24. 月夜とおとぎ話
王宮の庭園は色ごとに区画が分けられ、四方に赤、青、黄、白の薔薇がそれぞれ咲き誇っている。中央には噴水があり、妖精の像がライトアップされた中、静かに微笑んでいた。
(ジークは追ってこない……。当然よね、悪役令嬢はヒロインにはなれない。約束をしたところで、本物のヒロインには敵わないのだから)
自嘲気味に笑うと、背後から足音が聞こえてくる。びくりと振り返るが、遠すぎて男か女かすら判別できない。
鉢合わせする前にどこかへ身を隠すべきか逡巡している間に、足音はすぐ近くまで迫ってきた。だが幸か不幸か、足音は複数ではない。
やがて、暗闇の中から確認できたシルエットは男のものだった。
「だれ……?」
期待半分、不安半分で問いかける。その問いに答えるのは、聞き覚えのある声だった。
「やあ、夜の妖精さん」
「……ライドリーク伯爵……?」
「つれないですね。そろそろ、ルーウェンと呼んでほしいものですが」
それは、幻ではないと裏付けるには充分の言葉だった。
舞踏会に合わせたものだろう、紫がかったシルバーのタキシード姿は暗がりの中でも明るく感じる。
光沢が入っているのか、彼が動くたびにきらきらと輝いて見えた。やや濃いグレーのベストが、派手すぎる印象を和らげている。
タイとポケットチーフはラベンダー色で統一されており、これを上品に着こなせるのは彼ぐらいだろう。
「……ルーウェン様はどうしてこちらに?」
「ほろ酔いの中、薔薇を愛でるのが好きなものでね。酔い覚ましをかねて、ここまで足を延ばしたまでですよ」
「そうですか」
貴族はお酒に強い人が多い。彼は素面と変わらない様子で、とても酔いが回ったようには見えない。
お酒の力を借りなくとも、上機嫌なのは彼の性格によるものだろう。
「そのグリーンのドレスは、星月夜に踊る妖精のようだ」
「……ありがとうございます」
社交辞令を受け流すと、ルーウェンは片膝を折り、紳士の礼を取る。
「よければ一曲踊っていただいても?」
「申し訳ございません。……あいにく、今夜は婚約者以外と踊らない、と約束しておりますから」
「おやおや、嫉妬深い男も罪深い」
とはいえ、約束をした相手は今、フローリアと踊っている頃だろう。
その姿を想像してしまい、一層気持ちが沈んだ。
(舞踏会でのダンススチルをゲットしたときは、心ときめいたものだけど……。そういえば、彼女のドレスはスチルと同じだった)
やはり、ここはゲームの世界なのだと痛感する。多少のバグがあるにせよ、本質は変わらない。
先ほどの選択は間違っていなかった。
ヒロインの恋路を邪魔しなければ、悪役令嬢と後ろ指を指されることもない。自滅フラグ回避に一歩近づいたのだ。
だのに、心はまるで晴れない。後悔ばかりが押し寄せる。そして、今この庭園にいるのは二人きり。他に人が来る気配はない。
(わたくしは一体、何を期待しているの……。ジークがあまりにも真剣な目で言うものだから、ついヒロインの気持ちになってしまったのだわ)
感傷に浸るイザベルを一瞥したルーウェンは、後ろ手を組んで、夜の薔薇園を歩き出す。導かれるようにして、イザベルも彼の後ろに続く。
「白薔薇の区画は、清廉な佇まいで美しいですね。白い魔女のおとぎ話を思い出します」
「……白い魔女……ですか?」
初めて聞く単語に、ふと足を止める。
記憶をたどるが、ピンとこない。果たして、そんな魔女が出てくる絵本があっただろうか。
「おや。イザベル嬢はご存じない? 昔の言い伝えに魔女の逸話があるんですよ」
「……知りませんでした」
「よろしければ、少しお話ししましょうか」
「ええ。興味があります」
イザベルが頷くと、ルーウェンは優しく語り出す。
――それは遠い遠い昔の話。
