えられ、緑あふれる屋敷だった。植木鉢には大小さまざま花やハーブが風に揺れている。

 低い生け垣からのぞけば、奥には薔薇のアーチも作られており、小規模ながらに見事な庭園が広がっていた。


「突然のご訪問をお許しください。私はエルライン伯爵家に仕える執事でございます。本日はラミカ様の面会を申し込みに参りました」

「まあ、エルライン伯爵家の方ですか……少々お待ちくださいませ!」


 慌ただしく家に戻っていく使用人を見送ると、数分もしないうちに、ラミカが玄関先まで顔を出した。


「イザベル様……? どうしてここに」

「ごきげんよう、ラミカさん」


 少しやつれたような顔の彼女は曖昧に笑い、アポイントなしの訪問者に戸惑っているようだった。


「一体、今日はどうなさったのです?」

「ちょっとだけお話ができないかと思って。お邪魔なようなら、また日を改めるけれど」

「……せっかくいらっしゃったのですから、どうぞ。何のお構いもできませんが」

「押しかけたのはこちらなのだし、お気遣いは無用よ」


 ラミカの案内で玄関ホールを抜けると、そのまま応接間に向かう。

 応接間には植物が描かれた壁紙が貼られ、ところどころら乾燥させたハーブもつるされている。アムール男爵夫人の趣味なのだろうか。

 リシャールは壁際に控え、イザベルはラミカに促されて上座のソファに腰を下ろした。ラミカはその真向かいに座り、メイドにお茶の用意を頼んでいる。

 それからイザベルに視線を合わせるが、どこか居心地が悪そうに、肩に力が入っているのがわかった。


「まさか、イザベル様が我が家にお越しになる日が来るとは思いませんでした」

「突然訪ねに来てしまって、ごめんなさいね」

「いいえ。ちょうど一人で退屈していたところなんです……」


 彼女の横には、やりかけの刺繍道具が置いたままだった。先触れを出していなかったから、よほど慌てていたのだろう。

 メイドがお茶を運んでくる。甘い香りが漂ってきて、ティーカップと焼き菓子がテーブルに並べられる。メイドは一礼すると、そのまま退出していった。


「お口に合わないかもしれませんが……」

「とても美味しそうだわ。あとでいただくわね」


 食べ物の誘惑を振り切り、イザベルはラミカに向き直る。


「単刀直入に聞くわ。ラミカさん……どうしてナタリア様の名前を出したの?」


 ぐいっと前のめりで質問すると、彼女は驚いたように身を引いた。

 やりすぎたかとイザベルが座り直すのを確認し、ラミカは太ももに置いた両手を重ね合わせる。


「ナタリア様はフローリアさんを見下していました。これまでもさんざん言葉や態度で威嚇なさっていましたし、その態度が変わることはありませんでした」

「そうかもしれないけれど、フローリア様のことはリシャールが関与していたでしょう。私が首謀者として名指しされるならともかく、ナタリア様だけが批判されるのはおかしいわ」


 ラミカは落ち着かないのか、横にある刺繍道具を手で撫でた。

 花の刺繍は葉の部分だけ縫い終わり、メインの花の部分だけが白く残っている。その部分を指先でなぞり、顔を上げる。


「……イザベル様は関与していないと、リシャール様から説明を受けています。それに、体を張ってバケツからフローリアさんをかばっていらっしゃったでしょう。彼女自身からも話は聞いていますし、イザベル様はこの件では無関係です」


 無関係だとハッキリ言われて、イザベルはそう、と相槌を打つ。

 ティーカップとソーサーを持ち、紅茶を口に含む。アッサムティーは渋みが強く、いつもはミルクティーとして飲むのだが、今はその渋みのおかけで冷静になれた。

 ソーサーにティーカップを置き、赤茶の水面を見つめる。


「知って……いえ、見られていたのね。では、ナタリア様の名前を出したのは、フローリア様のため?」


 もし、イザベルが名指しで批判されていたら、フローリアは悲しむだろう。

 それを見越しての告発だったのだと思えば、納得はできる。


「彼女にこれ以上、迷惑をかけたくなかったんです。ナタリア様たちがしてきたのは憂さ晴らしのような意味合いも兼ねていました。婚約者の家が没落し、婚約が白紙になったナタリア様をはじめ、他のご令嬢も婚約が決まらずに鬱憤がたまっていたのでしょう。そんなことのために、フローリアさんを苦しめたくなかった」


 自責の念に駆られた暗い表情に、イザベルは言葉通りに受け取ることにした。


「ラミカさんはフローリア様が好きなのね」


 人生はどこでどう転がるかわからない。

 本当は敵対関係にいるはずのイザベルでさえ、今はフローリアの友人だ。


「……うちも男爵家なんです。だけど、ただ言いなりになる私とは違っていて、フローリアさんはいつも輝いて見えました。はじめはそれが憎らしくて。けれど、会話をするうちにわかったんです」

