25. 悪役令嬢は不敵に微笑む
遠い国に行けば、もう彼らの仲睦まじい様子も見なくて済むし、自滅フラグに怯える必要だってなくなる。
おとぎ話の白い魔女のように、余生を静かな場所で過ごせるだろう。
(だけど、わたくしは本当に後悔しない……?)
前世の後悔を今世で果たす。不幸な未来を回避するべく、これまで頑張ってきたではないか。
星が瞬く空の下、イザベルは瞼をゆっくり閉じた。
「ルーウェン様、あなたのご好意には感謝いたします。けれど、わたくしはただ逃げる未来は選べません」
強がりだと思われても構わない。
本当は怖い。悪役令嬢にならないように手は尽くしてきたつもりだが、ゲームと同じ未来を辿る可能性はゼロではない。
もしかしたら、自分がしていることは無駄なのかもしれない。しかし、逃げた先で嘆くくらいなら、未来の自分が納得できるまであがくべきだ。それに、友達や家族を捨てるような真似はできない。
(ジェシカやクラウド、レオン王子は貴重な友人。リシャールだって、ルドガーお兄様のように大切な家族だと思ってる。そして……たとえ婚約破棄しても、ジークが大切な幼なじみであることには変わらない)
目を開けると、ルーウェンはその言葉を予想していたように、そっと頷いた。
「あなたなら、そう言うと思っていました」
年上の余裕というやつだろうか。
ならば負けていられないと、イザベルは悪役令嬢らしく微笑み、傲然と言い放つ。
「女にも女の意地があります。幕引きは自分が後悔しない形で選びたいと思います。せっかくのお申し出ですが、お断りしますわ」
「残念ですね……。もしも心変わりしたときは、いつでもご相談ください」
生意気にも申し出を突っぱねたというのに、ルーウェンに動揺したそぶりはない。それどころか、どことなく満足したような顔だった。
けれど、彼の盤上の駒になるつもりはない。
イザベルは夜の帳が下りた空を見上げ、先ほどの言葉が偽りではないことを伝えるべく、口を開く。
「ルーウェン様、舞踏会はまだ始まったばかりです。わたくしは会場に戻りますが、あなたは?」
「イザベル嬢が戻られるなら、どうぞ私もお供させてください」
「……では、参りましょう」
月明かりの下、ルーウェンにエスコートされながら、華々しい宮殿のホールを目指して歩き出す。
正直なところ、不安や恐れはまだ残っている。それでも、イザベルは前を向いた。悲劇のヒロインのように、運命を嘆くだけの真似はしたくない。
どんな逆境だって、悪役令嬢なら微笑んで挑むくらいでいなければ。
*
ダンスホールは豪奢なシャンデリアが照らし、宮廷楽団の奏でる音楽に合わせ、色とりどりの花が咲いたように視界を彩る。膨らんだドレスの裾がステップが変わるたびに、蝶が舞うように動きを変えていく。
その中央で注目を浴びているのは、今宵の主役。第二王子のダンスは優雅さを保ちつつ、パートナーの令嬢をリードしていた。
(心なしか、さっきより瞳に正気が戻っているような……?)
女難の相を乗り越え、王子としての自覚が芽生えてきたのかもしれない。
遠くの壇上で座っている国王夫妻も、我が子の成長に感慨深い様子で、熱心に息子を見つめている。
(うーん。人が多くて、ジークとフローリア様の姿が見えないわね……)
そこでふと、隣がやけに静かな気がして横を見やる。案の定、にぎやかな口は閉じられていて、ルーウェンの表情はどこか暗い。
「どうしました?」
返事がない彼の視線の先には、ジェシカがいた。
軽食をつまむためだろう。テーブルの前で小首を傾げ、何にしようかと考えあぐねている様子だった。
(あ、そうか。男嫌いのジェシカだもの。ルーウェン様から話しかけると、高確率で険悪な雰囲気になるものね。話しかけるタイミングを見計らっているのかしら)
ならば、ここはイザベルの出番である。
一度は逃げ出した自分がここに戻って来られたのは、彼の言葉のおかげだ。多少のお膳立てくらいなら、お礼にもちょうどいいだろう。
イザベルがテーブルの方へ足を向けると、遅れてルーウェンもついてきた。
「ジェシカはもう踊ったの?」
「……あら。誰かと思ったら、イザベルじゃない。姿を見せないから、あとで探しに行こうかとも考えていたのよ。でも無事でよかった」
「まあ、ちょっとね……」
後ろで微笑んでいる同伴者をちらりと見るが、ジェシカは何も気づかないとばかりに、イザベルから視線を外さない。
「それより、今夜のドレスは瞳と同じ色なのね。こうした派手な色の中で見る緑は、心が和むわね。金色の小鳥の刺繍もきれいだし、華美なドレスもいいけれど、イザベルは落ち着いた色もよく似合っているわ」
「あ……ありがとう。ジェシカも涼しげな色ですてきよ」
ジェシカのドレスは、リボンとお揃いの水色のマーメイドラインだ。背が高く、腰が細い彼女のプロポーションを際立たせている。
人魚をモチーフにしたドレスは、裾が尾ひれのように広がっているため、身長にコンプレックスを持っているイザベルだと、まず選べないデザインだ。
「真夏の舞踏会でしょう? 涼を添えようかと思ってね」
「なるほど、それはすてきな考えですね」
笑顔のまま前に出るルーウェンを見て、ジェシカは露骨なほど顔をしかめた。
しかし、紫薔薇の伯爵という異名を持つ彼は、それしきで態度を変えることはない。笑みが深まり、気さくに話しかける。