長年、紅の国と蒼の国は敵対していた。何百年にもわたり、飽きもせずに戦争を繰り返すほどに。両国の戦力は拮抗し、なかなか勝負がつかない。
そんなある日、紅の国の王子が、山奥に隠れ住む少女を見初める。彼女は秘術に長けた族長の一人娘だった。
やがて、王子と少女は心を通わせ、結婚の約束をする。そんな中、戦禍は城下町まで及び、落城も時間の問題になった。
王子は少女に囁いた。
『このままでは、紅の国は滅ぶだろう。君の一族の力で、蒼の国を滅ぼしてくれないか。そうすれば、君を城まで連れて帰れる』
『ごめんなさい。それは禁忌の術。私には使えません』
『僕には国民を守る義務がある。たとえ負けるとわかっていても、戦いから逃げることはできない。……戦争が終われば、迎えに来るよ』
王子が去った後、少女は悩んだ。しかし、悩む時間もそれほど多くは残されていなかった。
族長が止める声を振り切り、少女は村から飛び出す。その道中、遠くの城に火の手が上がるのを見て、少女は禁忌の術を発動してしまう。
蒼の国は空間ごと切り抜かれ、跡形もなく滅んだ。
少女は愛する王子の元へ向かう。しかし、そこで待っていたのは残酷な現実だった。
『来るな、おそろしい魔女め!』
罵倒する声は愛した彼のもの。そして、彼の横には美しい姫君がいた。
そこで、ようやく少女は彼の愛が偽物だったことに気づく。
魔女は泣きながら山奥へと立ち去る。彼女は白薔薇の家にこもり、いつしか「白い魔女」と恐れられるようになった――。
「……というおとぎ話です。白薔薇には魔女の悲しみが宿るとか」
「切ないお話ですね。……魔女がかわいそう」
「世間は、あなたをしたたかなご令嬢だと言う。けれど、それは誤解だ。あなたは気高く美しい。そして、他者を思いやることができる、とても優しい姫君です」
いつもなら、右の耳から左の耳へ聞き流す台詞が、心に波紋を落とす。
(わたくしは優しくなんかないわ。……本当はフローリア様と踊ってほしくない。自分だけが独り占めしたかった。ただ、醜い心を隠しているだけ)
素直になれない自分が歯がゆい。
そんな葛藤さえ見透かしたように、ルーウェンは胸元に挿していた紫の薔薇を抜き取り、イザベルの前に差し出した。
「お望みなら、ここからあなたを連れ出しましょうか?」
「……え?」
どこかで聞いたことがある台詞だ。イザベルは記憶をさらう。
ルーウェンの背後には、華やかな薔薇の庭園。生暖かい夜風が二人の間を通り抜け、イザベルの後れ毛がなびく。
いつのまにか、薄紫だった空は夜の色に染まっていた。華やかな音楽が風に乗って、どこからか聞こえてくる。煌々と白く照らされた満月は、いつもより一段と大きく感じる。
この景色も見おぼえがある。だが、一体どこでだったか。
(あ……ゲームの選択肢! 確か、頷けば「駆け落ちエンド」になって、拒否すると「シナリオ続行」になったはず)
駆け落ちエンドでは、船上で旅装に着替えた二人のスチルが出てきて、エンドロールが流れる。紫薔薇ルートの最速エンディングだ。
(いやいや、ちょっと待って。ヒロインが攻略対象外にしたキャラは、他のキャラにイベントを仕掛けてくるわけ……!?)
まさか、ヒロインの代わりに悪役令嬢が口説かれるなんて。
予想外の事態に絶句していると、ルーウェンは胸に手を当て、柔らかな笑みを浮かべた。
「婚約者に愛想を尽かしたのなら、私があなたをさらって、あなたのことを知らない土地に逃がしましょう。女性にそんな顔をさせる男など、忘れた方がいい」
「……知らない……土地……」
その未来を想像してしまい、不覚にも心が揺れ動いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。