「彼女の魅力に?」

「ええ、そうですね……。フローリアさんは苦しんでいても、それを顔に出さない人でした。周りに気を遣わせないように、笑顔を振りまいていただけ。特別なんかじゃない。普通の女の子なんだと思うと、彼女を一方的に傷つけている人たちが許せなくて」


 事情聴取は思ったより順調だ。彼女の考えも、おおむね予想の範囲だ。

 できれば、違っていてほしかった。こんな荒唐無稽な話、あり得てほしくはなかった。

 しかしながら、灰色の瞳には後悔の色がくっきりと残っている。

 イザベルは目を伏せ、ティーカップを机に戻す。そして、感情を伴わない声で静かに尋ねる。


「そう。じゃあ、フローリア様を守るために、ナタリア様に毒薬を盛ったの?」


 証拠はない。だが、ラミカは目に見えて狼狽した。


「――どう、して……わかったんですか?」

「どうしてかしらね」


 消去法だ。ゲームでも現実でも、フローリアをいじめてきた悪役令嬢が毒薬を盛られた。

 当然、その犯人はフローリアを好ましく思っている人物だ。

 ゲームのようにイザベルがヒロインを妬ましく感じ、彼女に嫌がらせをしていたら、きっとイザベルが飲まされていただろう。

 しかし、現実は違う。フローリアを助けて仲良くなった自分は、ラミカにうらまれるいわれはない。だから、ナタリアが身代わりになった。


(リシャールやクラウドを疑ったこともあったけれど、やっぱり攻略キャラがそんな悪質な行動に出るとは考えにくい)


 他に動機を持ちそうな人物は、ラミカ以外に考えられなかった。


「どうかお願い。解毒薬を渡して」


 切々と告げると、ラミカは追求する視線から逃げるように、自分のつま先を見下ろしてつぶやいた。


「……ないんです」

「えっ?」

「だから、解毒薬なんてありません。私がその毒薬を入手したのは、ほんの偶然なんです。毒薬だけど、決して死ぬことはない。薬の効果はその人がやってきた悪事によって変わるって……ただ解毒薬はないから、使いどきを間違えてはいけないって」


 自分の意志ではなく、言わされているような内容に、イザベルは何かよからぬ力が働いている気がして焦りを募らす。


「じゃあ、それはどこで買ったの?」

「……それがよく覚えていないんです。ぼうっとしていたら、いつの間にか店内にいて商品の説明をされていました。現金を支払おうとすると、 今回はサービスだからって言われて」


 ラミカは恐縮しきりだ。本当に思い出せないのだろう。


「店主は女性だった? 男性だった?」

「……顔はほとんど憶えてないのですが、男性でした」

「だったら、お店のだいたいの場所だけでも教えてくれる?」

「……ごめんなさい。お店の中に入ったときと出たときの記憶が曖昧で、どうしても思い出せないんです。ただ、店内には珍しい外国産の品物が多かったから、輸入品店とは思うのですが」


 曖昧な供述は、まるで暗示にかけられたようだ。


(これは間違いない、かもしれないわね……)


 ゲームの強制力が働いたのだ。毒薬イベントのため、ラミカは半ば強制的に手にしたと考えられる。

 だとすると、そのお店を特定するのはほぼ不可能だ。特定したところで、店主も暗示にかかっていたならば、話をしても意味がないだろう。

 やっとつかみかかった糸口がするりと抜けていくようで、イザベルは自分の手をきつく握りしめた。


      *


 使用人部屋の一室で、リシャールは息を吐く。

 質素な作りの部屋には最低限の荷物しか置いていない。テーブルと椅子、簡易ベッド、本棚と洋服タンスがあるだけだ。

 地理や歴史の本を数冊抜き取り、その後ろに隠していた小瓶を手に取る。

 瓶を傾けると、透明な液体がとろりと右側へ流れていく。


「毒薬だけど、決して死ぬことはない。薬の効果はその人がやってきた悪事によって変わる……私が受けた説明とまったく同じですね」


 そう供述したラミカに噓を言っている様子はなかった。

 この瓶を入手したのは、城下町への買い出しを頼まれたときだ。そして、リシャールも店内に入った前後の記憶があいまいだった。


 ――あなた、わたくしに怪しい薬を飲ませる気はある?


 イザベルの声が脳内で再生される。あのとき返した言葉を撤回するつもりはない。

 手にした瓶に入っているのは毒薬だ。試していないのでわからないが、効能は被験者によって違うと推察される。


(あのときのイザベル様は、何もかも承知だったのだろうか……)


 今後も使う予定はないし、自分には不要のものだと思っている。

 誰の意図があって、この小瓶が手元にあるのかは謎だが、一つだけ分かっていることがある。


(これを渡したのは魔女ではない)


 彼女以外の薬を使うことは危険だ。魔法じみた効果も甚だ怪しい。

 だからこそ、わからない。

 魔法のような薬はそれこそ魔女でもない限り、作り出せるとは思えない。魔女でないなら、一体誰がこんな薬を作り出せるというのか。

 その問いに答える声は当然なく、リシャールは小瓶を机にそっと置いた。

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