「夜は昼より気温が下がるとはいえ、会場は熱気に包まれますからね。今年からは氷のオブジェで気温を調節しているようですが、やはり水をイメージするドレスが視界に入ると、気分が違いますね」
「…………」
二人の間に嵐の前触れのような、妙な静けさが漂っている。表面上は笑顔を取り繕っているジェシカだが、その目は笑っていない。
だが、ルーウェンはそんな雰囲気を物ともせず、和やかに喋り続けた。
「ジェシカ嬢は気遣いもすばらしい方なのですね。そんなあなたに一途に想われる男が現れないことを祈っていますよ」
「その点につきましては、ご心配なく。私は異性に一切興味はありませんので。……ところで、ライドリーク卿」
「はい。何でしょうか」
「今すぐ、私の視界から消えてくださる?」
笑顔で凄むジェシカの迫力に、横にいたイザベルの方が息を呑んだ。
一方のルーウェンは悲しげな顔を作ってはいるものの、落胆した様子はない。これが慣れからくる対応ならおそろしい。
「残念、今宵も振られてしまいましたか。一体いつなら、あなたの機嫌がよくなるのでしょうね」
「あなたに口説き落とされる日は来ないものとお考えください」
「もう少し話していたいところですが、これ以上、あなたの機嫌を損ねるのは得策ではないようです。……名残惜しいですが、私は失礼しますよ」
宣言どおりに去っていく様子を無言で見送り、牛肉のフィレステーキを口にほおばる友達を残念な目で見つめた。
「ジェシカ、よかったの? ルーウェン様に対してあんな物言いをして」
イザベルが言い終わると、ジェシカの周りだけ時間が止まっていた。
目を見開き、まるで彫像のように固まっている。どんな予想外のことが起きても、冷静さを失わない彼女が、珍しく狼狽していた。
「……ちょっと待って。ルーウェン様と呼んだ? 呼んだわよね? いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「ち、近いわ! ジェシカ、少し離れて」
鼻先まで迫る勢いに、イザベルはたじろぐ。柑橘系のような香りが鼻をかすめ、すぐに彼女の香水だと気づく。
距離をあけたジェシカは剣呑な目つきで、イザベルの答えを待っている。余計なことを口走ってしまったと後悔しても、時すでに遅しである。
イザベルはため息をつき、大きく息を吸い込んだ。
「誤解のないように言っておくけどね。複数の女性を同時に愛するような殿方は、わたくしだって恋愛対象外よ。だけど、恋愛抜きに考えたら、意外にまともな方かもしれない、と思い直したのよ」
「…………だまされてるわ。ああ、私の可愛いイザベルが、悪の手先に洗脳されてしまうなんて」
「悪の手先は言いすぎよ……」
「言いすぎなんかじゃないわ。私を慕ってくれていた女の花園を、あの人は土足で踏み荒らしたのよ。それだけでも万死に値するじゃない」
その場面を思い出したのか、地団駄を踏みそうな勢いで憤っている。
(……一応、ルーウェン様も攻略キャラなのだけど、ジェシカの前では形なしね)
イザベルが返答に悩んでいると、すぐ横に燕尾服の男が立っていた。
二十歳前後だろうか、腹の探り合いが苦手そうな青年だった。頬はうっすら赤みがあり、瞬きの回数も多い。
「ジ、ジェシカ嬢、よろしければ一曲お付き合いいただけませんか」
恥ずかしそうに返事を待つ姿を見て、イザベルとジェシカは互いに目配せする。
男嫌いのジェシカにアタックするなんて、とんだ命知らずだ。もしくは、その噂を知らない遠い領地から来た、純朴な青年なのか。
どちらにせよ、勇気を出して声をかけてきたことは容易に察せられた。
「……ごめんなさい。今夜は気分がよくなくて、もうお暇しますの。またの機会にしてくださる?」
ジェシカも邪険にできないと判断したのか、しおらしく断ると、彼は肩を落としてダンスの輪の中へ戻っていった。
落胆した様子の背中を一瞥すると、ふう、と一息つく声が聞こえる。
「誘いを断るのも面倒だから、今夜は帰るわね」
「もう帰るの?」
「だって、どうせ踊るなら、イザベルのような可憐な女の子と踊りたいわ」
「……本気?」
「割と本気」
真顔で返されて固まっていると、ジェシカは片目をつぶった。
「また学園でね」
そう言うや否や、ジェシカは子爵令嬢の仮面をはりつけ、しずしずと舞踏会場を後にした。見た目は奥ゆかしいご令嬢なのに、中身が違うのがもったいない気がしてならない。
(そういえば、ジェシカはゲームには出てこなかった。悪役令嬢の取り巻きにもいなかったし。……もし、ヒロインに転生していたら接点もなかったのよね)
もしかしたら、モブキャラの一人として背景に描かれていたかもしれないが、悪役令嬢に転生しなければ関わりはなかっただろう。
実家の権力から遠巻きにされる伯爵令嬢を、ただのイザベルとして接してくれる貴重な友人。彼女の存在はいつだって、周囲の重圧から押しつぶされそうだった自分を勇気づけてくれた。
(思えば、強気な態度は彼女から教わったようなものだわ)
ゲーム時代とは違って、今のイザベルに取り巻きはいない。ただ同意をしてくれる、うわべだけの関係はいらない。
ひとりだけど、ひとりじゃない。イザベルの心を支えてくれるのは、かけがえのない友人や家族の存在だ。一癖も二癖もある彼らだが、貴族社会を渡り歩く術を教えてくれた。
(本当は知るのが怖くても、ゲームの進行は確認しておかないと……)
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